Diary
[Diary Index]
  2003年08月

31日  昨年に引き続き、今年も無事逃げおおせたので、据え置きです。
16進表記で21。心はいつも太平洋ぜよっ!
・・・解る人には解るネタですた。
[Page Top] [Diary Index]
29日  「全盲の国では片目の男が王である」 Heinz Guderian
ハインツ・グデーリアン上級大将 (1888〜1954)
 だが、全盲の集団の中では、片目の人間は単なる異端者であるとも思う。
[Page Top] [Diary Index]
28日  日頃、メールやチャットをする訳でもなく、それほどつきあいも深くないのに、
困った時だけ突然メールを送ってくる方。労を惜しまずにまずググってみてください。
基礎的な事から応用的な部分まで、大体はネットで解るはずです。
「書いてある事が解らない」という場合は、解らない単語等で更にでググって
調べるべきです。いくらググっても無料ですから、ご心配なく。
基本的に、ある程度のつきあいのある「友人」以外の「知人」以下には、詳しい
アドバイス等を与えるつもりは無いし、俗に言う「教えて君」への対応はもう懲り懲りです。
それでも解らないなら、「友達」や「メル友」さんにでも聞いてください。
あなたに人徳があって、相手に多少知識があるなら、喜んで教えてくれるでしょう。
友人やメル友さんに該当者ナシの場合、能力以上の事だったと諦めてください。
何はともあれ、困った時の「ヘルパー君」にはならないので、あしからず。
こちらは「無料サポートセンター」ではありません。
[Page Top] [Diary Index]
27日  最近、時代劇の再放送を見ていて思ったこと。

水戸黄門】の場合の基本パターン

 1.悪党の所へのり込み、正体を明かさないままチャンバラ
  →「助さん、角さん、ちょっと懲らしめておあげなさいっ!」
 2.一段落したところで印籠提示
  →「静まれ、静まれぇ〜っ!この紋所が目に入らぬか!?」
 3.
全員ひれ伏す
 4.悪行の暴露→一件落着の哄笑
 5.ハチ平のうっかりw


暴れん坊将軍】の場合の基本パターン

 1.悪党の所へのり込み、悪行を暴露したところで正体を明かす
  →「余の顔を見忘れたか?」
 2.悪党、
一旦ひれ伏すも開き直り、もはやこれまで・・・とチャンバラ
  →「このような場所に上様が御成りになるハズがないっ!」
 3.将軍、下っ端を蹴散らした後、ヴォスキャラは斬らず
 4.隠密(男女の2人組み)が、将軍の「成敗っ!」の掛け声でヴォスらを斬殺
 5.ヂィ(田之倉孫兵衛)、将軍のお忍びにヤキモキw






明日使えないムダ知識をあなたに



【徳川光圀】(1628〜1700)
水戸藩第2代藩主。儒教倫理に基づき、修史を企て、彰考館を建てて多くの学者を集め、
水戸学の基礎を作った。1657「大日本史」編纂。

徳川光圀

【徳川吉宗】(1684〜1751)
徳川8代将軍。紀伊藩主徳川光貞の第3子。最初、越前丹生3万石の藩主になるが、
兄の死によって紀州藩主に迎えられる。1716年、(7代)将軍家継の遺言により
将軍となった。これまで新井白石が推進していた文治主義から武断主義に改め、
享保の改革を断行。殖産興業に努め、幕府中興の英主といわれる。
米価安定に腐心したことから米将軍と言われた。
徳川吉宗
参考資料:坂本太郎監修 『日本史小事典』
[Page Top] [Diary Index]
26日  「自由」というものには必ず「責任」が伴う。
責任を放棄していながら、自由を享受する権利はない。
責任のない自由というものは幻想であって、擁護された檻の中で、限定された
自由を与えられ、それを「自由」だと錯覚していきがっているだけなのだ。
そんな、飼われているネズミ程度の自由で満足しているのであれば、
最初から、前に立って主張するんぢゃねーよ。
[Page Top] [Diary Index]
25日 産んでもらった事を感謝した事はありますか?
生まれてきた意味を考えた事がありますか?
では、生まれてきた罪を懺悔した事がありますか?
[Page Top] [Diary Index]
22日  「高雄」級一等巡洋艦(重巡洋艦)の3番艦。
太平洋戦争開戦時は南方部隊の第二艦隊第四戦隊に
所属してフィリピン攻略の支援作戦に従事。第一弾作戦
終了後は北方部隊の第五艦隊に移り、アッツ、キスカを
占領するアリューシャン攻略作戦に参加。ガダルカナル島が
米軍に奪回され、ソロモン地区が風雲急を告げてくると
再び第二艦隊に戻り、南太平洋海戦、第三次ソロモン海戦
などに参加した。ラバウルに在泊していた昭和18年11月5日、
米機動部隊の爆撃を受けて中破し、内地に回航されて
損傷の修理と同時に大幅な兵装の改変を行った。
修理・改装完了直後の昭和19年6月、マリアナ沖海戦
参加、続いて比島沖海戦に参加すべくブルネイ泊地を
出撃したが、昭和19年10月23日、パラワン島沖で
米潜水艦「デース」の雷撃を受け、わずか8分で沈没した。

