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| 写真展の際、私のHPを見ていらしてくださった方の中に、小さな声で「あの、HPのこと、話しても大丈夫ですか?」とわざわざ断ってくださる方々がいらっしゃった。何をわざわざ断る必要があるのだろうと思いながら笑って頷くと、性犯罪被害についてのお話だった。カウンターの席に座りながら、その人たちは声を小さくひそめ、他の人たちに聞えないようにと気遣って話をしてくださる。 家に帰って、パートナーに、それって声を小さくして話すことなんだろうかと問うたところ、そりゃ普通はそうだな、と笑われた。 「でも自分が悪いことしたわけじゃないのにどうして?」 「わざわざ自分から性犯罪被害者だって言って回る必要はないからだろうな」 「そりゃそうだぁね。でも、問われたらそうですって答えるのは変なのかな」 「うーん、たいていは隠すんだろうな、それが一般的な考えだろう」 「隠さないのはおかしい?」 「おかしいと思えるのが常だろうな」 言われてみて、常識を新たにしたのは私くらいなのかもしれないなぁと思いながら。 そう、言われてみれば、そういうものなのかもしれない。私は、自分は性犯罪被害者だということを自分で受け入れることから発していたからあまり気付かなかった。 私にとって何より難しかったのは、自分がそのことを受け入れることだった。周囲に知られたくないということも最初はもちろんあったが、それより何より、自分がそういう被害を受けたという事実、被害者となってPTSDを抱え込んだという現実、日常を当たり前に営むことが困難な状況である自分自身、といったものたちを認める、受け入れるということが何よりも何よりも難しかったのだ。 認めたくない、誰が何といおうと認めたくない、認めてしまったら、一度認めてしまったら私は足元から全て崩れてしまうのではないか、と。 自分がそれらをしかと受けとめなければ何も始まらないのだということを知らずに。足掻いていたのだ。 こうしたことも、今だからおのずと省みることができるというもの。 周囲の理解はあるにこしたことはない。だから、そうした犯罪被害、また児童虐待についてなどもっともっと理解される環境になったらいいと思う。 同時に、 周囲がいくら理解を示しても、自分が自分の現実を逃げずに受けとめることができなければ、何も変わらない。 己の一歩は、己が足でこそ踏み出されるもの。 |
| 2001.8.2 Thu. |
| パートナーが留守の夜は 妙な緊張からか目がらんらんと おかげで夜通し本を読むことができました Delete key を押せば一瞬にして 消去可能な程度の関係なら 最初から要りません 記号の記録より紡がれた感情が データの堆積より営んだ費やした時間の堆積が 私は大事です |
| 2001.8.3 Fri. |
| 昨夜から手紙を書き始めて、何度も書き直して、 そのたび書き直すほどのことを書こうと思っているわけでもないのにと苦笑し、 けれどまた書き。 そうして既に一日が経とうとしており。 街から湯気が立ち上りそうな暑さに 眩暈を覚えながら いつ書き終えられるかなぁなんて悠長に思ってみたりもする。 何が何でも、今すぐに書き終える必要がある手紙でもなく。 ただ元気ですか、どうしていますか、と それだけの手紙であり。 それでも手紙をこの手で書きたい相手であり。 そうして今夜も更けてゆく。 こういう心持は、ちょっと歯痒いけれど 同時に 適度に心地よいもの。 |
| 2001.8.3 Fri. |
| 今朝の私は、変な奴であった。 昨夜のパニックが尾を引いたのか、朝起きあがろうとしても身体が起き上がらない。娘の泣き声が途切れ途切れ何処かで聞える。その方向を見ようと目をやるが視界も曇ってよく見えない。右手、左手と這っていき、柱につかまって立ちあがろうと頭を上げた途端。 ぐぅぅぅっと頭が重くなって、 気付いたら目から火花が散っていた。 要するに、後ろにひっくり返ってしまったのである。 ゴツンと私の頭が床に当たる音でパートナーがびっくりして起きあがり、 変な顔をして床にひっくり返っている私を覗きこむ。 何やってんの? かえるがひっくり返ったような格好でうめいている私を上からみたら、そりゃぁ「何やってんの?」だっただろうなぁ、と。つくづく思うわけで。 でもそのときは、うちつけた後頭部のあまりの痛さでただうめくばかりで。 その後、何とかして起きあがったものの、どうも後頭部をぶつけた際、首の筋をおかしくしたらしく。 現在私の首は、曲がらない。右を向くにも左を向くにも、身体ごと移動せねばならない。 あぁ、朝から何をやってるんでしょうか、私は。 泣いていた娘がびっくりして泣き止むほどに、私の格好は滑稽だったということか。 ははは。えーん。 |
