旧あかいしわーるど 過去ログ 2000年11月


余談です  投稿者:草加次郎  投稿日:2000/11/01(水)08時01分41秒
>一度は人生を賭けた組織が余りにも変貌した悲しみ 

あのタイトルはそういう意味で書きました
私は自分を「元戦旗の活動家だった」と思っています。
そう名乗ることすらおこがましいと思うくらい、戦旗の現場に残って活動している
かつての同志達を尊敬しておりました。

けれども私は「元BUNDの活動家」では断じてありません
私が所属していた戦旗はなくったのだと理解しております

ちなみに、余談ですが
戦旗は成立当初は共産同(=第三次ブントの意味)を名乗っており、意識的にもそ
うだったようですが、名称に(戦旗派)をつけたのは分派闘争による内ゲバを停止
して対権力闘争に戻るという他のブント系諸派へのシグナルでした。
その「けじめ」的第一弾が赤爺さんには「アリバイ闘争」と見えた火炎瓶闘争だっ
たと聞いています。その後も非公然ゲリラ闘争も含めて次々と実力闘争を展開する
はずだったと。

ところがその直後に当の戦旗派自体が分裂してしまいます。その後は長い組織立て
直しの時期に入るわけですが、分裂した両派は互いに相手を「分派」呼ばわりして
同じ名称の組織が両立するわけです。80年にはつまらないプライドをこちらが捨て
る形で名称を変更し、戦旗・共産同となるわけです。

なんかトップページ直してるよ(笑)でもまだだめですね、一部文字消えてますよー(笑)  投稿者:いずみ  投稿日:2000/11/01(水)11時47分33秒
というわけで、日向一派がここの内容をイタく気にしてることは
証明されました(藁)。

これでもやっぱり、「迷惑してるよ!」なのでしょうか。
感謝されるだけだと思うのですが。今回の件についてはさすがに。:-p

さて、草加次郎さんへのリプライ。

>つーか、BUNDホームページって、それ以前にすげえダサいし、中身も薄いと思う。
>主張の当否以前の問題として、せっかくのネットをもう少しうまく使えないんだろ
>うか?(まあ、少し前まで党派のページ自体が全然なかったもんなあ)

いずみは、他の政治系のページと比べても、
構成面では「悪くない」とは思ってます。いろんな理由があるけれど。
デザインはヘボいですが、まぁそれはしょうがないでしょう。
ただ、掲示板がないというのは、
やっぱりネットを実戦的に活用するつもりがないのかな、と思いますけどね。

あと、Windows DTPですが、
一応知り合いに日本のWindows DTP第1人者の中の1人がいるので(笑)
そこからの受け売りですけども、
Windows DTPの需要はじわじわ伸びてます。
それは例えば、企業が内部やお役所向けに出すような
デッチあげレポート本とか、そういう奴をMS Wordで作って
持ち込んでさくさくっと印刷するとか、そういう用途みたいです。

それ以外にも、フォントがダサくてよいのなら、
個人がミニコミなんかをPagemakerとかでつくって持ち込むケースとかも
あるみたいですね。

結局、精度をあまり要求されず、フォント問題も気にしないのなら
Windowsの方が「ユーザから見た」トータルコストは安いです。

どうりで分かりにくいわけだ  投稿者:れんだいこ  投稿日:2000/11/01(水)11時48分22秒
 草加さんの「余談」部分を読んでみて、どうりで第一次ブント解体以降の流れが分
かりにくいはずだったと思った。私は、戦後学生運動のノート化をしているのです
が、第一次ブント以降の流れがよく分からなくて(分裂でも、その際何が問題になっ
ていたのかとか)どうしても整理が出来ません。

 そのはずで、「分かれるのに理由なぞいらない、嫌いだから嫌い」的な離婚してい
たのだとしたら、あとづけしようにも出来ないわなぁ。でも、末梢的なことでない
部分については知りたいというのが私の観点になっています。と言うわけで、少々
お尋ねさせてください。

> 戦旗は成立当初は共産同(=第三次ブントの意味)を名乗っており、
(質問)第三次ブントというのはいつ頃の動きですか。どういう党派が寄っていたの
ですか。その際の指導者、機関紙名、凡その人員も知りたいです。

> 意識的にもそうだったようですが、名称に(戦旗派)をつけたのは分派闘争によ
る内ゲバを停止して対権力闘争に戻るという他のブント系諸派へのシグナルでした。
(質問)ということは、分派闘争にあける内ゲバ志向の党派がいたということになり
ますが、できれば具体的にその党派とその際の論理を知りたいです。

> その「けじめ」的第一弾が赤爺さんには「アリバイ闘争」と見えた火炎瓶闘争だ
ったと聞いています。その後も非公然ゲリラ闘争も含めて次々と実力闘争を展開す
るはずだったと。
(感想)そんな位置付けの火炎瓶闘争というのも変ですが、そんなところがブント系
のらしさなんかなぁ。

> ところがその直後に当の戦旗派自体が分裂してしまいます。その後は長い組織立
て直しの時期に入るわけですが、
(質問)その分裂の際の論拠を分かる範囲で教えていただいたら関心があります。な
ぜなら理詰めにしておかないと今後も繰り返すから。

> 分裂した両派は互いに相手を「分派」呼ばわりして同じ名称の組織が両立するわ
けです。
(質問)その時期とか、その際のそれぞれの指導者、機関紙名、凡その人員数につい
ても知りたいです。内ゲバがあったのかどうかも。

> 80年にはつまらないプライドをこちらが捨てる形で名称を変更し、戦旗・共産同
となるわけです。
(質問)確かに「つまらないプライド」だと思うけど、結局何年そういう状態だったの
かなぁ。将棋で言う千日手を互いが指していたということになりますねぇ。ちょっ
と違うけどイメージとして。

 まぁ、その頃のブントの影響力は階級闘争本体の流れからは大きくずれており、
知らなくてもどうでもいいようなもんなんだけど、結局そういうへんちくりんな動
きは汎ブント的に今もあちこちでしていると思うわけです。とするなら、この辺り
の史実から教訓化できるものはしておかないと無駄に過ぎるというのが私の観点で
す。無駄といったら気分悪くされるかなぁ。でも、議論の範囲として許してね。分
かりやすく云わないと議論の深化にならないと思うから歯に衣きせていないのです。

参考:2000/11/01(水)08時01分41秒

本当に忙しいんです(^^)(1)>れんだいこさん  投稿者:草加次郎  投稿日:2000/11/01(水)20時16分30秒
というわけで、職場から上司の目を盗みつつ簡単にレスです。
よって内容の不正確なところは小金井さん指摘しておいてください。

>(質問)第三次ブントというのはいつ頃の動きですか。どういう党派が寄っていたの
>ですか。その際の指導者、機関紙名、凡その人員も知りたいです。

あくまでも主観的なものです。戦旗派が形成されていく過程において、当人達は分派
闘争をやるぞ!という意識ではなく、死んでしまった二次ブントを再建するぞ!とい
う問題意識をもっていたということです。

>(質問)ということは、分派闘争にあける内ゲバ志向の党派がいたということになり
>ますが、できれば具体的にその党派とその際の論理を知りたいです。

それは戦旗派ということになると思います。
荒さんをはじめ、戦旗の中心メンバーは二次ブント指導部よりも一世代若く、どちら
かというと指導される立場(学生戦線の現場責任者)でした。党への中央集権的な結
集という意識が強く、その指導にかなり不満を持ちながらも、二次ブントの中では指
導に忠実なほうでした。
この段階では荒さんは自分より上の世代である塩見さんによる党内刷新を夢見ていて
そのグループに属していたそうですが、塩見さんよる分派の強行(=赤軍派の結成)
には党内に留まることを強く主張し、赤軍結成には参加しませんでした。

それがある党中央が下した「絶対に納得できない裏切り的な指令」に背いたことをき
っかけとして、分派闘争に入るわけです。この時にはすでに塩見さんの赤軍は壊滅状
態で、はじめて「自分でやる」と決心したということです。が、当人達としては、分
派するつもりではなく、党内に留まって「党内クーデター」つまり学生党員による党
中央の刷新、放逐を目的意識として行ったわけです。
たまたまというか、ブントの正式な機関紙である「戦旗」の編集部(ほとんど個人)
がこの動きに合流したため「戦旗」はこのグループの機関紙となります。

この間の事情(戦旗側から見た)は「許せない指令」の内容(戦旗メンバーなら誰で
も知っていると思いますが、外部向けの刊行物では書かれていなかったと思う)も含
めて近日自分なりにまとめてみたいと思っています。
すでにこの掲示板やよその掲示板などでまとめられていることかもしれませんが、そ
の時に反対側にいらした赤爺さんからはどのように見えていたのかを是非知りたいの
です。立場が変われば歴史はまったく違って見えるものでしょうから、お互いの歴史
観をつきあわせてみるのは無駄ではないと思います。

まあ、ともかくもこうして(はしょりすぎ?)最後に荒さん達のグループに残ったの
は共産主義者同盟(=ブント)という組織名と「戦旗」という機関紙名です。荒さん
達には「腐れきった旧指導部(今の二次ブント系諸派の党首の皆さんです)」を追い
出してブントを再生させた。自分達こそ正式のブントであり、新しい第三次ブントだ
という意識があり、実際に当時はブントを名乗っていたわけです。

ただこういうスタンスでは他の「共産同(××派)」というグループとは「党内革命」
の継続として非和解的に闘争せざるを得ず、実際していたわけですが、もうそれ(内
ゲバ)はやめますよ、他の「共産同(××派)」と同時に並び立つ存在になりますよと
いうシグナルとして名称を「共産同(戦旗派)」に変更したということだそうです。

>(感想)そんな位置付けの火炎瓶闘争というのも変ですが、そんなところがブント系
>のらしさなんかなぁ。

もちろんそういう位置付けは内部的なもんですよ。「さあ、これからいよいよみんな
が本当にやりたかったでしょうことをやるよ」「この闘争はその第一弾となるもんだ」
って感じでしょうか。そんなあまりにも党派的な内容を外に呼びかけてもしょうがな
いでしょう。

(2)に続きます

本当に忙しいんです(^^)(2)>れんだいこさん  投稿者:草加次郎  投稿日:2000/11/01(水)23時00分31秒
(1)からの続きです

(質問)その分裂の際の論拠を分かる範囲で教えていただいたら関心があります。な
ぜなら理詰めにしておかないと今後も繰り返すから。

戦旗派分裂についてはいろいろ文献を読まされました。けど、そのほとんどは手元に
残っていませんし、数少ない文献も家の押し入れの奥深くにあるのでここ(職場)で
正確にお答えできません。
記憶をたどって(不正確ながら)お答えします。間違っているところは小金井さんが
直してくれるでしょう(^^)

分裂の首謀者は西田さんと城山さんという方で「足立商会」という名前で都内で分派
活動のための秘密アジトを借りていたということで、戦旗では「アダチグループ」と
呼んでいます。世間では戦旗西田派とか西田戦旗とか言っています。対して主流(執
行部派)を戦旗荒派とか荒さんのペンネームをとって日向(ひゅうが)戦旗とか言っ
ていました。

これはあくまで荒さん(執行部)側からの回想ですが、今まで通りの鉄の地区党建設
を主張する荒さんに対して反対派は職場、組合、自治会などの拠点つくりを進めるべ
きだという主張だったと聞いています。

背景としてまず先の火炎瓶闘争による重弾圧で実働部隊の大半を逮捕され、活動家達
は大変に肉体的に疲弊しきっていたということ。次に分裂時と同じ主張は火炎瓶闘争
後の今後の活動を討論するなかで西田さん、城山さんから提議されており、その時に
は地区党建設でやるということで決着がついていたということがあります。

荒さんはよほど西田さん達を信用していたのか、論争後に「地区党建設に行きたい」
という志願をいれて西田さんを九州の責任者として抜擢しています。城山さんを北海
道の責任者になりましたが、これは志願したものかどうかは知りません。

ともあれ、分裂の時に九州と北海道をまるごと持って行かれたことは言うまでもあり
ません。西田さんは「荒に逆らったから飛ばされた」と現場の活動家達をオルグした
そうですが、それは事実に反するということだそうです。ともかくも、西田さん達は
秘密で連絡をとりあい、反対派をかためていきますが、同志を信用しきっていた荒さ
ん達はまったく気がつかなかったようです。

荒さんは対外的には西田さんも城山さんも同じように批判していますが、内部的な論
文では、城山さんに対しては少なくとも論争の相手として認めている節があり、その
主張を冷静にとりあげて批判を加えるという姿勢が見えました。
ただし西田さんに対しては
1)表向きは論争の決着を承認しながら秘密アジトをかまえて分派を進めるという手
法。2)自分で志願しておきながら「荒に飛ばされた」などと言いふらしていること。
3)地区の中心的活動家に対して「いい年をしていつまでも地区の下積みでいいのか」
「このままではボロ雑巾だ」などと官僚にしてやると言わんばかりのオルグをかけて
いたこと。4)分裂したとたんに執行部派の地区党建設路線をとりあげて軍事反対派
呼ばわりし、自分達こそ武闘派だと言い出したこと。などを取り上げて、そうは言って
いないけれどもいわば人間的に軽蔑しているような印象を持ちました。

ただ、内部の会議などでは「アダチグループの強さ」みたいなテーマでその良い(?)
所みたいな内容が議題として中央から提議されたりしていたのを覚えています。もちろ
ん機関紙上では「反面教師以外の存在価値はない」なんて言っていたわけですが。

本当に忙しいんです(^^)(3)>れんだいこさん  投稿者:草加次郎  投稿日:2000/11/01(水)23時01分49秒
終電の時間になってしまいました。
続きはまた後日にします。

御忙しいのに済みません。。。  投稿者:田舎の赤爺  投稿日:2000/11/01(水)23時55分16秒
 御忙しいのに書き込み有難うございます。
時間が取れるようなってからでも十分ですのに。。。
お互い帰る巣のないはぐれ者ですし。。。

