「啓蒙」「布教」「善行」から離れると、ネットは居心地がいい

まーT/Oなんだけど。

佐々木俊尚氏に絡む広告業界の人たち(第一幕)

を見ていて気がついたこと。

「善行」ってのは実はたいてい偽善だったりする。だから、「名前」とか「看板」を維持することは大事だ。いや、それが悪いわけじゃない。世の中のたいていの「良いこと」ってのは、

自分にもメリットがあること

でなければ、持続可能ではない。だから、「偽善行為」はもっと評価されるべきだと思う。

「名前」や「看板」を維持しながら、「啓蒙」とか「布教」といった行為をすると、なぜだかネットで絡まれる。面倒臭いのでスルーすると、

批判には耳を傾けないのか

的なことを言われ、無理やり相手することを求められる。「啓蒙」の類は、なるべく支持者を増やそうという行為だから、あまねく相手をすることを求められるわけだ。さらにそこに

○○(善行)のくせに無視するのか

みたいなことを言われる。「○○」はたいした善行でなくても、たとえば何かに執筆してるとか、コンシューマビジネスをやってるとか、そういったものでも対象にされる。無敵の人達って怖いからねー。

そこで一番楽な解決は、それらから離れること。まー、完全に離れなくてもいいんだけど、ネットには見せないこと。まー、みんながそんなことをやると、暗い未来しか思いつかないのだけど。

ある程度ネットに露出してると、自分に好意的な人達の相手をするだけでも、時間は足りないんだよ。いきなり罵倒する人達とか、語りあえばわかりあえる可能性もあるし、スルーしてる人達よりはそれに近いんだろうけど、そんな暇なんてない。面倒臭いからブロックしちゃう。そう考えれば、レトリックの類であっても、

いきなりの罵倒

はしない方がいいってことがわかると思う。まぁ、罵倒に罵倒が返って来ても嬉しいって人はいるだろうけど、それは運がいい方だ。