これだからサヨクは嫌いなんだ

私を左側の人だと思ってる人がいるようだけど、実はサヨク的なものはあまり好きでない。

facebookで拾ったんだが、

R水素ネットワーク

微妙な空気を感じながらも、前々からこういったことは可能なんじゃないかなーとか思っていた話が書いてある。早い話がエネルギーを貯めるのに水素を使いましょうとゆーこと。まぁ水素がマグネシウムでもいいんだけど、電気は貯め辛いから物質にして貯める。効率は落ちるけど、「貯めやすい」というアドバンテージは大きい。

というのはいいんだが、読み進むうちに思ったのが表題のこと。

自然エネルギーの弱点は、「薄い」ということと、変動が大きいということ。その辺を揚水とセットで解決出来ないかなとかって話は、前に書いた。

自然エネルギーをちょっとフェルミってみる

「薄い」分は設備を大きくするだけなので、経済性を考えつつシステムを大きくすれば、たいてい解決する。まぁ経済性の問題が小さくないから容易ではないけれど、経済的にツジツマが合えば、放っておいても大きくなるだろう。変動が大きいのは、貯めておけばいいのだけど、これは現代の技術ではまだ容易じゃない。

そこで出来た電力をそのまま使わないで、水素なりマグネシウムを作っておけば、それを貯めることが電気を貯めることになるよなぁ… なんてことを考えたことがある。そのまま使うよりも効率は落ちるけど、ほとんど貯められないものがいくらでも貯められるものになるのは大きい。どうせ自然エネルギーは元はタダなんだし。

で、件のページにそーいったことがまとめて説明してあった。いろいろ微妙な記述もあるけど、「啓蒙」には学術的な精度よりも、心を打つメッセージと、程々の正しさだ。そういった意味では、まーギリギリ合格点のページかな(上から目線)。

というのはいいのだけど、「R水素が世界を変える10の理由」で一気にドッチラケた。つっこみどころが多過ぎて、どこから書いてやろうか悩んでしまう。

胡散臭さの総合商社

状態だ。その中でも、(3)(4)(5)(6)あたりは、「サヨク団体」の大好物。それで脊髄反射的に表題のことを思ったのだけど、もしかしたら何かの宗教なのかも知れない。(9)とか(10)とか、宗教団体も大好物だからね。

私が左翼的なものが嫌いだってのは、前にも書いた。

私が左翼に距離を置くわけ

なんとゆーか、「良さそうなこと」をやっていると、いつの間にかそれを取り込んで、自分達の思想宣伝の材料にしてしまう。環境保護とか福祉とか、本来政治的には無色のはずのことが、いつの間にかサヨクに取り込まれてしまって、気がついた時にはそういった活動そのものが、サヨクの一部であるかのように思われてしまう。いや、俺は手の荒れない洗剤がその辺のスーパーで売っててくれたらいいなーと思ってやってるだけだよとゆー類のことも、なぜだか「市民団体」の活動になってしまっている。そして、その「市民団体」には「労働組合」の人とかくっついてたりする。

これが「それはそれ」でやっている分には別に構いはしないんだけど、いつの間にか自分達の色に染めようとして行く。

元の話の水素云々ってのは、私は科学とか技術として面白い妄想のネタ、運が良ければビジネスになるかな… といったものとして考えてた。まー、自分でやる暇はないから、それに手を出すなんてことは多分ないと思うけど、どこかが

ビジネス

でやり始めたら、応援したいなーとか、そういったことは思ってた。あるいは、そういったベンチャーが現れる可能性だってあるんじゃないかとも思う。ビジネスになりそうな計算はいくらでも出来る。

ところが、これが「サヨクの政治活動」に矮小化されてしまうと、その可能性は限りなく0に近付く。早い話が

色着きで胡散臭い

ことになってしまう。

かつて「自然保護」ってのは、そういったサヨクの色のついた胡散臭いものだった。ヒッピーみたいな奴等が、小汚い格好で石鹸とか売ってる。そんなものだった。それはメッセージとしてはピュア()だったかも知れないが、大衆の支持を受けることはなかった。なんせ、サヨクの色が着いてるし、やってる連中から漂う空気が胡散臭い。

それから随分たって、いつしか「自然保護」は「企業メッセージ」になった。「地球にやさしい」とか、宣伝文句の一つとなった。小綺麗なタレントがテレビで「環境を考えてます」的な話をしたりするようになった。それはメッセージとしては商業的なものに毒されていたかも知れないが、大衆の支持を受けた。個々の効果を見れば「薄い」かも知れないが、一般に浸透した分効果の総和はこっちの方が大きかっただろう。

つまりはそーゆーことだ。どんなに良いものであっても、「サヨク」の色が着いたり、「平和」みたいな言葉がくっつくと、一気に胡散臭くなって大衆の支持を受けなくなる。あるいは、ピュア()を求め過ぎると、大衆はついて行けなくなる。

だから、こういった「良い(かも知れない)こと」ってのは、サヨク的なものにくっついたら、大衆に届かなくなる。当の「サヨク」にとっては、そーゆー「良い(かも知れない)こと」を通じて自分達のメッセージが伝わるのは良いことだろう。でも、「良い(かも知れない)こと」の方にしてみれば、そういったものがくっつくことで、メッセージは伝わらなくなってしまう。

悪いことは言わんから、「良い(かも知れない)こと」に、サヨクは関わらないでくれ。君達がいると、一気に物事が胡散臭くなり、思想宣伝のレベルにまで矮小化されてしまう。君達の応援は

はっきり言って邪魔

なのだ。

PS.

考えれみれば、私が左っぽく思われていることと、サヨクが嫌いなのは無関係ではない。私は思想と関係なくサヨクが好みそうなものを好きなことが多い。ところが、私は思想関係なく好きなのに、そこに思想を持ってる人達がやって来て荒らして行くと思ってるから、「左っぽく見えているけどサヨクが嫌い」ってことになるわけだ。同族嫌悪とはちょっと違うね。