根本正の写真

根本正(ねもとしょう:1851-1933)
未成年の禁酒・禁煙法の父、根本正の生涯
お酒は20歳になってから
はいかにして成立したのか
by Tadashi Nemoto

based on the story by Dr. Jyneji Khato

Ver. 2001.10.10
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根本正ってだれ?

〜21世紀のまえがき〜

 根本正(ねもとしょう)と聞いてもまず誰も知らないでしょう、と言う書き出しで1997年の冬にこのウエッブページははじまりました。その後、インターネットの爆発的普及とインターネット技術革新により、実にさまざまな方が訪れてくださるようになりました。また、他のメディアでも紹介されたり、各種サーチエンジンにも登録していただき、だんだんに根本正の人生を知る人の増えて来ていることは喜ばしいかぎりです。

 根本正その人は、近代日本の歴史のなかで奮闘した実在の代議士です。それも終生一人の選挙違反者も出さず、晩年に金権候補に破れ落選をすると、「落選を感謝す」というリーフレットを有権者に配ってその政治家としての歴史を自ら潔く閉じた硬骨漢です。

 政治家が目先の権益だけでなく、世界に伍してはばかることの無い日本を作り上げようと奮闘していた時代はまさに今の日本と重なります。昨今の政治家とおおいに違うのは明治期の政治家たちは政治の世界で本懐を遂げた後は野に下って事業を興し、そこでも活躍したことでしょう。状況の変化の激しい今日の事、山積する喫緊な課題の解決のため、100年の計など難しいのかもしれません。しかし、歴史の風化に耐える政策、施策を執り行うことも政治家の使命です。現在の政治家も正の人生に学んで欲しいものです。

 全体の為に個は何をすべきかという行動規範を文化として内包する日本人はよく何を考えているのか分からない、と外国人から評されて来ました。今日、米国人は 大リーグで大活躍する日本人にフェアに喝さいを送ります。チームのために何をすべきか、その行動が受け入れられているのです。この、個人の主張を徳として押さえ、世界全体のために行動できる日本人の基質を元手に、近代化の黎明期で100年をもって風化することの無い青少年健全育成の基を築いた「フェアで有り続けること」を旨とした根本正の伝記をここに公開いたします。

さて、根本正と言う人物にもどりましょう。彼は江戸から昭和のまさに激動の時代を生きました。
どんなことを成し遂げた人かというと...

それぞれおもしろいエピソードですがインターネット版執筆に際しては筆者の力量不足がゆえに、描き込めない部分もたくさん有りますのでご容赦ください。

正の常日頃のせりふが

この世からガンとボットルをなくさなければいけない...

つまり、

世のなかかから拳銃と酒ビンをなくさなければいけない。ということでした。酒の好きな筆者にとっては辛いことですが、彼の渡った「先進国アメリカ」での経験は、大口径の拳銃をぶら下げ、バーでストレートのウイスキーあおる西部劇のような時代に始まったのでした。日本で代議士となった彼は日本のことだけでなく常に世界全体のことを考えていたのです。敬虔なクリスチャンとしても知られていました。そのためにヘボン式ローマ字を考案した宣教医ヘップバーンとも交流があったのです。


仙台市にお住まいの内科医でアルコール依存症の診療を行っていらっしゃる加藤純二先生(医学博士)はふと考えたそうです。未成年の禁酒を定めた法律はどうやってできたのだろうか。そこで出会ったのが国会の黎明期の衆議院議員根本正の人生だったのです。診療の合間を縫って地道な取材を続け、根本正伝を出版されました。真の労作、現在もっともまとまった根本正の伝記といえます。

また、このウェッブページ作成に際しましては先生のご好意により、根本正伝おおいに参考にさせていただき、一部利用させていただきました。先生ご自身もウエッブページを開設されていらっしゃいます。ご自身へのお医者様としての思いが伝わってきます。

加藤純二先生連絡先
加藤内科医院
983 仙台市宮城野区宮千代1-2-9

こちらで加藤純二版根本正伝が手に入ります。

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