>戦旗は成立当初は共産同(=第三次ブントの意味)を名乗っており、意識的に
もそうだったようですが、名称に(戦旗派)をつけたのは分派闘争による内ゲバ
を停止して対権力闘争に戻るという他のブント系諸派へのシグナルでした。その
「けじめ」的第一弾が赤爺さんには「アリバイ闘争」と見えた火炎瓶闘争だっ
たと聞いています。その後も非公然ゲリラ闘争も含めて次々と実力闘争を展開す
るはずだったと。

これはかなり大きな間違いというか取り繕いの様に思われますので私からの
知っていることを含めて書き込んでおきます。
1.神田火炎ビン闘争を内ゲバ停止のシグナルとして行ったとありますが、
ならば何故、法律施行前日を選んで行う必要があったのか?と云う疑問が派生
します。
2.そのような意図をもっていながら、近隣大学全共闘(黒ヘル系)に、その
意図を隠して参加要請したのか?
これこそ、党派によるノンセクトに対する党派的引き回しであり、その事を知
らず参加し逮捕されたノンセクトの活動家がいたとしたらまったく浮かばれな
いんじゃないかと思うわけでして。。。
もっとも、殆どの全共闘諸君はこの申し入れに対し一笑に付して参加しなかっ
たハズですが。。。わたしの在籍していた飯田橋の某大学(もう何処か分かっ
てしまうんだろうし、誰かも人定されそうですが。。。まあ、私の様な人間が
いるとも知らず参加要請してきたのですが。。。)
更に云えば、これは分派した共産同各派に対して他人を利用して組織力及び
影響力の誇示をする以外の何者でもないと思う訳でして、何故なら闘争理由も
ないのに「逮捕されても凶器準備集合罪か公務執行妨害罪で起訴猶予処分で23
日で出て来れるし。。。」なぞと申しておりました。(この姑息さには本当に
腹がたったのですが。。。)しかし、思惑外れで大量の逮捕者・起訴者を出し
たのですが、全共闘に参加要請する必要性は一欠けらもないのですから。。。
3.内ゲバ停止のシグナルと云うが、4.28の大会戦以来、bund左派は殆ど軍事
組織建設に邁進していたし、大衆運動の局面で相対する事は殆ど無かったの
でこの主張すら私には、空虚に響きます。
bund各派、map共闘、更には現在趣味者界におけるゲバ等綿々と続くこの体
質はやはり、パラ・チェン(私、半年前くらいにこのサイト関係に来るまで
日向がこの様に変わっている事を全く知らなかったんですよ!ホント。。。)
などと言う訳の分からない組織改組なり共産主義の放棄をしても変わってな
いんじゃないかと思わざるをえないんですよね。。。
ここに書き込みしてくれた旧日向派の方の様に、良い事ばかりや人間関係の
良さをもってして日向派の組織を語られてもなんともしょうがないし、やは
り、私も含め、負の遺産を真摯に切開してこそ初めて、第3次bundが誕生す
るんではないかと思う訳です。今更、現役に戻れる程、若くもないですが、
草加次郎さんとの書き込みを通じて若い方がbundなりに結集して、社会変革
の担い手に一人でも多くなってくれたら。。。などと思い書き込んでおりま
す。又、暇になったら書き込んで下さい。

うんうんなるほど  投稿者:れんだいこ  投稿日:2000/11/02(木)00時02分54秒
 草加さん、レスありがとうね。こういうところ実に知っておきたいところです。質
問はまとめてさせていただきます。その前にだいたいいつ頃のことか確認しておきた
いです。恐らくという勘はもっておりますが、勘当てしても仕方ないのでお聞きしと
きます。私は、今一番興味持っているのに(もっとも第一次ブントの頃に対してです
が)ブント系と一番なじみがうすいのです。私のキャンパスにはおりませんでしたの
で(もっとも一度目の当たりでゲバルト見たことがありますが、お里が知れるのでこ
れ以上は触れないとして)、さほど関心も無いままに今日まできています。

 ただ一つ云えるのは、本来的に「ごった煮」的な良し悪しさを持っており、今まで
悪しさというか不充分な面の方を勘違いして継承してきた。が、良しの面を再見直
しして継承していったらどうなるんだろうという期待感を感じています。そういう
意味でブント運動の史的総括に向かわねば行けない、その前に史実を明示せねばい
けないと考えています。そして悪しき方向にせよ、転回点になった時点に媒介した
理論を俎上に乗せねばならないとか考えています。ここら辺りをみんなで語るのが
議論であって、そういう作風を身につけないと少しも左翼は進歩しないと考えたり
しています。というようなことでとりあえずコメント入れてみました。
 

参考:2000/11/01(水)23時00分31秒

れんだいこさんへ  投稿者:田舎の赤爺  投稿日:2000/11/02(木)00時15分50秒
 色々と知ろうと云う意欲は分かるのですが、裏共産同や現古研に系譜
や様々な論文が掲載されてますのでそれを読んでから、分からない処を
草加次郎さんや私なり、裏共産同にお尋ねになった方が、より正確に、
尚且つ、単的に知る事が出来ると思うのですが、如何ですか?

田舎の赤爺さんへ  投稿者:れんだいこ  投稿日:2000/11/02(木)01時15分31秒
 了解です。質問事項も用意して行こうと思います。但し少し時間がかかりますの
で、その間当時のあれこれ聞かせてくだされば助かります。それをヒントにまたお
尋ねしたくなるものも出てくると思います。えーとそれから現古研の資料ですね、
読むの結構大変なんですよ。この間社青同さんの読んでたら途中わかんないままく
たびれましたよ。でも、責任あるから読んでみます。

参考:2000/11/02(木)00時15分50秒

いずみちゃんこむの「なんでも」伝言板に注目だ!  投稿者:いずみ  投稿日:2000/11/02(木)02時10分18秒
山根くん直々に、「行動せん?せん!」じゃなく「なんでも」の方に
書き込みです。

さぁ、何が起こるんでしょうか?(笑)
既に某所では「これはたぶん抗議の前触れでしょう(笑)」などの
無責任な予想が飛び交っていますが…(^^;;)

というのはですね、歴史をひもとくと、
もともとここの閉鎖を理不尽にも要求した一派による抗議は、
メールで寄せられていたはずです。
それを、ここの管理人さんが公開して、んで騒ぎが広がったと。

いずみ個人としては、閉鎖or名称変更などを高飛車に申し入れるような内容のメールは
「死ね」と言ってきてるに等しいものだと思うので
そんなの公開して当然だと思います。
まして、相手はこの世界では(笑)それなりに名前の通った集団なのですから。

シビアな討論こそ公開で!  投稿者:いずみ  投稿日:2000/11/02(木)04時29分46秒
本家(笑)が昨日、以下のような論文を発表しました。

http://www.ngy1.1st.ne.jp/~ieg/ieg/inter/vol4-1/tsumura1.htm

このような議論が、やっと左翼の側から登場したことを歓迎しつつ、
ごく一部には異論もありますので、
とりあえずいろんな昨今の情勢を大胆に大幅に絡めつつ(笑)、
投稿してみようかな、と思ってます。まだ思ってるだけですが。

読み切れないよ〜  投稿者:小金井ゑびす  投稿日:2000/11/02(木)07時15分58秒
読み切れないよ〜

小金井さん<  投稿者:れんだいこ  投稿日:2000/11/02(木)13時28分45秒
> 読み切れないよ〜


参考:2000/11/02(木)07時15分58秒

そうだよね  投稿者:れんだいこ  投稿日:2000/11/02(木)13時35分16秒
 あららっ手違いでいってしまった。こっちがホント。

 小金井さんの> > 読み切れないよ〜
 が私の気持ちの代弁だとして、ホントにそうだよね。簡略にどこが食い違って、
何が原因で分岐しているのかガイドが欲しいわなぁ。私の本音は、島−生田運動の
功績も限界も恐らく悲哀も総括せぬままの分岐だったら、どれだけ値打ちがあるの
かなあとも思うのよ。この書き方は刺激的かなぁ。

参考:2000/11/02(木)13時28分45秒

スーパー遅レス、一週間前ぐらい勘弁してくれ  投稿者:小金井ゑびす  投稿日:2000/11/02(木)21時58分04秒
>なおちゃん氏

> そのなかで 自分の力を十全に伸ばしきれず また表現もできずに
> わりと行き詰まってて みるからにどこへも提出しなさそうな署名を
> きっかけとして(笑)ふらふらとその筋のひとになるのは
> 基本的にマージナルな輩であるし 社会運動をになう場は
> そういうやつらの辺境性=生産性のなさってものを
> 拡大再生産してしまう可能性が 大かもしれません。

俺としては、そういう部分の人こそ、矛盾を激しく感じてるわけだからこそ、
闘いの中に自らの解放の道を見つけるのは、当然だとは思うのですが。
生産性のなさを、責められるとつらいですね、俺は。俺なんか全然生産性ないし。
基本的に、なにをやっても半端な奴だから、なにも成し遂げたことないし。
今現場労働者なのも、別に現場に入って運動云々じゃなくて、
出来る仕事がなくなっちゃっただけだし。
俺なんか確かに、労組入ったら役に立たないんだろうなぁ〜

実は俺が戦旗に行ったのは署名じゃなくて、集会に行ったらオルグ
してきたのは戦旗だけだった、というだけなんだけどね。

>とくにSENKIのように 意図する・しないにかかわらず(苦笑)
> 指導者への依嘱感情が 存立基盤の大きな部分をなしている組織では
> 運動家として(もとい、社会人として)必要な自己信頼感や
> 自己決定能力が 心理的な芯の部分で育っていかない気がします

ここらへん、確かSENKIはSENKIなりに総括してたはず。
よく読んでないから覚えてないんだけど。

そういえば、SENKI今号の6面は大型二輪の取得の話。
みんなも大型とったんだね〜
今のSENKI最速はだれなんだろ(笑)
俺のいたころは、どこどこの××さんが、戦旗社から模索まで15分で
走ったとか無茶苦茶なデマがあったけど。デマと言うより、ネタだな。

あと  投稿者:小金井ゑびす  投稿日:2000/11/02(木)22時12分09秒
>よって内容の不正確なところは小金井さん指摘しておいてください。

私の指摘するようなことはございません。
まぁそれぞれの人の、どこにレスをつければいいか検討もつかない。
俺の生まれた頃の話で盛り上がってるようですが、あのころの
話は私にも多少は思うところはあって、でも何をどう書けばいいか
わからんので書かないです。疲れるし。

アリバイ的な軍事闘争っていう風に、ビン取り法施行前闘争のことが
言われますが、俺から見ると、実際に日帝を打倒できる力量もないのに
恒常的武装闘争を行えば人も結集してくると考え、党建設を放棄し
弾圧の前に壊滅した蜂起戦争派の武装闘争も、同じように俺には
写ってしまうのですが...うーん。

あと、帰る巣のない人は、焚火派でおっけ!
元活動家大歓迎ォィ

お誘い感謝!  投稿者:田舎の赤爺  投稿日:2000/11/03(金)01時25分28秒
小金井さん!私如きに手を差し伸べて戴きまして有難う御座います。

>アリバイ的な軍事闘争っていう風に、ビン取り法施行前闘争のことが言われま
すが、俺から見ると、実際に日帝を打倒できる力量もないのに恒常的武装闘争を
行えば人も結集してくると考え、党建設を放棄し弾圧の前に壊滅した蜂起戦争派
の武装闘争も、同じように俺には写ってしまうのですが...うーん。

日帝を打倒できる力量があるから闘争を行うのではないんじゃないですか?
それと、恒常的武装闘争と云うのは私の処ではなく日向派が申していた理論です。
党建設を放棄して。。。云々とありますが、党建設を放棄した憶えもありません
し、仮に批判するのであれば
蜂起戦争派或いは革命戦争派に対して
自分の立脚する理論がこれこれこうで、相手の理論がこれこれこうだから何処が
間違っていて、こうするべきだとか云わなければ批判にはならないんじゃないん
ですか?確かに私も元所属した党派を批判されると良い気はしないのは確かです
が、真摯な態度で相互批判−相互止揚と云う作風を作り上げなければいつまで経
っても新左翼或いは、BUNDの再生なんてあり得ないんだし。。。
せっかくこんな良い場所があるんですからちゃんとした批判が欲しいですね!
いつもここで書くのですが旧日向派の方のものの云い方が極めて観念的というか
抽象的でどう捉えていいのか、その事にどう反論していいのか困ってしまうんで
すよ!小金井さんの様にせっかく書き込んで何か言おうとしてくれるのは、大変
嬉しいのですがやはり上に書いた様な処から批判し合いたいと思うのですが如何
ですか?草加次郎さんはどう思われますか?
草加次郎と名乗られる以上、草加辺りにお住まいですか?私も草加・越谷辺りに
十数年居住していたので懐かしく感じます。今は随分変わってしまったんでしょ
うねぇ。。。ひょっとしてかの爆弾マニアの草加次郎さんではないでしょうねぇ
(冗談ですよ!)

1つ。  投稿者:いずみ  投稿日:2000/11/03(金)04時01分24秒
これは、特に批判とかいうわけではないですし、
また、ネットの、現段階におけるこういう場としては、これでよいとも思うのですが、
1つだけ提起を。

>相手の理論がこれこれこうだから何処が
>間違っていて、こうするべきだとか云わなければ批判にはならないんじゃないん
>ですか?