 映画「火垂るの墓」で、清太と節子の父親が乗っていた
という軍艦について、調べてみた。劇中では、清太が
日本の敗戦を知った時に、連合艦隊には艦艇など
残っていないと聞かされ、父が死んだと思うだけだったのだが、
では実際にこの船はどういった末路をたどったのであろうか。
一等巡洋艦 摩耶

【巡洋艦 摩耶】
完成  昭和7年6月30日
基準排水量  13,350トン
速力  34.5ノット
主兵装  20センチ2号砲6門
 12センチ高角砲4門
 25ミリ機銃8挺
 13ミリ機銃4挺
 61センチ魚雷発射管8門
データ出典:歴史読本別冊『日本海軍艦隊総覧』

 艦隊は進路10度にとった、その直後である。6時57分、「大和」の右前方に位置していた
「摩耶」が爆発した。宇垣が考えていたとおり、敵潜には僚艦がいたのである。
しかもこの敵潜は、宇垣の考えていた裏の裏をかいた攻撃を行ったのであった。

 このとき「摩耶」では、「各員交代で戦闘服に着替え」との命令がスピーカーで
伝達されていたので、それぞれ防暑服からカーキ色の戦闘服に着替えているところだった。
艦橋では大江覧治艦長が、双眼鏡を目に当てて右舷後方を監視していた。
水測員から、右舷後方に怪しい音源があることを、2・3回報告してきていたからである。
そのため一般の警戒も右舷に向けられていた。

 そのとき突然、水中聴音室から緊急ブザーがけたたましく鳴り、
「左舷前方に魚雷音ッ」 と報告した。すかさず艦長は、
「面舵一杯ッ」 と下令した。しかし航海長の井上団平少佐は、
艦長下令の転舵方向に誤りがあると判断し、独断で
「取り舵一杯、前進一杯」 と訂正下令した。つづいて、
「左80度、雷跡3本、800、ちかい」 艦橋左舷の見張長が絶叫する。
「取り舵一杯、急げ!」 ふたたび航海長が叫んだ。
しかし「摩耶」の艦首はなかなか回頭しない。艦橋の後部に立っていた主計長の
永末英一大尉は、いたたまれなくなって左舷に駆け寄った。

 海面を見ると、雷跡は4本あった。そのうち2本が艦首方向に迫っていた。
魚雷は、海中でぴょんぴょん跳ねているように見えた。
深度は浅い、このままでは命中する。
「向ってくる、ちかい、ちかい!」 見張長が絶叫した。永末大尉は足踏みしながら、
「早く、早く・・・」 と叫んでいた。早く回頭しろと、大尉は艦に叫んでいたのである。
ようやく艦に回頭の惰力がついたとき、魚雷は舷側下にもぐり込んだ。

 がくん、と「摩耶」は震動し、舷側に火柱が立った。
「当った!」 永末大尉はその場に身をかがめた。たてつづけに激しい衝撃が四度、
艦を揺るがした。と思う間もなく、大尉の背中にどっと海水が打ちつけてきた。
立ちのぼった水柱が崩れて艦橋いっぱいに降り注いだのである。
魚雷は左舷の錨鎖庫、一番砲塔下、第七缶室、後部機械室に命中し、
艦はたちまち左舷に大傾斜した。