| 2001.8.7 Tue. |
| 最近少なくなった、裏が白紙の広告を繋げて作った横長の、 細長い大きな紙の両端をセロハンテープで床に貼りつけ、娘とお絵描き。 紙の上なら何処にでも描いていいよーと色鉛筆を渡すとカクカクと線を描く娘。 せっかくだから私もと紙の上に娘が喜びそうな猫やら犬やら描いてみる。と。 娘は私が描くそばから線でその絵を潰していく。 いいもん、次の絵描くから、と、場所を移ると、彼女も移動。 描く場所だけじゃなく色鉛筆も取り合いとなり。 私が赤をとれば彼女は私の手から赤を取って描き。 じゃぁと青色をとれば彼女は再び私の手から青色鉛筆をとって描き、という具合で。 ぐるぐるぐるぐる紙の上を追いかけっこ。 私が描いた耳の立った犬の上には緑色の線がぐちゃぐちゃ。 私が描いた黒猫の上にはピンク色の線がぐちゃぐちゃ。 私が描いた耳の垂れた犬の上には青い線がぐちゃぐちゃ。 私が描いたぶち猫の上には黄色い線がぐちゃぐちゃぐちゃ。 ぐちゃぐちゃ ぐるぐる ぐるぐる ぐちゃぐちゃ まさか紙の上で追いかけっこになるとは思わなかったよ娘。 この紙、記念にとっておこうね。 また大きな紙作って遊ぼう。 |
| 2001.8.9 Thu. |
| 世間様は盆休みだそうで。 渋滞39キロとかニュースが喋ってました。 みんなたいへんだなぁ。 うちは自宅でごろごろ。何処にも出かける気配なぞありません。 みんなごろごろ、猫もごろごろ、家族全員ごろごろごろ。 夕飯のメニューが思いつかない私に痺れを切らした旦那の提案により、吉野家へ牛丼買いに行く。 持ちかえったパックの蓋に、ツユダクと描かれた赤いシールが。 ツユダクシールなんか作ってるんだ、吉野家。初めて知った。 ひゃっひゃっひゃ。ツユダクシールだ。と、意味もなく笑いながら食べてみる。 作っておいた茄子とたまねぎの味噌汁と牛丼。 片付けも楽ちん。 いいなぁ、たまには、こういうのも。 ごろごろごろ。ごろごろごろ。 ナマケモノより怠け者になってみる日。 ごろごろごろ。 |
| 2001.8.12 Sun. |
| 台風が近づいているらしく。おかげで風が涼しくて。このまま秋になってしまわないものかと願わずにはいられません。 けれど、 今週は、撮影に出かけようと思っていたのに、天気は大丈夫でしょうか。撮影の日だけ雨が降らないでいてくれたら、他には何も望みません。多少の風も、曇もかまいません。雨だけ、降るにしても小雨にしてほしいです。撮影につきあってくれる相手に申し訳ないので。というか、そもそも、撮影ができなくなったらとてもとても悲しいので。 眠っている娘に気付かれないように、娘のそばによって爪を切りそろえながら。 こんなふうにしていられるのはあとどのくらいなのだろう、と、ふと思う。 このぷにぷにほっぺに触っていられるのも、 このむくむくの太ももに触っていられるのも、 おむつをかえるたんびに娘と追いかけっこしていられるのも、 あとどのくらいなのだろう。 時間というものは実に不思議だ。 規則正しく流れているはずなのに、 人の心持ちによって、流れ方その感じられ方があまりに違う。 すべてはその人の、心次第、ということか。 |
| 2001.8.20 Mon. |
| せっかく台風が来てくれたのに。楽しみにしてたのに。 まさにあっという間に過ぎてゆき。 確かに、撮影の日は晴れてほしいと願ったものの。 もう少し、涼しい日々が続いてくれたらよかったのに、と、やっぱりないものねだりなんでしょうか、こういう願いって。 夏はいやです。日差しがキライです。このじめじめとした湿気がキライです。 …わがままな私。 裏の公園を歩くと、道端に蝉の抜け殻と一緒に蝉がぽとぽと落ちています。夜でもずっと鳴いている蝉の声を聴きながら、命短し蝉の声なんて思ったりします。それは生き急いでいるのか、それともまさに命を全うせんということなのか、足元に腹を見せて転がっている蝉をしゃがみ込んで眺めながら、どっちなの、なんて尋ねてみたりして。 どっちであっても、夜通し身体いっぱい鳴き続けている君らの声は、確かに私の耳に届いているよ。 そうして私はやっぱり思うのだ。 夏が早く終わればいい、と。 |
