| 未成年の禁酒・禁煙法の父、根本正の生涯
はいかにして成立したのか by Tadashi Nemoto based on the story by Dr. Jyneji Khato |
根本正ってだれ?
〜まえがきにかえて〜根本正(ねもとしょう)と聞いてもまず誰も知らないでしょう。根本正その人は、近代日本の歴史のなかで奮闘した実在の代議士です。それも終生一人の選挙違反者も出さず、晩年に金権候補に破れ落選をすると、「落選を感謝す」というリーフレットを有権者に配ってその政治家としての歴史を自ら潔く閉じた硬骨漢です。
政治家が目先の権益ではなく、真の日本の未来を考えていたころの根本正という人物は、今日すでに誰からも忘れ去られているものとばかり思っていました。しかし、最近になって彼を再評価する動きがあることを知りました。
筆者も那珂町木倉集落の一員、根本正の縁者ですので、幼時より正にまつわる話をお伽話のように聞いて育ちました。根本家に伝わる家系図によれば古くは藤原鎌足に繋がり、江戸時代は徳川氏により秋田に左遷された佐竹氏の家臣だったのです。それがもとで今だに正月飾りを飾らないというしきたりが残っています。
さて、根本正と言う人物にもどりましょう。彼は江戸から昭和のまさに激動の時代を生きました。
どんなことを成し遂げた人かというと...
- 未成年の飲酒を禁ずる法律をつくった。
- 未成年の喫煙を禁ずる法律をつくった。
- 義務教育を無料にする法律をつくった。
- ヘボン式ローマ字の普及を国会で説いた。
- 南米移民などの海外調査・視察をおこなった。
- 水郡線を敷設した。
- 高層気象台を建設した。
- 禁酒運動を推進した。
- 普選運動を推進した。
- 婦人参政権の獲得に尽力した。
- 利根川治水に尽力した。
- 国語審のもとをつくった。
それぞれおもしろいエピソードですがインターネット版執筆に際しては力量不足から、描き込めない部分もたくさん有りますのでご容赦ください。
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そこが更新されますので、まずご一読下さい。正の常日頃のせりふが
この世からガンとボットルをなくさなければいけない...
つまり、
世のなかかから拳銃と酒ビンをなくさなければいけない。ということです。酒好きな私にとっては辛いことですが、彼の先進国アメリカでの経験は、大口径の拳銃をぶら下げ、バーでストレートのウイスキーあおる西部劇のような時代に始まったのでした。日本で代議士となった彼は日本のことだけでなく世界のことを考えていたのです。敬虔なクリスチャンとしても知られていました。そのためにヘボン式ローマ字を考案した宣教医ヘップバーンとも交流があったのですね。
目次
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- 出生
- 文教の地、水戸へ
- 人力車夫で学費をかせぐ
- 貨物船で単身渡米す
- 28才の小学生
- バーモント大学入学とビリングス氏
- 38才で政治を志す
- 未成年の禁煙法成立へ
- 未成年の禁酒法案を提出す
- 未成年禁酒法の成立
- 我田引鉄?〜水郡線の敷設の努力
- 政治生命の終焉
- 終章
- 番外編
- 根本正の日常(聞き書き)
- 根本正の日常2(根本可茂)
- かな版ねもしょうのおはなし ---かなと数字がすこし。小さい子がよめるよう2色です。
- 企画(案) 国家百年の計---ねもしょうの人生を軸にした映像化企画 ざっと考えたのでリンクはここだけ
- ねもしょうとわたし ---あとがきににかえて
仙台市にお住まいの内科医でアルコール依存症の診療を行っていらっしゃる加藤純二先生(医学博士)はふと考えたそうです。未成年の禁酒を定めた法律はどうやってできたのだろうか。そこで出会ったのが国会の黎明期の衆議院議員根本正の人生だったのです。診療の合間を縫って地道な取材を続け、根本正伝を出版されました。真の労作、現在もっともまとまった根本正の伝記といえます。
また、このウェッブページ作成に際しましては先生のご好意により、根本正伝おおいに参考にさせていただき、一部利用させていただきました。先生ご自身もウエッブページを開設されていらっしゃいます。ご自身へのお医者様としての思いが伝わってきます。
下の連絡先をクリックすると新しいウインドウが開き先生のホームページへ 加藤純二先生連絡先
加藤内科医院
983 仙台市宮城野区宮千代1-2-9
こちらで加藤純二版根本正伝が手に入ります。
禁酒・禁煙法の父、根本正の新着情報コーナーを作りました。
関係連絡先一覧もあります。