やっぱりソフトウェア特許やビジネスモデル特許はマズい

ある記事を読んで思ったこと。ポインタを張ると、取り上げられている企業の悪口を書くことになるので、ポインタは張らない。

その日本企業は、「特許力」でいろいろな会社から特許料を取ったり、訴えたりしているようだ。もっとも、いわゆる「特許ゴロ」とは違うらしい。

件の記事にはいくつか特許が挙げられているのだが、それを見て思ったのが表題。

そこに挙げられている特許は、みんな

今となれば当然

のようなものだ。「だから意味がない」のではない。そういった特許を「今」取ったのではなくて、各社が思いつく前に思いついて特許化した。ここが偉い。と言うか、「今となれば当然」であるからこそ、「当時取った」ということに意味があるのだ。

と、感心して読んでいたのだけど、そこでふと気がついたのは、これらの特許は、

妄想だけなら俺でも出来る

という類のものでもあるからだ。実現性とかまるで無視して「妄想」のレベルだったら、「当時」でもいくらでも思いついていることだ。じゃー、なんでお前が取らないよと聞かれれば、

実現可能性

については、まるで検討されてない「妄想」に過ぎないからだ。そんなもの、どんな名案であっても特許にすることはありえない。

コの業界の技術の進化は激しい。10年どころか、3年前には妄想に過ぎなかったことが、今実現していたりする。今、実現可能性が限りなく0に近いものであっても、10年後にはそうではなくなっていることは、いくらでもある。

であれば、今の「妄想」を片っ端から特許化してしまって、何でもいいから権利主張が可能な形にしておく。速度や容量に起因すること、あるいは何らかの

ブレークスルー

が待望されているものであれば、遠からずそれは「現実」に変わるだろう。その時に特許料を要求すれば、「先見の明のある俺、勝ち組」とゆーことになる。頑張ってブレークスルーを実現したところに対して、「そのアイディア、俺が3年前に考えてたんだよね」とか言ってしまえば、こっちのもんだ。かつては、そんな先回りの特許は、仮に取ってしまっても実現はうんと先になってしまって、取ること自体の意味がなかったのだけど、今はちょっと待ってるだけで実現してしまいかねない。最初の数年を諦めれば、十分回収可能になりうる。

同じ類のことは、ウェブサービスのビジネスとかにも言える。今は様々な環境の都合で出来ないこと、ビジネス化が出来ないことでも、数年経てばプロフィット化出来るかも知れない。

ぼくのかんがえたさいきょうのうぇぶさーびす

を、実現してしまうよりも、特許にしてしまった方が金に出来る可能性は大だ。

とか考えると、この世界の技術の進歩の速さは、「妄想」に過ぎないものが意味のある特許になってしまうとゆー点で、マズい。とゆーか、

妄想したもん勝ち、
実現したもん負け

になってしまう。そりゃーマズいだろう。

PS.

どこの記事だって書かないけどw、この記事に出ていた社長(?)の画像は、「ろくろ」を握り潰してる手付きに見える。実装者が一生懸命「ろくろ」回したものを、片手でぐしゃり… 「特許ゴロではない」とは言え、どうも手付きに本性が見えるような気がするのは、考え過ぎかしらん。