| 2001.8.25 Sat. |
| 最近娘が、猫写真に目覚めたので猫写真集を買いました。ひゃあひゃあ声を上げて喜ぶので、なんだか悔しくなって自前の猫写真を集めて小さな猫写真集を作りました。カラーでもモノクロでも猫は猫です。娘は特上の笑顔で喜んでくれて私も嬉しいなぁなんて思っていたのですが、あっというまに猫写真集はばらばらになってしまいました。あぁ怪力娘よ。物を壊すのが大の得意です。でもまぁいいや、また作ろう。 ところで夜が涼しくて。とってもうれしいにのみやです。いやぁこのままどんどん涼しくなってくれないかなぁ。 いきなりですが、ビョークの新曲を聞きながら。この人の声が持つ力ってすごいねーと言い合ってる真っ最中に旦那が一言。 この人の名前さ、ビョークじゃなくてビョーキって読むんじゃないの。 …おいおい、旦那、そりゃないぜ、 って、私も笑ってるけど。 先日鍼に行った折、先生がいつもの口紅じゃない濃い色の口紅をつけていたので。あー、先生、今日口紅ちがうー、かわいくなったー、と言いましたら、先生から一言、 にのみやさんは今日もすっぴんね、時々はお化粧したら? と笑われました。 はい、今日もすっぴんです。 口紅くらい、月に数度はつけようかといつも思うのですが。 …努力はしてみよう、努力は。と、思う毎日です。 |
| 2001.8.26 Sun. |
| 希望 あることの実現を願い望むこと。また、その願い。のぞみ。「希望がかなう」 将来によせる期待。見通し。「希望を失う」 希望を持つことって難しいね、という友達の言葉を聞き、改めて希望という言葉を省みてみる。希望、希望、希望。 あることの実現を願い望むこと、またその願い、のぞみ、が希望だとしたら、私にはそういったものは何かあるだろうか。 将来によせる期待、見通し、が希望だとしたら、私にはそういったものはあるだろうか。 正直、どちらも怪しい。 確かに今、私は生活というものを営んでいて、共に暮らすパートナーと娘と共にその日常を営んでいて、それは今、私の生活で。 確かにそうなのだが、同時に、 いつそれは失われるか分からないのだ、という思いが常に常に私の心の中に在る。 うまく言葉で表すことができないけれど、私は自分に関わる全ての事に対して、多分そういう思いを抱いている。今こうしてあるけれど、次の瞬間失われ命の炎が消えてしまうかもわからないのだと。そう、あれ以来。あの事件以来。 あの日あの時、思ってもみない場所で思ってもみないときに思ってもみない相手から突如襲われ、犯罪被害者となり、その後の私の日々がまさにそれまで思ってもみなかった毎日にいきなり変貌してしまったように、 私の今は、私の今日は、私のこの生活は、 いつ同じように私の手から消えてなくなり二度と戻ってこないものとなってしまうか知れない、と。 それが恐怖かといえば恐怖ではなく、 ではそれが恐怖じゃないのかといえば、やはり恐怖かもしれず。 そのどちらでもあって、どちらでもない、というのが、私の今思うことであり。 信じられない、常に常に何事も疑ってかかっているのかと問われたら、そうかもしれないしそうじゃないかもしれない、と、私は答えるのだろう。 そうであってそうでない、そうでないと同時にそうである、と。 私のこの掌の、表側には光が射し、裏側には翳ができるのと同様に、私の日常は確かに今日在り、同時にいつ破壊され砂の城の如く崩れ去り海に呑まれてしまうかしれないそういう存在でもあるのだ、と。 だから、 今の私に希望があるかといえば、あるわけじゃない、と思うと同時に、今の私に希望がないかといえば、ないわけでもない、と、そんなことを思う。 でも、 たとえばそれを、自分は希望なんてものを持つことがなかなかできないのだと悲しくなるかというとそんなことはなく。 もし他人から見て私の今の状態は希望を喪失して生きている状態だったとしても、別にそれはそれでいいやと思うくらいで。 あの事件で失ったものははかりしれないけれど、 あの事件を経て、生き延びたからこそ今こうしてここに在るという自分をこそ、今は大事だと思うのであり。 