というのを、今の世代に、対等な関係性として提起するのは「酷」です。
(小金井同志がどうのというわけではなく、一般論です)

誰しも、自分の背負ってきた言語的・論理的力量というものを持っていて
さまざまな要因から、それに差異があるのは当然のことです。
そこで、直感的な意見を一律に「論理的でない」と断罪したりするのは論外としても
常に「ロジカルな部分での結論を主軸に求めていく」というあり方、
ある意味、他の方法論があまり存在していないが故に
「唯一の誠実な方法」として「誠実な論理的展開」を求めてしまう傾向が
ほんとうにまじめな人からこそ出てしまう。

やっぱり、歴史的蓄積性の異なる部分に対して
「対等な議論」を求めてしまうのは、「エリート主義」なんだと思うのです、
議論一般で言うならば。

もちろんいずみは、この論理を「ネット」という特殊世界には
適用させていません。
それは、ネットの発展の歴史が、自己の利益もネット全体の共有利益も含めて
その「ネット技術エリート的理論武装」のみを根拠として
克ち取られてきたものであり、まだまだ現状においては
その「理論武装」に依存することこそが
「最良」には程遠いけど「現状におけるよい選択」としての位置を占めている、
と思うからです。

実はこのあたり、典型的な「ダブルスタンダード」になり得る急所でもあるので
いずみ的には、まだまだ試行錯誤の日々です。。。

ご指摘感謝!  投稿者:田舎の赤爺  投稿日:2000/11/03(金)11時11分09秒
 先だってよりいずみちゃんが書き込んでくれていて、なんとはなしに
頭の中では承知の助なんですが、相手の物言いに苛立ってしまってやっぱり
のところで旧来の物言いの処へ辿り着いてしまうんですよね。
直ぐに直せれればいいんですが、なかなかに出来なくて申し訳ありません。
ここやマル共の書き込みを視ながら、私の世代の物言いから皆さんの世代へ
近づこうと精進いたしますので、そのように感じた時はドシドシご指摘下さい。

亀レス  投稿者:西 学  投稿日:2000/11/03(金)11時55分49秒
 アダチ・グループって、主要なメンバーは、西田さんと大下さんでは?
城山さんは、「プロレタリア戦旗」だから、ああいう書き方をすると、部外者は、
混乱するかと思います。
 主流、反主流は、それぞれの主観の問題。西田さんは、分裂時に中央委多数派を
名乗っていた訳だし。(「プロ戦」はそれもおかしいといっていたが)
  そういったことを除けば、草加さんの文書は、日向の見解としてはほぼ完璧だと
思います。当然ながら、西田さんとこや城山さんのところの見解は違いますけど。
 西田さんのとこの見解は、「共産主義-共産同(戦旗派)重要論文集-第一巻」に
城山さんとこの見解は、「プロレタリア戦旗」創刊号あたりに載っています。
「共産主義-共産同(戦旗派)重要論文集-第一巻」は、模索に注文すれば買えます
し、「プロレタリア戦旗」は、新宿北郵便局私書箱2011号現代思想研究会に注文
すれば手に入ります。「教えて」君もいいですけど、原文をあたってみることを
おすすめします。では。

 お言葉ですがね、西さん  投稿者:れんだいこ  投稿日:2000/11/03(金)13時54分36秒
> 「教えて」君もいいですけど、原文をあたってみることを
> おすすめします。

 これ、私のことなら、一言いってみたいこともある。暇に任せてという言い方は
良くないけどまぁ時間見つけて「ブント資料」読んでいますが、これがブント調特有
というのではないのでしょうが(他の党派のも似たりよったりですから)、左翼風の
書かかれ方として覚悟していますが、「言語明瞭、意味不明」が多すぎるんですよ。
中にはパロディーかと思うものもありますね。

 で、肝心のことはおざなりにしか書かれておらず、とにかく相手が罵倒されてい
て気分だけ仲間内になれるような文面なんですよ。私のように、ブント支持の立場
からではなく、別の意図からブント運動の流れを追跡しようと思っている者にはホ
ント困る。と、ここまでかいて思いましたが、そうか公安資料がこの点詳しいのか
もしれませんね。

 しかし、ブント運動の流れが公安資料に基づかないと分からないというのも変な
気がしますね。まるで戦前の共産党の流れを解明するのに特高資料が一番正確だっ
たのと同じことですね。ちなみに、戦前の共産党運動にあって一番理論研究してい
たのが特高キャリアだったと聞かされています。同じこと繰り返しているんかなぁ
とか思う訳ですよ。まぁ、島さんの追悼会も出来ない親知らずの子の流れだから仕
方ないのかも知れない。私の追跡もええ加減なところで打ち切りたいような、一応
見届けたいような半端な気持ちですわ。

参考:2000/11/03(金)11時55分49秒

はぁ  投稿者:いずみ  投稿日:2000/11/03(金)15時25分15秒
ここはもともと、趣味者の集まるマル共連に源流を持つ掲示板です。
もちろん、中にはいろんな思想信条の人がいていいですけども。
とにかく、歴史的経緯としてはマル共連が発祥。

また、ネットの掲示板には、「ブントの歴史」より時間は短いけど
それなりに作風・芸風に関する歴史的蓄積があります。

西同志の指摘は、それらに照らし合わせて何ら問題があるとは思えません
「教えて君」というのはネット用語で、通常は否定される存在ですが
西同志は「そういうのもここではアリです」というニュアンスで言っている、
非常に心の広い、同志ならではの書き込みです。

れんだいこさんはブントに相対する時に自らの姿勢をただしつつ
作業されているのだと思いますが、それをこの場での前提にしないでいただきたい。
何年ネットをやられているのかわかりませんが、
ネットの歴史を塗りかえる芸風を望まれるのなら、
それなりの手順を踏むべきでしょう。

これだとまるで、イギリス人がアメリカに行って
「アメリカ人は野蛮だ!」と叫んでいるのに等しいです。
非常にみっともないです。

気持ちは分からんでもないが…  投稿者:馬おじさん  投稿日:2000/11/03(金)16時54分44秒
 れんだいこさん、横レスですみません。

 ともかくネットの作風に関しては、いずみさんのおっしゃられる通りだと
思います。そう分かっていながら、こと日向(だけではないのが辛い)のこ
とになると頭に血がのぼって感情的になる悪癖を押さえきれずにいる私です
ので、あまり大きなことを言えたものではありませんが……シクシク自己批
判(;_;)。
 
 れんだいこさんが、左翼系の諸文献を読んでそのあまりのしょうもなさに
辟易するのは十分理解できます。かつて自分が書いたアジビラを今読めば、
やっぱり「トンデモ」だと感じることは目に見えていますしね。
 ほんとにしょうもない話ですが、党派が分かり、かつ見出しを見ればオー
トマチックに結論が分かるのが多かったと思います。それは党派の諸文献は
「始めに結論ありき」で書かれていることが多いからです。だから結論が分
かれば途中はどうでもいい、というのは失礼かもしれませんが、大体自分に
都合のよい所だけをマルクスやらレーニンやらから引っ張り出して、結論に
向けて継ぎはぎしているだけです。何を隠そうって、隠すまでもなく(^_^;)、
そんな文章を書いてきた本人が言うのですから間違いないと思います。と、
ううっ、今も書いているのではという突っ込みが、自分の中から聞こえて
きました(;_;)。
 今裏共産同にシコシコ書いてますが、そのために読みたくもない、という
より忘れてしまいたいものを読み返していて、情けなくなる時があります。
その意味ではれんだいこさんの気持ちが分からないではありません。今はで
きるだけ客観的に(私のできる範囲でという意味です)読んでいこうと努力
していますが、時々「ナンセンス」とか「バカ言ってんじゃねえ」とかつぶ
やいている自分に気づいて苦笑したりしています(^_^;)。

 で、何が言いたいかというと、党派の文献は、理論の中味ではなく、結論
から読むこと。途中はどうでもいいです。それでかなり時間のロスが防げま
す。まるで試験問題みたいですが、実際そんなもんです。で、結論はという
と、それが党派の主張、つまり多くは見だしに集約されていたりします。そ
して、もはや過去のことですので、どういう意味があったかについては(こ
こが一番の問題ですが)それなりに評価がされている筈です。問題はどこの
評価に自ら位置するかでしょう。それを相対化できれば最高ですが、なかな
かそうはいきません。
 ということで、みんなそんな(相対化)ところで苦労しているわけです。
その苦労を共有しているという認識から始まってほしいと考えます。
 
 最後に、「親知らずの子の流れ」というのは頂けませんね。この言葉に返
すとしたら「テメエにそんなこと言われる筋合いはねえ」だけですよ。ひい
きの引き倒しみたいなもんだと思ってはいますけどね。ちょっと(`_´)。

少し調子に乗ったのかな  投稿者:れんだいこ  投稿日:2000/11/03(金)17時10分45秒
> とにかく、歴史的経緯としてはマル共連が発祥。
 ここは教えてもらってありがとう。ここがどこかわかんなかったです。

> また、ネットの掲示板には、「ブントの歴史」より時間は短いけど
> それなりに作風・芸風に関する歴史的蓄積があります。
> 西同志の指摘は、それらに照らし合わせて何ら問題があるとは思えません

 あえて弁解すれば、西さんにいったのではなく、ブントの皆様にお尋ねしたつもり
ですが、そのあたり根回しなくラフに書き込みすぎたかなぁ。
 
> 「教えて君」というのはネット用語で、通常は否定される存在ですが
> 西同志は「そういうのもここではアリです」というニュアンスで言っている、
> 非常に心の広い、同志ならではの書き込みです。

 そういう意味では、何となく人となりは伝わっております。

> れんだいこさんはブントに相対する時に自らの姿勢をただしつつ
> 作業されているのだと思いますが、それをこの場での前提にしないでいただきたい。
> 何年ネットをやられているのかわかりませんが、

 そういわれると新しい一年もんです。

> ネットの歴史を塗りかえる芸風を望まれるのなら、
> それなりの手順を踏むべきでしょう。

 うーーん、難しいもんだなぁと思う。

> これだとまるで、イギリス人がアメリカに行って
> 「アメリカ人は野蛮だ!」と叫んでいるのに等しいです。
> 非常にみっともないです。

 少し遠慮がなさ過ぎてるんですね。そうかも知れない。少々癒しの時をおきます。
 


参考:2000/11/03(金)15時25分15秒

馬おじさんフォローありがとう。  投稿者:れんだいこ  投稿日:2000/11/03(金)18時33分14秒
 例の革共同観面白く読ませていただいております。ホント次を楽しみにしていま
す。こういう総括というかブントの流れについての語りが欲しいです。タイミング
よく出会わせることができよかったと思っています。そういう流れの確認をしてか
らお尋ねしたいことも用意しておりますので、息長くやり取り出来るよう願うばか
りです。

>  ともかくネットの作風に関しては、いずみさんのおっしゃられる通りだと
> 思います。

 そうねぇ、気づいてみたらここ半月ぐらいのことなのに無遠慮にたいこ鳴ら
したのかなぁと反省そのいちです。

>  ということで、みんなそんな(相対化)ところで苦労しているわけです。
> その苦労を共有しているという認識から始まってほしいと考えます。

 はい了解です。但し、実際の行動経験ないので外野席からということになるかな
ぁ。とはいえ、私がこだわっていることは、今私が認識している程度の島−生田時
代のブント論の著作一つがありさえすれば、私はブント派として自身を形成して行
っただろうと思っていることにあります。逆から云えば、そういうものがなかった
ので、ブント運動とはもっとも無縁に過ごしてしまいました。こういうことって、
プロパガンダする方の責任というものもあるのではないかと思う訳です。結局、大
学生運動内のコップの世界のことで、一般の人には何がなにやら分からない。分か
る者が分かれば良いというのは趣味の世界のことでしょうから、政治運動にあって
は良くないと思う訳です。

>最後に、「親知らずの子の流れ」というのは頂けませんね。この言葉に返
> すとしたら「テメエにそんなこと言われる筋合いはねえ」だけですよ。ひい
> きの引き倒しみたいなもんだと思ってはいますけどね。ちょっと(`_´)。

 ここがきつかったのかなぁ。やっぱオブラートした物言いのほうが処世無難
かなぁとまたまた反省その二です。ここでやめとけばいいのにいっちゃうけど、
島さん訃報は週刊誌上にも記事にされませんが、僕はオカシイと思う。まるで
報道管制の気がしています。記事にするほどの値打ちがないということは絶対
無い。しょうもない面白系のことは大々的に報道されるけど、こういう値打ち
ものが記事にされない只今の世の中が何となく怖いぐらいです。

(以下は、読み直してみてまたオブラートできていない。一考してそのまま投稿
することにしました。こうなると、れんだいこは本音丸出し男として病気だと思
ってください。どうも私は気遣いとお金も含めた計算が弱くてできないんだ。)
 この異変にブント系の皆様が声を上げないと誰があげるのでしょう。私がこ
こかしこの掲示板に顔出したのもこのことから始っています。単にブント系の
皆様と語りたくてでてきたのではありません。その気になれば四苦八苦しなが
ら調べることはできますから。しかし、島さんの追悼は今のタイミングでない
と似合わない。この点だけはこだわりたいのです。だから、私も、このことだ
けを執拗にたいこ鳴らしたほうがよかったのかとか反省しています。

参考:2000/11/03(金)16時54分44秒

島成郎氏のお別れ会  投稿者:馬おじさん  投稿日:2000/11/03(金)19時41分39秒
 れんだいこさん、上記の会が11月11日、午後1時より東京の青山葬儀所で営まれます。
 青山葬儀所-東京都港区南青山2-33-20 です。
 このことは島さんの訃報が出た当日の朝日新聞にあったはずです。今日の朝日にも載って
いました。おそらく当時のブント関係者のみならず、60年安保に関わった多くの人が出席さ
れると思います。おそらく右から左まで。唐牛さんの時ほど多彩な顔触れになるかどうかは
分かりませんが。
 これは推測ですが、おそらく追悼集も出されると思いますよ。今までの例から言えばです
が。

そうですか、行ってみたいなぁ  投稿者:れんだいこ  投稿日:2000/11/03(金)20時56分44秒
 馬おじさん、有難うね。そういえばそうですね。ということは、私が勝手に騒い
でるだけですか。ちょっと穴の中にもぐります。

 11日といえば丁度来週ですねぇ。行ってみたいなぁ、恐らくすごい人数になる
と思いますねぇ。これ断言できます(思い込み強いほうですが良くあたります)。う
ーーん、久しぶりにねぇ東京参りするかなぁ。となると仕事しよおっと。

 それと新聞はやはり朝日かなぁ。毎日とってるけどざっとしか見ないのですみま
せんお手数かけました。

参考:2000/11/03(金)19時41分39秒

もうこれ以上云う必要もありませんが。。。  投稿者:田舎の赤爺  投稿日:2000/11/03(金)21時58分54秒
今日、午後、れんだいこさんのレスをみてどう云う反応を示そうか、非常に
悩んでおりまして。。。
というのは、まず当事者の一部であり、私が書き込めば益々、混乱に拍車を
掛けてしまうんじゃないかと云う危惧
そして、西さんやいずみちゃんの書き込みをどうやってれんだいこさんに更に、
噛み砕いて説明しようかということ。。。
だったんですが、いとも簡単・明瞭に更に優しく馬おじさんのが書き込みしてく
れて安堵しております。
それに対して、れんだいこさんも素直な態度で反応してくれて喜んでおります。
かっての私だったら途端に臍を曲げるなり、ゲバルト行使してしまっていたんで
しょうが、年を取ったのか、考え方が丸くなったのか定かではないのですが。。。
きっと若い頃はこんな調子で年長者や周りの人達を困らせていたのかなぁ?と
懐かしんでおります。(昔、私についたあだ名が「爆弾小僧」でして。。。)
れんだいこさん!せっかくここへ来たんですからオサラバ!なんて云わず、気長
に付き合って下さい。先だって書き込んだように分からない事に関しては極力
答えたいと思っていますので。。。
唯、私、ろくに高校も行ってないので答える事が出来るか少々不安なのですが。。
又、レスしてくれるのを楽しみにしておりますので。。。

れんだいこさんに追記  投稿者:田舎の赤爺  投稿日:2000/11/03(金)22時12分28秒
そこいら中のブル新に島氏の記事(亡くなられた事、お別れ会のこと。。。)は
掲載されましたよ!私のところは中日新聞ですが、東京新聞は中日新聞の子会社
ですので当然、掲載されたと推察出来ますし、唯、週刊誌が取り上げるかどうか
は別ですが。。。TVのニュースでもやっていて私の妻が教えてくれましたし。
。。
新左翼各派の機関紙もおそらく以降掲載されると思いますが、なにしろ発行間隔
が長いですから。。。教えるのに躊躇しますが日向派の機関紙には既に掲載済み
ですよ!