 副長はただちに防水を下令した。しかし、ちょうど防暑服を戦闘服に着替えている最中だった
ので、艦内の防水扉はみな開けっ放しになっていた。そのため、艦内への浸水が
予想以上に早かった。「摩耶」にとっては間の悪いときの被雷であった。
艦長は、大傾斜した艦の様子に、もはや絶望と判断、即座に 「総員、退艦せよ」 と下令した。
乗員たちはいっせいに海に飛び込んだ。

 その間にも「摩耶」は刻々と左へ傾いていく。永末大尉は艦橋を飛び出すと、旗甲板から
ラッタルを駆け下りて第一煙突の左舷に出た。海面がすでに足元に迫っていた。
大尉は水泳に自信があった。まず靴を脱ぎ、かけている眼鏡をはずして胸ポケットにおさめ、
ボタンをかけた。腕時計をゴムの衛生サックに入れて口をしばり、もう一方の
胸ポケットに入れると、傾く甲板から海へ飛び込んだ。
大尉は懸命に泳いだ。右、左と50ほど水をかいた。これで艦から4,50メートルは
離れたはずだ、と思って振り返ると、もう「摩耶」の姿はなかった。

 「摩耶」が被雷してから沈没するまで、わずかに8分しかたっていなかった。
これほど早い海没の原因は、防水扉が開いていたこととともに、第一砲塔の
弾薬庫の誘爆にあった。沈没後、駆逐艦「秋霜」が駆けつけて生存者の救助にあたり、
約2時間かけて、副長以下685名を収容した。大江艦長は、沈む艦とともに運命を
ともにした。戦死者は、艦長以下准仕官以上16名、下士官兵320名、合計336名であった。
from 『レイテ沖海戦』 by 佐藤和正
[Page Top] [Diary Index]
21日
 i must remember that
 i too play the guitar
 「わすれてはならぬ
  ぼくもまたギターがひけることを」

泥だらけのプリンス。墓地でのたうつ死屍。やみくもに歩き回って戻ってみれば、
誰もが槍を持って突き出そうと待ち構える。怯えながら細々と見回す先には、
偽物の花々。どれもこれも腐臭を放っていやがる。無駄な孤独。無意味な虚栄。
そして掟を悟る。そして敵を感じる。そしてまた、淵に佇む。

 there are no morals
 an i dream alot
 「道義なんてありはしない
  そしてわたしはたくさんゆめをみる」

虚脱しながらも這って辿り着いた教会で、牧師は言った。
「あなたがあなたを許すように、あなたは他人を許しなさい」
だがキリストの慈悲といえど、背徳のマスクで覆った内部にまでは及ばない。
「君が君を殺すように、君は他人を殺すだろう」
慟哭の叫びに召還された黒衣の男の言葉に頷いて誓約を交わし、転がる
石のように踊り続けるピエロは、それでも脳裏の片隅で、あるいはと考える。

 an who knows
 someday
 someone might even
 write
     a song
           about you
「そしていつか
 だれにもわからないが
 だれかが
    おまえのことを
           うたうかもしれない」

