生きてるうちに言ってやれよ

伊良部とゆー人がが死んだそうである。野球はからっきしなんで、どんな人か知らんけど。

で、いろんな記事が出て来てるんだが、とりあえず1つリンク。

伊良部さんは「永遠にヤンキースの家族」 球団が声明文

いろいろと心温まるいいメッセージが出ているようなんだけど、これらを見て思ったのは、

生きてるうちに言ってやれよ

だ。


よく知らん人で自殺らしいんで、あんまり人物がどーだとか言うつもりはない。ただ、いろんな記事を見て思うのは、そういった「いい言葉」は生きているうちにかけてやれよと。もしその「いい言葉」が彼が生きているうちにかけられていたら、自殺なんてしなかったかも知れないじゃん。

とかって話をtwitterでしてたんだけど、そしたら@hikarusさんが

@ogochan 終戦直後、職業軍人の奥さんと子どもが焼け出されて、電話ボックスに身を寄せたが、食べるものも飲み物も入手できず、3人とも死んだら、みんなが電話ボックスにお供えし始めたという話があった。あれから66年。

@ogochan こないだの大阪二児餓死もそうだったよ。部屋の前にお供え多数。。。

という話をしていた。「お供え」とか、生きてるうちにもらったら、死なずに済んでたかも知れないのに。

宗教的にそうなのかどうなのかよくわからないし、それが「日本人」だからかどうかのか知らないけど、どうも

死んだらいい人

みたいなものがあって、死んでからだといろいろしてもらえるようだ。「惜しい人をなくしました」みたいなそーゆーのだ。惜しいと思ってるなら、死ぬ前に何とかしてやれよ。

そしたら、@daigoさんが

@ogochan 1回だけ供え物をすれば免罪されたという気分になるからでは。生きているときだと継続的に食事を提供しないと、やはり死んでしまうので負担が大きい・・・ということでは。

とか言ってたんで、なんとなく納得。つまり、生きてる間にいろいろしてやると、それには「責任」が発生してしまうものだから、それを避けたい。とは言え、人には「善行欲」みたいなのがあって、いいことはしておきたい。となれば、死んだ時ってのは絶好のチャンスだと。そう言えば、「タイガーマスク事件」も似たようなところがあるな。

そうしてみると、冒頭の「心温まる話」ってことの深層が見えて来る。つまり、

「善行欲」を満たすための
リップサービス

だってことだ。死んだ人に何しても、責任は発生しないし、何か要求されたりもしない。面倒なことはあまり起きない。でも、「いいこと」はした気になれる。

「いや、そんなことはない。心からの言葉だ」と言いたいんだったら、

生きてるうちに言ってやれよ

だって、死んでからそんなこと言われたって、本人には何の得にもならないんだから。生きてるうちに聞いてたら、生きる励みになるだろうし、言われた感謝の言葉を返してくれるはずだ。まぁそんなことを死んでから言いたいと思うのは勝手だし、それ自体は自然な気持ちだろうが、それを言葉にするのは

いい人アピール

に過ぎない。

抹香臭いオマケをつけ加えると、キリスト教で忌み嫌われる「偶像崇拝」ってのは、そういったことである。つまり、「いい人」そうに見える姿を見せるために、本来「無」であるものを崇拝している様子を見せる。それは「信仰」の類ではなくて、「いい人」っぽく見せるための自分のための行動だと。

抹香臭いことはさて起き、もし誰かが死んでしまった時に「あの人はいい人でした」って類の言葉を発したいと思ったら、それは生きてるうちに言っておく方がいい。不慮の死の時に「相談してくれれば」の類を言うつもりだったら、普段からそうしてやれ。

まぁ、俺がそうされたいんだけどさ。