田舎の赤爺さんへ  投稿者:れんだいこ  投稿日:2000/11/03(金)23時05分07秒
 田舎の赤爺さん、お気遣いありがとうね。少し経過お伝えしますと、「日向派の機
関紙」で、私は島さんの訃報を知ったのです。でびっくりして、他のサイトを覗いた
らどこにも誰もコメントしてない。それはおかしいという気持ちで、あとさき考え
ず投稿しまくったというのが実際です。新聞とテレビはあまり見ないのでホント知
らなかったのです。

 もう少し説明させていただきますと、つい最近に島さんに連絡取りたいのだけど
どうしたら良いのでしょうとこころあたりのとこへ投稿で聞いてみようかと思っ
てた矢先だったのです。僕は正直びっくりしたのです。ただ今思うのに、島さんら
は「60年安保」で燃え尽きてしまい、その後の三分裂の流れにもノーコメントした
ような形跡ですね。本来なら旧指導部の権限としてこのグループが跡取本筋として
肩入れできる立場だったと思いますが、してない風ですね。その結果、大量に革共
同入りしたみたいですね。この時の心理とか、その後の流れについての感慨とかい
ろいろお尋ねしたかったのに残念です。

 恐らく、この時島さんらが完全引退的作法に随ったことにより、その後の運動の
中に第一次ブントの痕跡が遮断されているのではないかと改めて思っています。だ
から、その後のブント系運動家の方たちにお尋ねしてみても昔の人的にしかコメン
トできない、しない理由があるのだと思っています。違っていたら申し訳ないです。

 しかし皮肉なもので、島さんらがここにきてブントの何たるかを語り始めようと
したこの時に亡くなられてしまった。あたら惜しいと思っています。これも推測で
すが、「60年安保」以来40年過ぎてみて、俺達の運動のレベルを誰もどの党派も
為しえていないではないか、もはや沈黙は金ではないとの自負が忽然と沸き起こっ
てきていたのではなかったのでしょうか。そういう意味でやはり肉声を聞きたかっ
たです。

 私はブント運動史の中に何か貴重なメッセージがあるような気がしており、この
関心は当分続くと思います。いろいろお尋ねしたいこともありますので面倒見てく
れたら幸いです。土足で踏み込むところは直しつつ、私も御免ちゃいで行くか、お
控えなすってでいくかはその場の雰囲気に合わせて参ろうかと考えております。と
いうことで、これをご挨拶とさせてください。

参考:2000/11/03(金)22時12分28秒

そうかそういう意味に使われるということが  投稿者:れんだいこ  投稿日:2000/11/06(月)17時31分30秒
 あまり晒されるとつらいものがあります。かといって私が書くとまたさらされる。
しかし、これだけはいいたくなったので書いておきます。いずみさんがご指摘され
た意味の一つ「教えて君」のニュアンスが分かりかけてきました。ということで、
頭悪いやっちゃなぁとぼこぼこしておりますので。

もう1つ  投稿者:いずみ  投稿日:2000/11/07(火)16時56分34秒
これは別に「よくない」とかじゃないんけすけども、
れんだいこさんってここが開設された経緯とか、ここで何があったかとか
ご存知でしょうか?(^^;;)

何にも知らないです。  投稿者:れんだいこ  投稿日:2000/11/07(火)18時29分25秒
 いずみさん、こんにちは。えーとですね、何にも知らないです。知らないままな
ぜここへ来たかという経過を一応説明しときますとですね、まず私は焚火派さんの
掲示板に島さんの件で初投稿しました。これにレスつけてくれたのが草加次郎さん
ですね。この時ここのアドレスが書き込まれていました。これは、ここの掲示板で
遣り取りしてみたらという意味かと考え、そのレスのようなものをここへ振った訳
ですね。それまでこの掲示板そのものを知らなかったですね。これ以上でも以下で
もありませんね。

では。  投稿者:いずみ  投稿日:2000/11/07(火)22時04分00秒
掲示板の最低限の「マナー」(というのもくだらない話なのですが)として、
「過去ログを読め」というのがあります。

今から5年くらい前までは、過去ログが1万あろうが2万あろうが
それに全部目を通してないと、雑談すらできなかったのが
偏狭な通信の世界でした(^^;;)

で、ここの過去ログは500件までしか保存されてませんので
設立経緯については、そのものズバリは読めませんが、
つい最近、いずみがまとめたのが残っているはずです。
それをぜひお読みください。(^o^)

と思ったら記憶違いでした。自己批判しますm(__)m  投稿者:いずみ  投稿日:2000/11/07(火)22時34分24秒
すみません、ここの板の経緯そのものは、最近のログには残ってませんですね。

つーことで責任上、きわめて大雑把ではありますが、まとめます。
異論などありましたらご指摘をっ>他の同志・友人諸氏
なお、体言に一部、いずみの主観のみに基づくレトリックが混じってます^^;;
用言・文全体には、それと明示した部分を除いては断乎として入ってません。

◎外伝
(1)日向一派による2次に渡るロフトプラスワン襲撃事件発生
(2)「襲撃を許さない共同声明」の結成
(3)日向一派が機関紙上でウソ五百くらいの見解を発表
◎マル共連
(4)「五月夢国」という人が、日向一派ネタにレスをつけるようになる
(5)日向一派の関係者と思われる複数の者が、「五月夢国」氏を攻撃
(6)それに呼号し、日向一派に反感を持つ多くの人が反日向的書き込みで総反撃
(7)あまりにマル共連という場が荒れたため、とある有志がここを開設し
 「以降、日向ネタの議論はこちらでやってくれ」とお願い。
◎旧あかいしの歴史
(8)日向一派およびその舎弟企業がここに対して閉鎖要求をメールで出す
(9)管理人さん、断乎としてこれを暴露、論争始まる。
 一方で、場の防衛のため?名称を「あかいしわーるど」から「××××わーるど」に
 変更。もともと「わーるど」は、その旧名の歴史的由来からしてひらがな表記が正しい。
(10)一派の幹部、山根くんがいずみを恫喝
(11)議論の過程で、一派関係者が旧第四インターの故新山さんを侮辱
(12)それまで静観していた「主義者系」趣味者がいっせいに反発
(13)埒が開かないと考えた(と思われる)日向一派が撤収局面、いずみに謝罪
 ただし新山さんには謝罪せず(苦笑)
(14)以後、議論が沈静化
(15)「共同声明」の総括文集が出る
(16)再び一派が登場、「五月夢国」=Giya同志であると暴露
(17)趣味者は「…それで?(笑)」とあきれる(笑) 以降再び沈静化
(18)プラスワン第3次襲撃事件発生
(19)純粋趣味者のみが登場し「コドモのケンカ」と揶揄
(20)1〜3次全襲撃の「主犯」格、五味くんが登場。弁解を為す
(21)それに対し純粋趣味者反撃、一派はこちらでは沈黙し、襲撃事件の「舞台」
 となったプラスワンのオーナー、平野おじさんの掲示板で一部謀略を展開
(22)いずみがおじさん板にこちらのことを宣伝
(23)平野おじさんがこの板に乱入(笑)。おじさん、いずみを非難。
(24)趣味者おじさんに総反撃、おじさんいじける(笑)。以降おじさんといずみは
 仲良しで〜す(^o^)
(25)いずみがおじさん板で一派の一部による謀略を暴露、以降一派関係者は
 おじさん板からピタリと姿を消す この板は再び閑古鳥(笑)
(26)四トロ二次会掲示板で、単ゲバ挑発分子の書き込みに反発した?分子による
 大謀略が行われる。(いずみの私的見解では、これは日向一派による自作自演)
(27)その流れがここにも飛び火。以降、ふたたびこの場で活発な意見交換が始まり
 現在に至る。

これらの流れのうち、(18)以降は過去ログで直接読むことができます。

草加次郎さんがここに参加されたのは(27)からです。

草加次郎さんが、れんだいこさんをなぜここに「誘導」したのかわかりませんが
恐らくは、「マル共連ではやるべきでない」という部分を好意的に解釈された
草加次郎さんの判断だと思われます。

レスとお礼だけ  投稿者:草加次郎  投稿日:2000/11/07(火)23時04分20秒
>小金井さん

>私の指摘するようなことはございません。
>まぁそれぞれの人の、どこにレスをつければいいか検討もつかない。

変な依頼(?)してすみません(^^)
私は戦旗離れて長いし、現役当時から理論派ではなく、オルグも感情に訴えるタイプ
だったもんで、戦旗が言ってもいないことを誤った情報(結果的にデマ)として流し
たりしてはいないかと危惧しています。明かに間違っている場合は指摘していただけ
ると有難いなと思ったしだいです。

>西さん

>アダチ・グループって、主要なメンバーは、西田さんと大下さんでは?
>城山さんは、「プロレタリア戦旗」だから、ああいう書き方をすると、部外者は、
>混乱するかと思います。

ご指摘と訂正、それに貴重な情報ありがとうございます。
そうそう、大下さんの名前なんて忘れていました。(^^)
ただ、荒さんの文章で、城山さんだけは罵詈雑言でなく批判していたような印象があ
って覚えています。それと、城山さんのグループが何となく私には宗教っぽく思えて
印象に残っていたのかもしれません。
じつはあの書きこみの後にほぼ同じ長さの続きがあったのですが、同僚に覗きこまれ
て投稿前に消してしまいました。(涙)

>赤爺さん

>小金井さんの様にせっかく書き込んで何か言おうとしてくれるのは、大変
>嬉しいのですがやはり上に書いた様な処から批判し合いたいと思うのですが如何
>ですか?草加次郎さんはどう思われますか?

現役時代から旧二次ブント系の人達との論争には、噛合わない違和感を感じていまし
た。それが「お互い様」だとはじめてわかりました。(^^)
赤爺さんのご希望に完全にお応えするには、私も昔に戻って勉強が必要ですが、自分
の現状を省みる時、忸怩たるものが先立ちます。でも、一種の「情報提供」と思って
努力してみます。

>草加次郎と名乗られる以上、草加辺りにお住まいですか?私も草加・越谷辺りに
>十数年居住していたので懐かしく感じます。今は随分変わってしまったんでしょ
>うねぇ。。。ひょっとしてかの爆弾マニアの草加次郎さんではないでしょうねぇ

ご想像におまかせ!
でも、やはりこういう所にはこの名前の元ネタわかる人がいるんだと感慨深いです。

れんだいこさんとか他の方にも書きたいけど終電の時間なんでまた今度!

何と申しましょうか  投稿者:れんだいこ  投稿日:2000/11/08(水)01時06分40秒
 いずみさん、ここの掲示板の凡その流れが分かったような感じです。なるほど私
の闖入が少少場違いなところにきているということになるのかな。しかしなんだな
、ブント系サイトというのは骨が折れるでないの。そういう蓄積があるんだから仕
方ないんかなぁ。

そうでもないんですけど。。。  投稿者:田舎の赤爺  投稿日:2000/11/08(水)09時25分04秒
 そういった、意味ではないと思うんですよ!
このようなやりとりを通じて日向の所行なり、理論が表にでる事に
なって彼らに対する評価が構築されていくのですから。。。
もう少しなりとも、その板に合った書き込みを、使い分けた方が
いいのでは?というメッセージだと思うんですが。。。
歴史的な事であれば裏共産同のほうでとか、こと、日向一派の事で
あるならここでとか、使い分けたら如何ですか?
まあ!かってのbundと云うことでは共通するので、その辺のしきり
はかなり曖昧だとは思うんですが。。。
かく言う私もよく、その辺でフォーラムに日向ネタを書き込んでいずみ
ちゃんに注意を促される独りなのですが。。。
その辺は皆さん結構、寛容で優しく諭して呉れますし、度が過ぎない
限り今回の様に優しく諭して呉れますので。。。

重信同志逮捕に圧倒的支援を!  投稿者:田舎の赤爺  投稿日:2000/11/08(水)12時49分20秒
bund系趣味者及び、ここに来る諸君!
ありとあらゆる遺恨を差し置いて、圧倒的支援を訴える!!