『Some other kinds of songs...』(by Bob Dylan)より一部引用
[Page Top] [Diary Index]
20日  「幸せ」という言葉ほどあやふやな言葉はない。それは感じる主体によって、
度合いが左右されるものであって、いくら絶大な権力を得たり、巨万の富を得ても
「幸せ」を感じられない者もいれば、傷を舐めあって、他人に示唆された道を
歩んでいても自己がないが故に自分自身を洗脳して、「幸せ」を感じるような莫迦もいる。
できれば茶番的な「幸せ」だけは享受したくないものだ。
いや、言葉を飾っても仕方がない。そんな程度の「幸せ」なんて、塵屑以下だ。
[Page Top] [Diary Index]
19日  「人はそんなに簡単に変われるものではない」という意見もあれば、
「人は変わっていくものだ」という意見もある。これらは述べている立場が違うからで、
言っていることは両方とも正しいと思う。前者の場合、変わらないのは根幹の部分の
話であって、それ以外の部分では、後天的に変貌する事も十分可能であると僕は考える。
それが後者のことなのかもしれないが、寧ろ表層から変革していく事で、根幹に当る
部分まで変貌が可能ではないかとも考えているし、事実、表層からの侵食によって
根幹に及ぶ部分にまで変貌の兆しが見える事も確ではある。
全てが相対的な次元においては、「人は変わっていく生き物でありながら、
根幹の部分は変わらない」というのも1つの正しい解なのかもしれない。
・・・だがしかし、悪い部分を変える努力もせず、あまつさえ開き直ってそれが根幹だと
主張する輩は、僕は大いに軽蔑する。
 揺ぎ無い根幹があってこそ、例外は存在するものであって、根幹が腐っていては
どれが例外かも解りはしない。ところが、そういった「例外」なく問題外の列に放り込むことに
躊躇いを感じない輩が、簡単に幸せを掴んで、脳天気に闊歩しているのもまた
真実の1つなのだ。だからこそ、平和なんて言うものはそんなに簡単には訪れはしない。
[Page Top] [Diary Index]
18日  シネクティクスはゴードン氏らが開拓推進したものであり、チームワークを組んで、
創造能力を高めようという技法である。きびしい訓練を課してがっちりやる。
メンバーの選択からしてやかましく、缶詰にして特別の建物に入れ、寝食をともにして、
いろいろな試みをしている。この方法はチームワーク的な場を大いに活用しているが、
基本的には一人づつの人間の創造的能力を、訓練によって高めようという方向である。
いくつもの技法を総合的に使っている。
 一例をあげると、新しいアイディアを見いだすには、その対象の身になってみろという。
ボイラーを改善しようと思うなら、自分がボイラーになったと思え、と、対象との
内的共感(エンパシー)合一を力説する。
創造性開発の技法 from 『発想法』 by 川喜田二郎

更新後記
 [KAZU]さんとの共作第2弾が完成したので、MIDI Library kaien に追加しました。
また、これまで本サイトを掲載していたサーバに色々と問題があるので、これを
ミラーサイト扱いとし、新しいサーバに移行しました。
ミラーサイトの方は、管理の都合上CGI等を新しいサーバに設置してあるものに
リンクし、一元化しているので、万一新サーバ側がダウンした場合は、
掲示板などのCGIを使用したページが見れなかったり(曲やイラスト等も見れなくなります)、
ページ遷移などで正しい動作をしない場合があります。
[Page Top] [Diary Index]
17日  誰もが1度は耳にした事があるだろう、フォークの名曲「カントリー・ロード
この曲はジョン・デンバーという人が歌っているが、実は彼はウェスト・バージニアには
縁もゆかりもない。そして作詞者のクレジットを良く見ると、他に2名の名前があるのだ。

 元々この曲はある売れないフォークシンガーが、彼らの友人からの手紙にインスピレーションを
得て出来たもので、最初2番の歌詞は当時の世相に合ったヒッピーなどが出てくるような
歌詞だったそうだ。その彼らが、偶然ジョン・デンバーの前座をつとめたとき、この曲を気に入った
ジョン・デンバーが、コンサートが終わったあとに妻と共に彼らを訪れ、2番の歌詞がせっかくの
メロディーを台無しにしていると意見を申し入れ、一緒に作り直したものが、現在よく知られている
歌詞だそうだ。この曲が完成した後、ジョン・デンバーと彼らの3人でお披露目をしたところ、
初めて披露する曲だというのに会場は大歓声が起こり、一晩で観客の心にはこのメロディーが
刻み付けられたという。

 ところがこの曲、当初は歌詞にある綺麗な風景は実在しないとファンから指摘を受けていた。
実際、アパートの一室でイマジネーションを元に作詞したそうなので、実体験が元になっている
訳ではなかったらしい。ライブ終了後に、歌詞に出てくる山はウェストバージニアではなく
バージニアにあるんだとファンに指摘され、これは帰郷途中の風景を歌ってるんだ・・・と
苦しい言い訳もしたそうだ。そんなある日、ファンのある夫婦から歌詞にある風景に行って来て、
そこは歌詞にある通り、素晴らしい風景だったと聞かされたらしい。
それを聞いた作詞者は、そのファンに思わず「それはどこ?」と聞き返したそうだ。

 その街はハーパーズフェリーという昔ながらの佇みを残す小さな街。
実際に見える風景は違っても、生まれ育った故郷へ帰る時の心境は万国共通のもののようで、
いまでもこの曲には、懐かしさと共に寂しさを感じさせられる。