だから犯罪被害者となって、家族の問題なぞも抱え込み、PTSDなんていうたいそうな名前の代物を自分の一部として持ってしまっているけれど、そういう自分が悲しいか、辛いかというと、別に悲しくも辛くもなく、 他人がどうであるかは知らないけれど、いい意味でも悪い意味でも、 いろんなことを経てここにいるこの自分は、こういうふうに感じこういうふうに受けとめるのだ、と、それが(今の)私なのだなぁ、と、 そんなふうに思うわけで。 あぁうまく言葉がまとまらないけれど。 今私の心の部屋は、多分、 明るいかといえば明るいわけでもなく、 でも 暗いのかといえばそれは暗いわけでもなく。 光条はないけれど光の囁きなら聞えるかもしれないくらいの闇にやわらかく包まれているような、 …闇は決して、ただ暗いだけのものではない、 光をほんのりと抱いている、そんなものだと、思う私には、こうやって言葉で表すことはひどく難しく、結局、 もしそれを絵にしたならば多分仄明るく描くしかないだろう、そんな 己の心の空間を省みながら、海の向こうの友へ思いを馳せてみる。 そんな午後。 |
| 2001.8.28 Tue. |
| 日差しがぎらぎら照りかえるアスファルトを自転車飛ばして。日差しはこうしてまだまだ強いけれど空気はもう秋に近づいているんだなあと実感しながら出掛けた店で。 この歳にして、初めて ドライヤーなるものを買いました。 店に並んだ色とりどりのドライヤーを眺め、あんまりたくさん並んでいるものだから、一体どれを買ってよいのかと少々慄き、しばらくただ棚を眺めて時間を過ごし。 仕方がないから棚の左端から順番に全部、スイッチを入れて試してみることにして。 がーーーっと出てくる風も風の音も、みぃんな違うんだなぁと、ドライヤーを使い慣れている人からしてみたら多分奇妙な感慨に耽ったりして。 あっちにしようか、こっちにしようか、お財布の具合はどうか、などなど、いろいろと、迷いに迷って。 お風呂上り買ったばかりのドライヤーを使って短くした髪の毛を乾かしながら。 考えてみたらドライヤーの使い方知らないんだわ、と。 ひとりで苦笑してみたりして。 でもちょっと、ちょっとだけ、照れ笑いもしたりして。 髪をきれいに乾かしベランダに出てみれば、 半分より少し太った、赤味がかった月がぽっかり。西の空に。 ドライヤーを初めて買って、使ってみた夜のこと。 |
| 2001.8.28 Tue. |
| 韓国政府の青少年保護委員会は三十日、十八歳未満の少女に対する性犯罪で有罪が確定した169人の名前、職業などを、官報や自治体の庁舎掲示板、同委員会のインターネットのホームページを通じて初公開したという。その後同委員会のホームページにアクセスが急増しつながりにくい事態が生じたり、また、街では名簿に名前の載った人が襲われたり人間違いで暴行を受けた人もいるとか。 ニュースでは当然、人権についての話題が出るわけで。 かつて加害者だったけれど、何度も性犯罪を繰り返したけれど、成人してから止め、社会復帰している、そういう現在は立派に社会復帰している人間の人権は守らなければ、とかなんとか。たった一度犯してしまった罪を、きちんと償って現在頑張っている人もいるんだから、とかなんとか。 そういうことを聞いていると実に複雑な心持になる。 なるほど。確かに、今、過去の罪を償って一生懸命頑張っている人もいるんだろう。確かにそういう人たちもいるんだ、と、私も思う。 が、 かつての犯罪者がそうやって、頑張れば自分の人権も社会的地位も取り戻すことができるのに対して、被害者側はどうなんだろうか。 私が知っている、私と同様に性犯罪被害者となってしまった女性たちは、何年も何年も時間を経た今だって、その事件で蒙った傷を背負って、日常と闘っている。その傷は目に見えない、決して目に見えない傷であり、だから外側からその人を見ただけでは見つけられない傷であり、けれど、ぱっくりと心の中口をあけているその傷口は今も悲鳴を上げており。 加害者、犯罪者の人権をどうこう言う前に、被害者に対してのサポートがもっとなされていいんじゃないだろうか。 今回の、犯罪者の名前を公表するという現実について、それがいいのか悪いのか私にはわからない。 が、そういうことをするよりももっと、社会が被害者に対して、できることが、しなければならないことが、あるんじゃなかろうか、と、私は思う。 犯罪に対して時効があっても、 被害者の傷に時効はない。 |
| 2001.8.31 Fri. |
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