同じく-圧倒的支援を…  投稿者:馬おじさん  投稿日:2000/11/08(水)13時11分08秒
 赤爺さんと同じです。
 しかし、ブントのどのような派であれ、重信さんに遺恨をもっている人はい
ないと思いますよ。あこがれた人はたくさん知ってますけど。
 もっているのはそうとう歪んだ人達だけでしょう。

重信支援ではあるが  投稿者:まっぺん  投稿日:2000/11/08(水)21時07分56秒
四トロ系も遺恨はない。けれども、そのテロリズム路線には絶対反対。
先日の永田洋子の番組でも「われわれはあの事件によって左派全体に打撃を与えてしまった」といっていた。
「国際革命文庫」の連合赤軍への批判論文(内ゲバ)は日本赤軍への批判にも共通するものがあると思う。
「かけはし」にどんな記事がのるかはわからないが、「権力の不当な弾圧からの防衛」っていうんだろうな。

http://www1.neweb.ne.jp/wa/redmole/web/bunko/07/bunko077.html

ちょっと問題…  投稿者:馬おじさん  投稿日:2000/11/08(水)21時52分01秒
 まっぺんさん、趣旨は了解しましたが、日本赤軍をテロリズム路線という
のは、ちょっと問題だと思います。少なくとも日本赤軍は内ゲバはしていま
せんし、パレスチナ解放運動(だけではありませんが)に連帯して闘ってき
たものだと私は思います。
 歴史的に被抑圧の人々の闘いはテロと、抑圧者から呼ばれてきました。そ
ういうことで、闘いの意味をおとしこめようとしてきたのです。しかし、今
でも岡本公三氏はパレスチナ解放の英雄ですし、安田・奥平氏も同様です。
 もっと言えば、日本赤軍の闘いは連合赤軍への具体的・実践的批判でしょ
う。私は重信さんが、連合赤軍への決別を述べた宣言を覚えています。それ
は口先だけの批判ではなく、同志への思いやりにあふれた、闘いの本当のあ
りかたを指し示していたものだと了解しています。

 簡単にテロリズム路線と言ってほしくない。安易にテロと呼ぶのは現在の
パレスチナのインテファーダをテロと呼ぶ、イスラエルシオニストと同じに
なってしまいかねまぜん。
 ちなみに、第四インターの歴史では、アルジェリア革命に身を投じたミッ
シェル・パブロという人もいたと思いますが。まっぺんさんの認識だと、彼
もテロリストということになってしまうんじゃないでしょうか。

テルアビブ事件  投稿者:まっぺん  投稿日:2000/11/09(木)00時35分32秒
私は暴力一般を否定しません。必要な時には武装するべきです。
しかしその時には「敵」をはっきり区別するべきです。岡本公三は誰をねらってうったのでしょうか?
彼が「英雄」としてどの程度定着しているかどうか知りませんが
無差別な殺人を容認するべきではありません。私が連合赤軍と日本赤軍に感ずる共通性とは
「銃」です。毛沢東はたしかに「銃口から政権が生まれる」と言いましたが
「革命をおこなうのは人民の事業である」とも言っていることを「両方の赤軍」とも忘れていたんではないでしょうか。
レーニンはテロルについて「もっともよい場合でも補助的な役割しかはたさない」と言っていたと思います。
少数の決意した集団による無差別武装襲撃と大衆的いんてぃふぁーだとはまったく別物です。
いっしょに論ずるべきものではありません。

まっぺんさんに一言!  投稿者:田舎の赤爺  投稿日:2000/11/09(木)01時27分10秒
 イスラエルはシオニズム国家であり、建国当初よりパレスチナ人民とは
非和解的戦争状態です。そのパレスチナ人民に対し義勇兵として武装闘争
に決起した日本赤軍の行動は将に、英雄的自己犠牲の闘いであり、無差別
テロと規定するのは、パレスチナの歴史を歪める何物でもなく、結果、米
帝をはじめとする「テロ撲滅!」と言う宣伝戦に荷担するものであるし、
しいてはシオニズム国家を容認する姿勢以外のなにものでもありません。
良心的ユダヤ人は決して、イルラエルの地に自らの足跡を残そうとはいた
しません。よって、無差別攻撃と云う言葉は全く、ふさわしくありません。
(連合赤軍に関しては夫々、意見を異にするので、あえて、本日は論じま
せんが。。。)
まっぺんさんの云いまわしをもってすれば、三里塚闘争において3.26の闘い
は正しくて(一般人がそこにはいないと云う事を唯一の拠り所にして)、そ
れ以降、空港として使用中で一般乗客が存在する場合は、廃港に向けた現地
での武装闘争も一切、テロとして否定されることになるのですが。。。
又、70年初期まで、いま世間で云われる程、解放闘争の闘いに対し、「テロ」
と云った形で批判する左翼はいませんでした。
これは「連合赤軍闘争」以降、これを利用して、権力が徹底した宣伝戦を行い
、殆どの左翼陣営が迎合し牙をぬかれたんだと云う自戒がなければ、今後、日
本の左翼陣営は、権力の左からの補完物に成り下がる以外、道はないと私は思い
ますが。。。
又、過渡期世界の初期的闘いは圧倒的に帝国主義に包囲された中、遊撃戦(敵の
殲滅、味方の保存)しかなく、レーニンが言った言葉を引用し、それが全ての
様な批判は享受する訳にはいきません!
尚、パレスチナ及びシオニズムの歴史は板垣正雄氏の本に詳しく書かれており
ますので一読下さい。

まっぺん同志…  投稿者:いずみ  投稿日:2000/11/09(木)02時58分25秒
がここまでメチャクチャおっしゃるとはがっくしです…(泣)

#つーか、このまっぺん同志の展開って、
#まさに本家(笑)が「トロツキズムの限界」として指弾してた部分に
#ド真ん中で入ってるので、かなり苦笑してしまったのですが…

「テロリズムがいけない」ということを、
個別の地域性や歴史性から離れて主張することは
まったくもって「反マルクス主義」だと思うのですが…
それだと、「殺人は一般的にいけない」という
ヒューマニズムと大差なくなってしまうのでは?

パレスチナという地域における個別性を抜きにした、
一概な「テロリズム反対」というのには、
どう考えても納得いかないです。

そんなにめちゃくちゃ?  投稿者:まっぺん  投稿日:2000/11/09(木)10時21分41秒
私は日本赤軍の行動全部を「テロリズム」と言っているわけではありません。
「また権力を利する言葉」という批判については、あたっているので、
その言葉は撤回(保留だな^^;)します。
日本赤軍の行動のうち、たとえば「大使館占拠」「ハイジャック」「軍事基地爆破」
などについては、当時の状況から考えても、パレスチナ人民が選択できる数少ない
「やむをえざる選択肢」として考えることはできます。それに何よりも
「大使館」「軍事基地」などは「敵の出先機関」なのは明らかですから。
もし四トロ派なら同じことをやるかどうか、といった「戦術レベル」では疑問をもちますが、理解はします。
しかしテルアビブ空港における銃乱射事件は容認できません。
あそこでたまたま殺された人々は「全て敵」と断定してよいのでしょうか?
彼らを「パレスチナの大義のための犠牲」といってしまってよいものでしょうか?
革命闘争の過程で人民が犠牲になる事はあり得ます。
しかし、積極的に人民に向かって銃をむける行為は、三里塚闘争に例えるならば
「空港を利用する普通の一般客」を襲撃するのと同じです。

また、日本赤軍については「戦術レベル」での批判のみをおこなうものではありません。
上記の各闘争について「理解する」とは言ったが、路線としては受け入れられません。
結局少数の決意した集団による闘争では敵の強大な軍事・政治体制には
勝てない、という事です。日本赤軍の各闘争は「話題」にはなりましたが、
それは現実のパレスチナ闘争にどのようにプラスに作用したのでしょうか?

早速の書き込みに感謝!  投稿者:田舎の赤爺  投稿日:2000/11/09(木)11時21分59秒
 イスラエルと云う国家に対して、パレスチナの各戦線は帝国主義者が
世界市場の再分割の為に作った国家であり、とりもなおさず、中近東或いは、
アフリカ侵略の拠点と規定しております。常々、イスラエルの地に足をおろ
すユダヤ人に対しそれはシオニズム運動に荷担する以外何者でもなくて、攻撃
対象である事は何度となく警告しており、まっぺんさんが云われる様に
決してテロリズムではないと思います。何かしら、4トロが持つ思想を拡大解
釈した発言の様に思われます。
まっぺんさんもご存知かとおもいますが。。。
本来、パレスチナの地は歴史上、ユダヤ人及び、パレスチナ人は共存し、共に
生きていました。パレスチナ側の左翼戦線はその前提で闘いを推し進めており
ユダヤ人を排除しようとしている訳ではないことを付け加えておきます。

空港闘争の意義について  投稿者:馬おじさん  投稿日:2000/11/09(木)11時50分29秒
 まっぺんさんはテレアビブ(ロッド)空港闘争については批判的ですが、果たしてまっぺん
さんの批判はあたっているでしょうか。田舎の赤爺さんが言われたように、イスラエルとパレ
スチナは戦争状態でした。しかし、現実的にはアメリカに支援されたイスラエルの強大な軍事
支配の下、パレスチナ人民は一方的に「虐殺」されてきたのです。なぜ占領地とか「入植地」
という言葉が、今でも使われているのか。占領地はまだ分かるとして(侵略して戦争で奪った
という意味で)「入植地」とはなんでしょう。パレスチナの人達を殺し、武力で追いだし、土
地を強奪したのが入植地で、パレスチナの人が何百年にもわたって豊かなものとした土地を奪
ったわけで、所有者のいない、あるいは不明な荒蕪の地を開拓したわけではありません。
 簡単に言えば、ナチスの、あるいは日本の侵略と構造は一緒なわけで、人の土地を奪ってで
きた国家が正当性を主張できるものではありません。もちろん基本的には、西欧諸国の利害が
反映されたもので、その意味ではイギリス・フランス・アメリカ等に政治的責任がありますけ
ど。
 どちらにしろそういう現実の中での「空港」とは、これはどう見ても軍事施設ですよ。「敵
の出先機関」ならぬ、中枢ともいえる軍事施設に他なりません。テルアビブ空港は「平和」な
「民主的国家」の「民間空港」ではないのです。その敵の中枢に攻撃をかけたから、パレスチ
ナの人達は快哉を叫んだわけです。今まで、敵の強大な軍事力の前に、一方的に虐殺されてき
たものが、いわば一矢をむくいたわけで、だから岡本氏や安田・奥平氏は英雄なのです。
 そして、この闘争によって、実は大衆的なインテファーダの下地ができたのです。強大に見
え、手も足も出ないと思っていたけれど、闘う心と勇気があれば、シオニストと闘えると。そ
の意味で、パレスチナの人達に勇気と希望を与えたのが三戦士の闘争でした。もちろん現在困
難な情況にあることは分かります。いろいろと批判もされています。けれども、あの闘争の意
味はうすれてもいませんし、忘れられてもいません。

 余談ですが、73年のみならず、石油危機の時、もしあの闘争が無ければ、日本はかなり危
ないとこにいました。けれど、三戦士たちの闘いをアラブが評価し、日本の株があがったおか
げで、ずいぶん助かったのですよ。当時レバノンの日本大使館は日本赤軍(当時はアラブ赤
軍)のおかげだとして、重信氏などと親交を深めていたと聞いています。大使館対アラブ赤軍
でソフトボール大会をやったとか。そういう意味では事実上アラブ外交をリードしたのは日本
外務省ではなく、重信氏たちだったと思いますし、日本は本来なら重信氏たちに感謝状でも贈
らなければならないんじゃないでしょうか。これは当時の右翼(反共親米ではないほうです)
の人達も、本気で感謝状を贈るべきだと言っていましたよ。

仮に一歩譲って  投稿者:田舎の赤爺  投稿日:2000/11/09(木)14時38分33秒
三里塚の成田空港に関してですが、私もよく使用しますが、そこで赤色テロ
の類(爆弾等が破裂したりとか。。。)に遭遇したとしても、それはいたし
かた無い事であり、甘んじて受けるつもりで利用します。
それ程、多くの矛盾を含んでおり、一般人(そんな人間自体存在しないと思
いますが。。。)がとか云う言葉で論じる姿勢にはやはり、納得いかないものを
感じます。。。何か待機主義的臭いさえ、感じ取れます。
今回の事に関してはいつものまっぺんさんらしくないですね!
たとえ路線的違いを考慮に入れても。。。

どうしちゃったの?  投稿者:田舎の赤爺  投稿日:2000/11/09(木)20時27分54秒
日向一派の諸君!
今、重信同志の逮捕に関し、貴方達の見解を表明すれば広くSENKIを読んでる
他の人達にも自組織の理論なりを知って貰えるいい機会ですので、やはり、こ
こはありと凡ゆる遺恨を差し置いてここで見解を述て戴きたいと思うのですが
。。。荒氏、山根氏、及び五味氏如何でしょうか?

えー、やっぱりやだな  投稿者:H.H  投稿日:2000/11/09(木)21時47分07秒
こちらでははじめまして

日本赤軍テルアビブ襲撃と三里塚闘争の比較で盛り上がっていますね。
でも、やっぱり成田で爆弾テロの被害にあったら普通むかつきますよ。
公団の職員宅が襲撃されることはさておいても、空港を使用している
人間へのテロに「そもそも空港があるから悪い。そんな空港を使って
被害を受けた人間も、これからは使わないようにすることだね。それが
革命ってやつさ」なんていう前衛党派がいたら(いるような気もするが)
情けないです。
たまたま道を聞きに寄った交番がテロで爆発して被害を食っても「交番は国家
権力の出先機関。そんなところに道を聞くな」なんて革命党派や革命をめざす
人の言うことではないですよね?