参考URL:世界名曲物語「カントリー・ロード」

[Page Top] [Diary Index]
11日  先日TVで『13DAYS』というキューバ危機を題材にした映画をやっているのを見た。
学校の歴史の授業で概略しか学んだ事がなかったが、この事件の動向によっては、
我々の歴史の教科書には1962年に第3次世界大戦勃発と書かれていたかもしれない事件だ。
いや、もし全面核戦争が発生していたなら、その歴史の教科書へ記述する人類そのものが
存在しなくなっていたかもしれない。

 その後たまたま、「TVでやっている大学」の講義番組で、キューバ危機を
扱っている番組を見た。冷戦当時の米ソ関係は、一足触発のかなり危険な状態が
何度も発生したらしいのだが、冷戦後の現代においても、例えばインド・パキスタン情勢のように、
完全に核の恐怖が払拭された訳ではないと結ばれていた。
番組ではペーネミュンデにある、旧ナチス・ドイツのロケット兵器開発場跡を取材していたのだが、
ここではV1及びV2と言われる、現在のロケットの元祖と言うべきものの開発のための実験が
行われていた。ここには現在、博物館が建っていて、そこの館長にインタビュアーが、
現在のドイツの人はここに対してどういう感情をもっているのか?と質問していた。
館長は、そこが難しい点であると前置きした後、この実験によって大量殺戮兵器が
生み出された反面、現代の宇宙開発の基礎になった事や、それによって衛星を使った
携帯電話や気象観測などの恩恵を受けられている事を指摘した。

 尚、キューバ危機において、当時アメリカは偵察によってキューバに持ち込まれて設置された
ソ連のミサイルの場所を全て把握していたと自負していたが、実際には偵察によっても
把握しきれていなかったミサイルが存在し、選択肢の1つとして存在していたキューバへの
空爆でサイロを潰した後に上陸という作戦をもし実行していた場合、偵察しきれなかった
サイロからのミサイル攻撃も有り得たという。そして、 世界で唯一の爆弾による被爆国である
我が国では、実際の被爆者の平均年齢は70を超え、実体験を後世に語り継ぐ者が
少なくなりつつあると言う。
[Page Top] [Diary Index]
02日  姉たちは妹の結婚式に参列した。にこにこと愛想を振りまき、妹の横から離れようとしない。

"神様は善良な人間を助けます。
善良でなければ、ひどい罰が下されるのですから…それを、忘れないで。"

末の娘の脳裏に、亡くなった母親の声が甦った。姉たちが心配になる。
彼女たちは善良ではない。善良でなければひどい罰が下される。ひどい罰…。
教会を出て、末娘は上の姉を見つめ、その視線を下の姉に移した。
そして下の姉を見つめてから、再び上の姉へと視線を流す。
すると二人の姐の足が止まった。王子の腕につかまったまま、末娘は後ろを振り返らずに
歩き続けた。二人の姉は互いの目に手を伸ばし、ぐるりと両方の眼球をくり抜き合った。
鋭い悲鳴が二つの口から漏れ、長く尾を引いた−。
その声を、末娘は背後にはっきりと聞いた。しかし、決して振り返らなかった。

 何事もなかったかのように末娘は王子と馬車に乗って、城へ向った。
馬車の中で王子が言った。
「きみの待女として、屋敷から小間使いを連れてきてもよかったのだよ」
すると、末娘は小首をかしげた。
「小間使いなんかいません。屋敷にいたのは、ハトです。
 ハトは困った時に私を手伝ってくれるんです。」
王子はわけがわからなかったが、愛しい花嫁がにっこりと笑ったので、
やがて気にならなくなった。

 実を言えば、末娘は王子のことを嫌いではなかったが、好きでもなかった。
ただ、姉たちが話す舞踏会の話を聞き、うらやましく思っただけなのだ。
しかし、末娘は嬉しかった。これで、屋敷を追い出されることを心配することはない。
末娘はこれからも善良であることを、心に誓った。
灰かぶり from 大人もぞっとする初版『グリム童話』 by 由良弥生

更新後記
 [KAZU]さんとの共作が完成したので、MIDI Library kaien に追加しました。
またFriends Linkに[
健朗]さんのSiteを追加しました。
[Page Top] [Diary Index]