フタル酸エステルと住まい


 フタル酸エステルというのは人類が作り出した物質です。年間200万トンも作りだされて消費されています。物質というのはちょっと誤解があって、正確には物質群、つまりフタル酸というベンゼン環にカルボキシル基が2つついたものとアルコールのエステルです。代表的なのはエチルヘキシル(ジ-オクチル)エステルとなっているDEHPまたはDOPと言われている物質です。エチル、ヘキシル、オクチルれぞれ炭素数2、6、8を意味しています。「ジ」というのは2つくっついているという接頭辞です。エステル、というのはポリエステル繊維のエステルというのと同じで酸とアルコールから水がとれてくっついたものです。
 実はこれは化学の知識のある人であればあるほど誤解を招く略称です。Chemfinderで"dop"を検索してみましょう。本を並べると背表紙の厚さが5メートルを越えるということで、世界最大の目次、といわれているケミカルアブストラクトの登録番号が 117-81-7です。これがDEHPまたはDOPです。エチルヘキシルというのが2+6で、オクチルというのが8である、という算術が誤解の原因です。検索して出てくる構造式をみて頭痛を感じる人がいらっしゃるかもしれません。この図は「特に重要でない水素は省略され、炭素は折れ線の角または先端として表される」という省略標記のもとに描かれています。炭素は4本、酸素は2本の結合手を持っていますから、この構造式には特別な水素がないのでOxygen(酸素)だけが文字として見えています。線の先端には3個の水素がついているのですが、書いてありませんね。さて、この図のカクカクとしたところと折れ線の最後を数えると6個の炭素に2個の炭素のつながりが枝分かれしている、ということがわかります。これが2+6、エチルヘキシルの意味です。
 このChemfinderはとても素晴らしいサービスで毒性データなどへのリンクをたどることができますので英語にチャレンジ出来る方はたどってみて下さい。

 住まいの中でDOPなどのフタル酸エステルが使われるのはどこでしょうか?「塩ビ」は「塩化ビニル」の略ですね。いえ、それでも不正確。正確にはポリ塩化ビニル樹脂、です。このプラスチックの一種へ可塑剤、つまり柔らかくするための添加剤として多量に使われています。
 ちょっと脱線しますが、ことばの正確な使用を念頭に置かないと議論がすれ違ってしまうので、断っておきます。日本ではプラスチックを一般に「堅い」樹脂と言う間違った認識が出来ていると思います。じゃ柔らかい樹脂の袋は一まとめにビニール袋、なんて言っていませんか?スーパーのビニール袋は英語ではプラスチック・バッグと言うように、ポリエチレンもポリ塩化ビニルもプラスチック、です。また、ビニルというのも特定の素材を表すものですので、いろいろな材料で出来た袋をまとめてビニル袋と言うのもあんまり行儀のいいまとめかたではありません。あくまでもビニルはビニル基という有機化学でいう官能基を示すからです。
 ポリ(重合した)ビニル(ビニル基の)クロライド(塩化物)、(いえ塩化ビニルのポリマーですか)を略してPVCと書いて有ることがあります。PVCという言葉から塩ビと同義であるという認識は実は非常に薄いのではないでしょうか?消費者としては注意が必要です。
 ついでですがペットボトルのPETはポリエチレンとテレフタル酸(フタル酸の構造異性体の一種)の共重合物です。重合してしまっているので、危険は無いとされています。でも、破綻しているんですよね、リサイクル。製造者に責任を問わずに税金と法律でリサイクルしようとしたら、こりゃいいやと大増産に。結果、破綻。ペットボトルはやめてリターナブルガラス瓶を使いましょう。はっきり言ってペットボトルは今のところ燃やして熱量を利用するのが一番コストがかからないリサイクル、です。

 もとにもどします。住まいの中では、塩ビ製の壁紙、床材や扉の合板の木目プリント、電気配線の被覆、水道管、椅子の座面などに多用されています。塩ビ製バッグや玩具も多数ありますから、ちょっと気を抜くと塩ビだらけです。私は住まいの構成物から徹底的に塩ビを排除するよう努力しましたが、明示的に諦めたのは屋内配線の被覆と椅子の座面は塩ビです。「屋内配線はエコワイヤーで」と指示することを忘れたのです。とりあえず配線は壁面内なので揮発分だけですし、椅子にはカバーをして直接触れないようにします。たとえばDOPの沸点は350度を越えますから、室温での蒸気の分圧はそれほどでもないので、計画換気で対応できるでしょう。塩ビ自体は素材としては着色性や加工性が高くて水に強いので、便利なんでしょうね。外回りには雨どいを始め、たくさん使われています。

 注意しなければならないのは、塩ビの可塑剤は小さい子、特に胎児期、乳幼児期の雄性生殖器が影響を受け、成人して障害を持つかもしれないと報告されています。たとえば米国のNational Toxcology Program(NTP)での調査では胎児や新生児、乳幼児が診断や食事の時などからフタル酸エステル類を可塑剤に含む手袋などと接触することによる深刻な影響を危惧しています。wired newsの記事があります。日本語訳記事はかなり端折られてしまっていますので、リンクしません。
 ほかでも触れましたが、長期に亘る毒性試験は行われていません。また、人生の有る時期の暴露(化学物質を含む環境にふれること)が将来深刻な影響を与えることが危惧されていることは覚えておいていいでしょう。わたしもフタル酸エステル類の毒性に関しては、生活している程度であれば、多分、大丈夫、と言います。でも、多分、なんです。そう言っても出来るだけ、住まいからは排除しました。

 実際、何を分析してもフタル酸エステルはそこら中からでてきます。質量分析計という装置で分析するとベンゼン環構造を示すイオンである77という数字と共に、フタル酸無水物イオンを示す149という数字が必ず出ますので、すぐにそれと判ります。果汁や製品の移送に塩ビパイプを使っているのでしょう、ワインなんかにもけっこうたくさん入っていますし、天然の川魚からも検出できます。精密な化学分析を行なおうとする分析化学者を悩ます、どこからともなく現れる妨害物質の常連、それがフタル酸エステル類なのです。


自立住宅(旧)2000.07|Mod.2000.07