人を一人、二人殺すような、または怪我をさせるだけの、あるいは自党派の
ためだけの軍事(って言うのももったいないような)ちょこっとテロは、
革命の役には立ちません。

それとテルアビブ空港が軍事空港だということですが、それを使わざるを得ない
人たちもいますよね、パレスチナに連帯する人で。
イスラエルの平和グループとかね。そういう人たちもやっぱり殺されてもしかた
ないのかなー。

たとえば、かつて日本が侵略して支配した「満州国」や台湾で日本人の村や学校が
襲われて日本人が殺されています。加害者と被害者(この場合どっちがどっちだ?)
の関係や利害関係など、考慮されるべきことはあるにしても、やっぱり総合的に
侵略していた日本が悪い、ということになります。
ただ、日本赤軍などと異なるのは、それを戦略的に位置付けていたか、
あるいはそのような位置付けを持ったイデオロギー集団によるものであったのか、
ということも考えられませんか?

なにが言いたいのかというと、そのような「蜂起」を、革命(日本赤軍の場合は
「世界革命」でもいいのですが)とどのように戦略的に結び付けていたのか、
ということです。

もっと言ってしまえば(これから先はまとまっていませんが)、日本赤軍という
前衛党派による「蜂起」と、民衆による蜂起とは重なる部分があるにしても、
明確に区別されなければならないと思います。
まっぺんさんの言うように、少数のイデオロギー集団による「テロリズム」は
残念ながら代行主義(=官僚主義)の裏返しです。連合赤軍については、
そのままその批判が当てはまると思います。
日本赤軍については、そのような誤りが表面化しない環境のなかで活動が
できたということではないでしょうか?

パレスチナとイスラエルの関係は、みなさんがおっしゃている通りでしょう。
しかし、だからといってそこに全てを投じた前衛党派の選択がただしかったのか、
ただしかったとすれば、そうではない党派への評価はどうなるのでしょう?

あ、それとパブロがアルジェリア革命に身を投じたということですが、
それはあの情勢でも決起しないヨーロッパ(フランス)労働者階級に
なかば失望していたというのが、ぼくの感想です。
もちろんこの選択は(心情的には分かりますが)間違っていたと思っています。

パレスチナ連帯!
日本赤軍メンバーへの弾圧を許すな!
ついでに日本共産党の「犯罪者集団」「日本政府はしっかり取り締まれ」
発言も許すな!
同志まっぺんの動揺を許さない!(←だれかつっこんで)

これこそ健全(?)な党派闘争!  投稿者:田舎の赤爺  投稿日:2000/11/09(木)22時33分21秒
H.Hさんご無沙汰です。ネット上とは云えこのように意見をぶつけ合う
事に大変嬉しく思います。
新左翼も独り善がりにならずこういう作風があれば、もっと世の中、変わって
いたのでは。。。と思う今日この頃です。
これへの反論なりは又、後の事としてお礼方々、ご挨拶をば。。。
まっぺんさんを魚にしっちゃったみたいで申し訳ありませんが、これも、来る
べき時代の為と「グッ!」と堪えてご容赦下さい。

現古研の赤軍派「根拠地革命論」読んでます  投稿者:まっぺん  投稿日:2000/11/09(木)23時00分59秒
日本赤軍による一連の軍事闘争はこの「根拠地革命論」の実践なのでしょうか?
だとすると、赤軍派の路線は破産したというべきじゃないでしょうか?
革命についての現実的根拠が希薄すぎます。「前段階蜂起」っていうのは
わたしには人民からの逃亡に見えます。「蜂起」する人民はどこにいるんですか?
・・・もばいるでの入力なのでくるしー!
つづきはあした。なんか、路線論争になってきましたね。

ところでまっぺんは「魚」じゃなくて「肴」にされたんじゃないすか〜?(^^;;)

http://genko.virtualave.net/bbs/?id=main

つまんない横やり失礼  投稿者:ザーカイ  投稿日:2000/11/09(木)23時18分06秒
ゲリラ戦と革命的大衆運動・・・・・。
パレスチナ人民にそれほど多くの闘いの選択肢があるとは思えないけど・・・。
詳細はわからないが、数少ない選択肢のなかで、その時できることをしてきたと
いうことなんじゃないかなー。結果から逆算すれば、マイナス面も多いかもしれ
ないけど。それと代行主義っていうのも、実によくわかる話だけど、四面楚歌でた
だ一点の突破口を求めるものが尖鋭部隊を作って、プロパガンダとしての武装闘
争しても「アリ」って気もする。たぶん、パレスチナ的文脈では大衆とソルジャー
の暗黙の了解事項としての戦闘となのでは?と思っている。
 ただ、まっぺんさんも気にしている、テルアビブ空港銃乱射はわたしも「本当に
作戦上必要だったのだろうか?」と思っている。特に「必要なかったんでは?」とい
う根拠をもっているわけではないが、日本赤軍が「ソルジャー」と名乗るのであれば、
必要のない虐殺は作戦の意義とは別に、単純にヒューマニズムで批判しえると思う。
--まっぺんさんはヒューマニズムで批判しているわけではないだろうけどーー。
 たとえば、世界が共感しえる闘いの中で、ソルジャーが人質の敵の女性を虐殺で
はなくレイプしたとすれば、どうだろう?たぶんこんなに議論伯仲とならず、結論
は早かっただろうに。
 共産趣味デビュー来ずっとそうだが、過去の闘いを今回も勉強させていただ
きます(^^) お邪魔しました。

まっぺんさん・HHさんの傾向は4トロ系の傾向・私もそうです  投稿者:  投稿日:2000/11/09(木)23時23分26秒
田舎の赤髭さんの言う

>本来、パレスチナの地は歴史上、ユダヤ人及び、パレスチナ人は共存し、共に
 生きていました。パレスチナ側の左翼戦線はその前提で闘いを推し進めており
 ユダヤ人を排除しようとしている訳ではないことを付け加えておきます。

は、まさにその通りだと思います。だとすると、敵は誰なのでしょう?
シオニズムに踊らされイスラエル建国に参加したユダヤ人でしょうか?
イスラエルで二世三世として生まれたユダヤ人でしょうか?
だとしたら、新植民地主義の先兵としてアジアを接見するビジネスマンこそ万死に値します。
だとしたら、一房100円のバナナを食べている私たちこそ
フィリピンの新人民軍のテロの対象になることを甘んじて受け入れねばなりません。

イスラエルは、「西欧諸国の利害」で建国されたのではなく、西欧帝国主義の利害によって建国されたのです。
敵はシオニズムや帝国主義の本国の人民ではなく、アラブ諸国も含む全てのブルジョアジーであるとおもいます。
イスラエル人民に攻撃を加えることはシオニストにとって格好の弾圧材料です。
テルアビブ空港の襲撃の後、シオニストはパレスチナ難民キャンプを襲撃し、パレスチナ難民を虐殺しました。
テロの犠牲になるのは、シオニストやブルジョアジーではなく、それぞれの人民大衆なのです。

求められているのは民族間の抗争ではなく、プロレタリア革命なのです。
主義者も趣味者も4トロ系の人たちは其処にこだわりが有るのだと思います。
--------------------------------------------------------------------------------

田舎の赤爺  投稿者:田舎の赤爺  投稿日:2000/11/10(金)00時50分30秒
 相模原の時といい、今回といい、またまたまっぺんさんに誤字を
指摘されちゃった!頭悪いモンですいません。
↓の書きこみで赤軍派の路線が破産したとありますが、私、思うに
4トロさんや赤軍さんの闘いは両方共ありで、前にも書いた事があ
りますが両方が必要(=有機的結合)だと云う認識でして。。。
一方を選択するような事こそが問題だと思う訳でして、そう云った
観点から云えばやはり、軍事主義とか云った批判には非常に違和感
を感じてしまう訳でして、「じゃあ、君達はどうするの?」って事
になっちゃうんですよね。
革命戦争派の側からは国労等、労働運動、或いは、民主主義の闘い
に支持なり連帯して闘う訳なのですが、もう一方からはその立場か
らは踏み出す事なく軍事主義等のレッテル貼りで切り捨てるだけな
んですよね。。。
そう云った事が今回のここの書き込みにも反映されていて、私から
みると3.26の闘いは果たして君達にとってなんだったんだって懐疑
的になってしまうんですよ!

 投稿者:ザーカイ  投稿日:2000/11/10(金)02時50分04秒
>求められているのは民族間の抗争ではなく、プロレタリア革命なのです。
>主義者も趣味者も4トロ系の人たちは其処にこだわりが有るのだと思います。
それは赤軍派系もブント右派も同じですよ。でも、パレスチナ人民が民族的遺恨を
梃子に抑圧と戦っているわけで、それを無視して語れないでしょ。日本赤軍はあくま
でも支援、パレスチナ人民の義勇軍。革命の傭兵でしょ。パレスチナの事情に左右さ
れるのは当然のように思います。
上のこだわりは大事で、戦闘、闘争の日々に目標を見失うことは左翼に限らず、重要で
す。でも、日本赤軍の置かれた情況からは、自分の長期的目標以上に目の前のパレス
チナ解放に全霊を注いでいたことも、けしておかしくないんじゃない?
4トロも三里塚ではパリの本部が「どうして全国動員までかけてるの?」と事情が飲む
のに時間の掛かったことに全身全霊を注いでいたでしょ。三里塚闘争で、階級闘争は
前進したの?と聞いているようなもんですよ。あ、三里塚の戦いに口をはさむ権利の
ないものがこんなこと言っちゃダメですね。撤退))))))))^^;)

ということは日本赤軍は前衛党ではなく軍事組織ということですか?  投稿者:H.H  投稿日:2000/11/10(金)08時38分01秒
みなさま

三里塚闘争の闘いの第一義的は、当たり前ですが空港の建設阻止です。
その意味では、空港建設はされましたが、いまだ二期工事への着工を
阻止しており、また暫定滑走路の建設にも反対の声をあげているのです。
なお、管制塔占拠は、開港を阻止するというきわめて差し迫った
事態に対する戦術であります。

もちろんそれだけではありません。三里塚闘争によって築かれた
ブルジョアジー政府との力関係の綱引きを、全国政治闘争として
位置付け、労働運動を初めとする社会運動の推進力とすることが
模索されてたのでしょう。

そしてそのような全国政治闘争と結び付けられていたのが、ベトナム
革命などによって作られつつあった世界革命の力関係です。
帝国主義の内側からの国際連帯とは、当時の日本国内で政治闘争に従事していた
活動家や大衆をベトナムに派遣して、兵士として闘わせるということではありません。

ザーカイさんは「日本赤軍はあくまでも支援、パレスチナ人民の義勇軍。
革命の傭兵でしょ。パレスチナの事情に左右されるのは当然のように思います」
といいますが、ほんとうにそのように問題を立てるのでしたら、わたしは
日本赤軍を日本革命を担う前衛党として考えることはできません。

日本赤軍に対する批判は、日本赤軍が日本革命を目指す前衛党をつくりあげたいと
思っているから、それではダメなんじゃないかということです。
そもそも日本赤軍に対するそのような認識が違っているのでしたら、
戦術や戦略にまつわる批判はお門違いなのでしょう。
でも、ほんとうにそうなんですか?
日本赤軍はただの「義勇軍」として捉えていいのですか?

ザーカイさんの三里塚の全国動員にたいするパリ書記局の反応については、
日本語の文法が乱れているようで、何が言いたいのかは推測するしかないのですが、
説明をするのは当たり前のことです。そのような説明もなしに日本の状況を
知ることができるわけもありません。
また、管制塔占拠では「何故そこまでするのか」というニュアンスではなく
「弾圧対策などは大丈夫か」というニュアンス、しかも断固支持の声明が出ています。

これはちょっと言い過ぎですか?  投稿者:H.H  投稿日:2000/11/10(金)08時54分33秒
日本赤軍のテルアビブ襲撃は、連合赤軍の一連の事件を受けて、
それを乗り越えるために新たな戦術を模索した、と理解しています。

しかし、もっとはっきり言ってしまえば、セクト主義、内ゲバ主義を
徹底的に批判して、あたらしい活動をはじめる、ということではなく、
おなじ土俵に立って(内ゲバ主義、代行主義、セクト主義)、
連合赤軍を「乗り越える」ためのものではななかったのか、と思うのです。

連合赤軍の事件から汲み取るべき教訓は、軍事主義的決起の必要性ではなく
大衆運動に根ざした階級的闘争の構築、そしてそれまでの新左翼運動の恥部である
内ゲバ主義を、運動のなかで徹底的に批判して、生き生きとした運動を作り上げていく
ことでした。しかし残念ながら日本の新左翼はそのような方向に向かったとは
言いがたいです。連合赤軍や日本赤軍の決起に対するなかばコンプレックスが
新左翼(ブント系)を支配した、というのは言い過ぎでしょうか?

ただ、それでも田舎の赤爺さんのいうように、「あんたたちはどうだったの?」
という問いかけは残ると思います。
それは僕も知りたいところです、どうだったんですか、インターのみなさん?

ということで、12日の三里塚東峰集会に決起を。

まとまらないけどちとつぶやき  投稿者:いずみ  投稿日:2000/11/10(金)10時31分02秒
まず、いずみがまっぺん同志に「???」をいっぱいつけたのは、
日本赤軍がテロリズム一辺倒かどうかじゃなく、
また、パレスチナ解放闘争の中でテロリズムが有効かどうかでもなく、
「テロリズム反対」というのを一般論として持ち回ることはおかしいんじゃないか?
ということです。

これははじめて公開することですが、
いずみは、どうもインター系の発想として、
戦術・戦略的な部分での割り切りが過ぎるんじゃないか?というのが
すごく感覚的に「鼻につく」ことなのです。

「歴史の発展法則」が仮にあったとしても(^^;;),
その局面局面は切片に過ぎないのであって、
予想もしなかった流れが部分的に生じることは十分考えられます。
そこでは、もしかしたらテロやゲリラが有効な戦術たり得る可能性だって
あるかも知れない。
それを「テロリズムは…です。」(この「。」にいずみの主観的力点アリ)と
言われてしまうと…やっぱり「引いちゃう」のですよ。

それと、日本赤軍ですが、
いずみは「義勇軍」に等しかったのではないか?と感じています。
詳しく検討したわけではないのですが、もともと赤軍派は、
日本革命を世界革命とを意図的に切り離さないわけで、
「国際根拠地」に「飛ぶ」のもすごく軍事的発想な気がする。
赤軍は、そーゆー軍事的な部分こそが凝縮だと
まじめに考えていた感じがします。

世界赤軍建設の展望  投稿者:まっぺん  投稿日:2000/11/10(金)10時33分34秒
「国際根拠地論」4に次のような一文があります。(現古研から引用します。)
--------------------------------
 世界革命戦争の攻勢の段階は、防禦から対峙への飛躍としての結節環=前段階武装蜂起をもって獲得された、
国際根拠地、世界党―世界赤軍によって、これを主体的源泉として、各国のプロレタリア・人民が、敵階級のフ
ァシズム―局地的反革命戦争の動向に対して、増々世界的に結びつけられ、一国プロ独建設=ソヴィエト運動等
の国民的国家的階級性を、世界革命戦線として、世界社会主義建設の階級性として、自ら止揚する段階(世界革
命戦争=種々な蜂起の質をもった戦略)にあって敵階級が全面的な体制間戦争を開始する前段にあって、労働者
国家の矛盾(体制間戦争か、世界革命戦争か)をも止揚するかたちでもって、世界党と世界赤軍の計画性でもっ
て、各国世界革命戦線と労働者国家内世界革命戦線とが統合し、先進国心臓部において、全面的総武装蜂起の勝
利をもって開始されねばならない。・・・・
--------------------------------
これで一文です。おっそろしく長くて、しかも難解です。論文全体がこのような調子で書かれていて読むのに
疲れますが、だいたい次のようなことをいっているようです。

(1)世界を三つのブロックに分類。すなわち先進帝国主義国と後進国と労働者国家と。
(2)先進国での「前段階武装蜂起」と後進国・労働者国家での「世界根拠地」建設。
(3)三つのブロックにおける各闘争を通じて「世界党―世界赤軍」を建設する。
(4)各国人民の闘争は一国プロ独へとむかい、それは「世界革命戦線」として形作られる

正直言ってとても受け入れられる戦略ではありません。というよりも、はたしてこれで「戦略」といえるでしょ
うか?これでは「武装闘争」戦術の算術的総和にしかすぎず、かつてブントがもっていた路線=戦術急進主義を
国際的に拡大したものでしかありません。「国際根拠地論」2には革命根拠地建設の方法が「(イ) 国際的革命
的な政治軍事勢力との実際的結合の準備、その中心環としての『国際根拠地獲得』」とされています。つまり、
それぞれ現地の革命的組織に依拠して「根拠地」をつくろうという事でしょう。

しかし、国際的革命的政治軍事勢力との「結合」というのはどういうレベルでの結合を意味するのでしょうか?
綱領レベルでの統一でしょうか? それとも「武装」のレベルでの結合なのでしょうか? このあたりで「党」
と「軍事」との区別がまったく見られないです。そして現実をみるならば、おもにパレスチナ解放勢力、その中
のPFLP派に依拠して闘争を繰り広げていったわけです。「軍事」レベルでの結合以上ではなかったわけです。
したがってパレスチナ解放勢力から見るならば「日本から助っ人がきてくれた」と見ることはできるでしょうが
それが「世界赤軍」建設にとってどのような役割をはたしたのでしょうか?

綱領レベル、すなわち「世界革命戦略=その一環としての世界党建設」という点において、日本赤軍はまったく
敗北した、と総括していいのではないか、というのがまっぺんの考えです。「党」はどのように建設されるべき
なのか? 日本赤軍は「世界根拠地」と「前段階武装蜂起」をその契機と考えていましたがどちらにも非常に重
大な問題を感じます。

(1)世界根拠地はすでに見たように現地の革命勢力との結合によって建設を意図していました。それは「党」
の観点ではなく「軍事」によってしか実現しなかった事はすでに見ました。そして結局それは「アラブの大義」
を旗印にすることはできても「党」のための準備をなにもおこないえなかった。ここに毛沢東の延安根拠地や
ゲバラのシエラ・マエストラ根拠地との違いがあります。中国・キューバの根拠地は人民とともにあり、人民は
やがてこの闘争に続々と結集し革命を勝利させた。「党」はその中で成長していった。しかし赤軍派は「党」と
して何を獲得したのでしょうか?

(2)「前段階武装蜂起」とは何でしょうか?「前段階」つまり革命情勢ではない時に武装蜂起をおこなう、と
いう事ですね。当然にも少数の「赤軍」に属するものたちだけの蜂起です。言い換えれば「党」による「軍事」
の代行主義です。ここにもブントの戦術左翼路線の誤りを指摘しなければなりません。軍事は人民のものであり
党が代行するかぎり革命は「人民のもの」にはなりえません。高度に発達した日本資本主義を解体する事業とし
てはあまりにも短絡であり間違った路線だと言わざるを得ません。

(3)革命は人民に依拠しなければなりません。そこから離れることは絶対にいけない。たとえばザーカイさん
はいろいろ意見が衝突する人だけれども、職場のただひとりの労働者のためにも力をつくして支援しようとする
「労働者のたましい」のようなものを感じます。また黎さんのこれまでの活動はすでにわれわれの界隈では知ら
れています。こうした地道な活動によって労働者の階級的連帯感を強化し、労働者階級と諸戦線のなかに根付い
ていくことの中で「革命根拠地」はつくあげられていくのではないでしょうか?国際革命文庫「三多摩社青同闘
争史」のなかにも出てきます。「シエラ・マエストラ」。つまり三多摩のわが先輩たちは労働者の中に「革命根
拠地」を築き上げようとしたのです。「世界党建設」はここから始まるのだと思います。日本の、自分の職場か
らその運動を始めることが必要なのではないでしょうか?

http://genko.virtualave.net/bbs/?id=main

も1つつぶやき  投稿者:いずみ  投稿日:2000/11/10(金)10時46分53秒
赤軍派は、結局のところ、60年代末の運動がなぜ急速にしぼんだのか?という部分を
首尾一貫した発想の元で、まじめに誤った総括を行いまじめに誤った路線を突き進んだ。

まっぺん同志の今回の批判は、そのような歴史的背景を抜きにして
なんだか一般論な批判な気がします。
その内容は、少なくとも赤軍よりはおそろしくまともだとはもちろん思うのですが
なんかまさに「結果論」のような気がするわけです。
もちろん、先にいずみがつぶやいた点からすれば、
「インターは昔からそう主張していた」ということになるのかも知れませんが
(すみませんが、当時のインター、あまりにマイナーで
 資料にとぼしいもので…^^;;)
少なくともそれじゃ、当時主観的にはまじめに闘って敗北した人は
「納得」しないと思いますよ。
田舎の赤爺同志の「イライラ」(のようにもいずみには思えます^^;;)の一因は
そのあたりにもあるのではないかと…妄想でした^^;;

Re:いずみ同志へ  投稿者:まっぺん  投稿日:2000/11/10(金)11時00分13秒
長文をかいていたので、知らぬ間にいずみさんが書き込んでいました。(^^)

>その局面局面は切片に過ぎないのであって、
>予想もしなかった流れが部分的に生じることは十分考えられます。
>そこでは、もしかしたらテロやゲリラが有効な戦術たり得る可能性だって
>あるかも知れない。

以上のいずみさんの発言は四トロとしても否定しないと思いますよ。
それは、かつて第四インター派ゲリラ組織がラテンアメリカにあった事でも
いえると思います。現在では有効と考えないのか、ゲリラ闘争は解消したようですが。
革命戦略は「一定普遍」ではありません。歴史的にも地域的にもいろいろ
かわると思います。
例えば毛沢東の戦略「根拠地」と「農民主力」による革命はそれまで誰も
がなしえなかった新しい方法だった。しかしベトナムの最後の勝利は
中国指導部からの「農村から都市へ」路線の指導によらず勝利した。
つねに経験から新しいものを学び、それを国際的に共有していくためにも
国際的連帯は必要です。
私はテロリズム一般について否定したのではなく
「最もよい場合でも補助的」というレーニンの言葉を引用したと思います。

ブントの戦術左翼批判は  投稿者:まっぺん  投稿日:2000/11/10(金)11時11分20秒
昔からのものです。ただ、その批判が当時有効であったかどうか?
全学連中執(とくに都学連)に四トロ派の影響があったにもかかわらず
結果的にはブントの戦術左翼路線を全学連はとっていきました。
四トロ派(関東)も結局は当時左派戦術を有効とみて「過激化」したと思いますが
ブントとはちがう基準をもっていたと思います。

従ってブントの「戦術急進主義」についていうならば四トロ派は
「戦術として批判しながら、一部採用した」といえるんじゃないか?
急進主義闘争をおこないながら「社共政府を!」などと言っていたのは
まさにそのあらわれだと思います。

もういちどふりかえる  投稿者:いずみ  投稿日:2000/11/10(金)13時25分07秒
時間軸順に。

>けれども、そのテロリズム路線には絶対反対

>私は暴力一般を否定しません。必要な時には武装するべきです。
>しかしその時には「敵」をはっきり区別するべきです。

>無差別な殺人を容認するべきではありません。

>レーニンはテロルについて「もっともよい場合でも補助的な役割しかはたさない」と言っていた

>少数の決意した集団による無差別武装襲撃と大衆的いんてぃふぁーだとはまったく別物です。

とここまで追って、いずみは
「少なくとも、テルアビブのようなテロは全く許されない」
との主張と判断しています。
以上の抜粋が、全体の趣旨からそんなにはずれてるわけではないと思います。

テルアビブ乱射には反対です。  投稿者:まっぺん  投稿日:2000/11/10(金)13時53分40秒
おっしゃるとおりです。そして
>テロやゲリラが有効な戦術たり得る可能性だってあるかも知れない。
にも賛成です。
しかしテルアビブはその「可能性」にふくめることはできないと思っています。

記憶をたどってみます…  投稿者:馬おじさん  投稿日:2000/11/10(金)17時30分40秒
 うーん、今仕事から帰ってきて、昨日来の皆さんのカキコを読んで、どこが
すれ違っているのか、いろいろ考えて、当時の記憶をたどりながら、あの時私
が感じたこと含めて、ちょっと書いてみます。
 
 1972年5月30日、リッダ作戦。その時の私の気持ちは「やったー」というもの
だった。それは一つには連合赤軍の暗い記憶をぬぐい去るものだった。「やは
り武装闘争は、敵地で、敵の中枢に向けて行わなければ」という気持ちが、一
瞬の解放感を生んだことは間違いない。
 「そうだ武装闘争は、敵を倒すためのものだ」と、単純に考えた。「やはり
赤軍派は革命戦争をしていたんだ」と、すんなり受け入れ、そして、その中心
が重信さんだと知ったとき、私は重信さんを尊敬し、革命戦士にあこがれた。

 記憶をたどれば、そうした気持ちしか浮かんでこない。国際根拠地とか世界
革命とかいう路線は、正直どうでもよかったと思う。理論にこだわるより革命
というのは、武装闘争というのは、こういうもんだという素朴実感主義だっ
た。だから、口先での理論闘争というのは、当時から馬鹿にしていたし、
「闘わない理由はいくらでも必要だが、闘う理由はひとつあればいい」とい
う言葉が好きだった。
 そんな人間は、私のまわりにたくさんいたし、そしておそらく当時の新左翼
と言われる人達の多くが、そんなふうに思っていたのだと思う。特に私のよう
に連合赤軍にシンパシーを持ちながら、しかし仲間をその過程で殺していった
ことにどうしようもないジレンマを抱えていた人達を、そのジレンマから解放
したのだと思う。
 そのことがよかったか、悪かったかはともかく、あの闘争を聞いたとき、私
の頭を押さえ付けていたなにかが、きれいに外れたことは間違いない。事実、
あの闘争の後、連赤ショックでしばらく姿をみせなかった人達が帰ってきた
し、赤軍派シンパも空気が入ってきた。それがやがて8.25共闘を作る底流に
あったと思う。

 正直いって、当時の記憶ではそういうことしか浮かんでこない。それから28
年、いろいろなことがあって、私自身の考えも様々に変わってきた。しかし、
今でも、あの時の一種の解放感は覚えている。そういう意味では、決着をつけ
ておくべきだった連合赤軍の総括が、今改めて問われているのだと考えます。
このことについては、今執筆中の「ブント論」で一つの方向を出していくつ
もりでいます。しばし、時間の猶予を頂ければと思います。

 それからリッダ(テレアビブ)作戦については、評価としては、日本赤軍の
単独闘争というわけではありませんし、パレスチナコマンドの闘争の一環とい
うところからの評価がなされてしかるべきだと思います。つまり、あの闘争を
日本人ではなく、パレスチナ人のコマンドがしたと仮定したら、たとえばまっ
ぺんさんやH・Hさんはどういう評価をなさるでしょうか。やはりテロリズム
であり、大衆の支持を失う、唯銃主義的闘争と評価なさるのでしょうか。

 リッダ作戦はパレスチナ人には実行不可能な作戦でした。立案したのは
PFLPのワディ・ハダド博士でした。言うまでもなくモサドというものが
あります。彼らこそ政治的暗殺を主とし、イスラエルシオニストが敵と規定
した者を先行的に抹殺し、時には「友好国」の主権をもふみにじって暗躍し
てきたことはご承知と思います。その関係で、日本赤軍が志願し、作戦の実
行部隊となったのです。パレスチナの人達のリッダ作戦に対する評価は、前
回述べたとおりで、「少数の決意した集団」を支えているものは、パレスチ
ナの人達の「抵抗の意志」(やがてインティフーダという形になる)なので
す。つまり、ゲリラ戦における人民の海の存在。これは分けて考えることは
できないと思います。分けて考えるなら、すでにパレスチナ大衆の心と離れ
ることになります。当然解放とも革命とも無縁のただの評論にすぎません。

 誤解のないように再度言いますが、上記のことはパレスチナの解放組織の戦
術としての話です。その中にたまたま日本赤軍がおり、諸条件の中で、日本赤
軍が実行したということからの話です。つまり、リッダ作戦を日本赤軍がやっ
たということに対して、過度に「日本赤軍」にウエイトを置いて、まるで日本
赤軍が単独で、自律的にやったかのように考えるのは、それこそ「一国的」
「民族主義的」な考えではないでしょうか。それこそ簡単に「義勇軍」と考え
たら、少なくとも、パレスチナ解放闘争の枠組で了解できると思います。戦争
中の戦闘行為ですから。当時パレスチナの難民キャンプを爆撃し、病院や赤十
字まで攻撃して、「民間人」を大量に殺したのは誰だったでしょう。そんなこ
とは、世界の注目を集めていませんでした。リッダ作戦によって、初めて世界
が反応したといっても過言ではないと思います。私も、それまではパレスチナ
の問題は「ゴルゴ13」でちょっと知ったくらいですから。
 ただ言いたいことは、リッダ作戦を「日本赤軍」がやったから間違いなの
か、それともパレスチナ人のコマンドでも許されないことなのかということで
す。もしパレスチナ人のコマンドでも許されない「テロ」であるとするなら、
理解できます。少なくとも単純論理的には一貫していますから。納得はしませ
んけど。

 ともかくパレスチナ解放闘争の路線と、日本赤軍そのものの路線とは別個に
考えるべきだと思います。私は心情的にはさておき、日本赤軍は事実上の義勇
軍だったと考えています。理論的には、かなり無理がありますし、「トンデ
モ」だと言われてもしかたのないものじゃないかとも思います。
 ただ、それを「テロリズム」路線とおしなべて一色にしてしまうことには反
対です。それはここで「テロリズム」路線とすんなり割り切り、「だから駄目
なんだ、私たちには関係ない」となることは、おそらく世代を変えて、同じ過
ちを繰り返すことになる可能性があると危惧するからです。
 あまりまとまりません。皆さんの文を読んで再考していきたいと思います。

ちょっとだけ  投稿者:田舎の赤爺  投稿日:2000/11/10(金)18時17分56秒
 まず、私、元赤軍派じゃないんでその事を前提に書き込み致します。
まっぺんさんのように過去の赤軍の文章を持ち出して批判する事、それ
も、よしです。しかし、党建設、或いは、路線的に誤っていると云う形
で論じてしまってはそれは党派闘争と云った土俵であって、私も含め、
主義者的趣味者には、ちと、荷が重過ぎます。
(私も最初のまっぺんさんの書き込みで極めて主義者的に対応してしま
ったのですが。。。)
それを前提に語るならば、70年以降、私達は圧倒的敗走状態でありまし
て、これは日本だけのことではなくて、世界的に同じだと思う訳でして
、時に帝国主義者の支配強化で綻びが生じた時のみ、そのareaで突出し
た闘いが顕著に、又、先鋭に闘われる訳でして。。。
そういった処から云えば、やはり日本赤軍の闘いはその持久力、戦闘性
において評価されねばならないと思います。(もっともまっぺんさんの
云うように日本赤軍の武装闘争をテロと云う形で評価してしまうのであれ
ば、これ以上、語る言葉を失ってしまうのですが。。。)
唯、しいて云えば70年前後、或いは、3.26の闘いでさえ、一般大衆から
は遊離しており、そこで武装闘争なり実力闘争したことさえ清算しなけ
ればならないんじゃないかと思う訳でして。。。
私が思う事は、日本赤軍の軌跡を殆どの党派が乗り越えられず(彼等
以上の赤色テロを行なえた云々といった事でなく。。。)それがまっぺ
んさんの立場からいってもそうであると思う訳でして。。。
赤色テロを批判するのも結構ですが、やはり、私も含め彼等を批判しつ
つも、彼等の実践の足元にも及ばない訳でして、それを抜きにして語る
事はやはり問題なんじゃないかと思う次第です。
もし考え方で違うのであれば、やはり、違った分野で対等と云える運動
を構築しなければ空論でしかないと思う訳でして。。。
まぁ!今回の事に関して、日本の新左翼の諸君の中から「テロ」と云う
形で批判する方がいらっしゃるとは、つゆぞ思わなかったもので。。。
やはり20年余りの空白は私にとっては重いものでありました。。。
私は各派、各個人に夫々の寄りかかる理論があっても、そのような垣
根を超えて日本赤軍にその幻想を託していたと思いこんでおりました。
私事で云えばですね、仕事で海外に行く時は否応なしに成田空港から
乗るのですが、個人で行く時は極力、他の空港を利用するとか(例え
飛行機代が高くても。。。)そう云った形で廃港闘争に連帯する訳で
して、やはり成田空港から乗る場合は何が起きても甘んじてうけいれ
る覚悟ですし、そのスタンスは以後も維持するつもでいます。
そんな観点から翻ってもテルアビブの闘いをテロと切り捨てるのには
やはり納得出来ないものが残ります。。。
私、それに党主体論を持ち合わせておりませんので、そこからの批判
は余り意味を持ちません。

テロとゲリラについて  投稿者:まっぺん  投稿日:2000/11/10(金)19時12分48秒
「テロ」と「ゲリラ」について、もう少し考えてみたいと思います。まず、どう定義するべきでしょうか?

「テロ」とは大衆的な闘争によらず爆弾、ナイフ、毒殺その他の非公然な形での、おもに個人を特定して抹殺す
る行為と定義するべきでしょうか? まちがってたら指摘してください。そういう定義でいうなら、イスラエル
はモサドによってこれまで多くのパレスチナ解放勢力幹部を抹殺してきました。昨日もミサイルを使ってファタ
ハ幹部を殺しました。またアメリカもそうです。湾岸戦争の時などはどさくさにまぎれてサダト所在地とおぼし
き場所を直接狙って攻撃しています。こうした行為こそ「白色テロ」として糾弾されねばならないと思います。
ツパクアマルの闘士たちを「人質解放」の名のもとにひとり残らず殺したペルー政府も同じです。

「ゲリラ」とは「正規軍」による正規戦に対することばで「遊撃戦」の事ですね。正規戦をたたかう力がない時
にやむなく採用する戦術であると思います。現在イスラエルに圧倒的に有利な力関係(米帝が背後にある)のな
かでアラブ人民がとるべき手段は主要にゲリラ闘争しかなかった。だから、その限りでやむを得ないものとして
防衛しなければならないと思います。なお、日本赤軍がおこなった闘争はすべて「ゲリラ闘争」として分類でき
ます。では「テロ」なのか?この分類はちょっとわかりません。ハイジャックとか大使館占拠も含めてブル新聞
はすべて「テロ」と呼びます。それは正しい規定なのかどうか?

これらをどう呼ぶかはともかく、こういった闘争は有効なのでしょうか?いずみさんの「もしかしたらテロやゲ
リラが有効な戦術たり得る可能性だってあるかも知れない」に対するまっぺんなりの回答です。日本赤軍は主に
70年代いっぱい様々な闘争をおこなってきました。テルアビブ空港襲撃、オランダ・ハーグのフランス大使館
占拠、マレーシア・クアラルンプール米領事館占拠、ダッカ空港ハイジャックなど。大使館占拠は首肯されるべ
き戦術だったでしょうか? まっぺんには断定できませんが、感覚的にはあんまりおすすめできる闘争とは思い
ません。じゃあ「大使館占拠」という戦術は全て無効なのか?

非常に有効で革命的な「大使館占拠事件」があった事をまっぺんは覚えています。それは68年のテト(旧正月)
にベトナム解放民族戦線の決死隊がアメリカ大使館に突入・占拠した事件です。ベトナム戦争の真っ最中におこ
った事件であり全世界に衝撃を巻き起こしました。これによって全世界で反米闘争が燃え上がり、ベトナム解放
闘争の地平が大きく切り開かれました。10数名の突入部隊は全員殺されましたが、英雄として記憶されるべき
だと思います。このように「時と場所」を選べば「テロ・ゲリラ」は有効だと思います。

ついでに3・26についてもちょっと。戦闘形態でわけると、8ゲート突入の赤ヘル三派は「正規戦」、菱田小
から出撃の部隊も「正規戦」、要塞籠城部隊も、はじめから「おやくそく」な戦闘であったわけですから「正規
戦」といっていいでしょう。三里塚公園からのデモ隊も「正規戦」と分類していいでしょう。地下水路からの管
制塔突入部隊だけが「ゲリラ」といっていいでしょう。それでは「ゲリラがうまくいったのだから、積極的にゲ
リラで行くべきだ」という教訓を引き出すべきでしょうか?そうはならないでしょうね。なお、すでに本などで
も明らかなように管制塔突入部隊には厳重な注意が言い渡されていました。(1)職員に危害を加えない(2)
人質をとらない。3・26闘争を「テロ」と宣伝されないためにも、また「空港」への闘いであることを示すた
めにも必要な注意だったと思います。

戦争と政治…  投稿者:馬おじさん  投稿日:2000/11/10(金)21時33分07秒
 まっぺんさん、申し訳ありませんが、それって、ものすごく古典的なクラウ
ゼヴィツの『戦争論』の話で、要するに「軍事は政治の延長である」というこ
とだと思います。
 極端にいって、「テロ」であれ、ゲリラであれ、正規戦であれ、「勝利した
ものが正しい」ということから一歩もでていません。もちろんそれは「政治的
な勝利」という意味です。軍事的にはテト攻勢は敗北でしたから。そして、そ
の政治的勝利っていうのは結構長いレンジの話ではないでしょうか。歴史は止
まっていませんので、今簡単に一方的に判断できるものなのかどうか。?です。 
 そして、その政治的勝利という意味なら、なぜテト攻勢は正しくて、リッダ
作戦は間違いなのか。私には理解できません。政治的には同じだと思いますけ
ど。結果的にベトナム革命が「勝利」したからなのか。それについても、私は
現段階で言えば『裏切られたベトナム革命』にあるように、勝利したとは全く
思っていません。結局南ベトナム解放戦線の人間を利用し、その後で粛清した
り、弾圧して成立したのが、今のベトナム政府だと思っていますので。こうい
う考えって、まっぺんさんは「反スタ主義」と思われますか。
 私も基本的には田舎の赤爺さんと同じで、党主体論(革命的な前衛党が革命
を指導する・これでいいのでしょうか、田舎の赤爺さん)とは遠い所にいます
ので。
 それから、管制塔占拠闘争に関して、そういう規律が守られていたとは思い
ますが、じゃ、どこまで貫徹できるのか。暴論だと承知はしていますが、その
規律がとことんのとこでどうなのか。私は、はっきり言って疑問です。本当に
ためされる所でためされたのか、私には何ともいえません。けれど、ぎりぎり
の所での話と、余裕のある所での話とは、全く質的にかわってしまうと私は思
います。私が簡単に連赤を否定(批判ではない)できないのは、一つはそこに
あります。もちろん、政治的にも、理論的にも、そして人格的にも無縁の存在
であるといわれるなら、それまでですが。
 
 それからテロとゲリラって、そんなに簡単にわけられないと思います。あり
とあらゆる手段を用いて闘うのがゲリラですから。ただ、そこで「政治」の問
題が出てくるとは思います。簡単に言えば、ゲリラ闘争の一環として「テロ」
もあるとしかいえません。あとは政治的な問題でしょう。ただその政治も客観
的な指標っていうのは、どうも?です。はっきり「政治的にこれが正しい」と
言える人はうらやましい限りです。
 ただ一つ言えることは、誤りをも含めて、闘ってきた人がいるから、こうし
た議論も成り立ちうるということです。そういう方向で、私も考えを確かめて
いきたいと思います。
 

「勝利したから正しい」のではないです  投稿者:まっぺん  投稿日:2000/11/10(金)22時21分37秒
テト攻勢については勝利のあとから「あの時は正しかった」と言っているわけではありません。アメリカのお茶
の間にいきなりリアルタイムでサイゴンの激しい銃撃戦の場面が放映され、それ以来急激に「ベトナム反戦」の
声がアメリカ国内に広がった、と記憶してます。その同じ画像は世界中を駆けめぐり、米帝は追いつめられてい
きました。「大使館占拠」についていえば大衆的な支持を期待できるかどうか、じゃないかと思いますが、なぜ
「イスラエルのアメリカ大使館」ではなく「オランダのフランス大使館」だったのでしょうか?なぜイスラエル
でも「民間人をねらった」のでしょうか?「空港は軍事施設」だというならば、なぜ空港の中の「侵略の象徴」
となるような私設とか「軍事施設」とかを襲撃しなかったのでしょうか? 3・26戦士が「空港職員を狙わな
かった」こと「人質をとらなかった」ことはそれに共通するものであると受け止めています。まあ「結果論」と
いわれればそれまでですけど。それから「インティファーダが日本赤軍の闘争の成果である」というべきなので
しょうか? それはにわかには受け入れがたいです。

なお、馬おじさんの

>ただ一つ言えることは、誤りをも含めて、闘ってきた人がいるから、こうし
>た議論も成り立ちうるということです。そういう方向で、私も考えを確かめて
>いきたいと思います。

は、まったく同感です。他でもかいたけど我々はみんな「間違う動物」です。人間も組織も。おおきな間違いを
おかした結果として、第四インター日本支部は消滅したのですから。

うーむ、ちょっと補足…  投稿者:馬おじさん  投稿日:2000/11/10(金)23時29分21秒
>アメリカのお茶の間にいきなりリアルタイムでサイゴンの激しい銃撃戦の場面
>が放映され、それ以来急激に「ベトナム反戦」の声がアメリカ国内に広がっ
>た、と記憶してます。その同じ画像は世界中を駆けめぐり、米帝は追いつめら
>れていきました。
 
 これが政治的勝利ということです。軍事的には敗北だと書いています。
 パレスチナでもハイジャク(かのライラ・ハリド)等あって、イスラエルを
批判する声はそこそこありましたが、リッダ作戦によって、世界がパレスチナ
問題を知ったということがあります。それからオリンピックでの闘争。これら
は軍事的には?ですが、世界にパレスチナ問題を提起したという意味でPLO
等も政治的に評価していたはずです。そういう流れの中で、曲がりなりにも、
バレスチナ国家ということが政治的スケジュールとしてでてきたわけです。
 それから日本赤軍の闘争がインティファーダの下地となった、とは書いてい
ますが、「日本赤軍の闘争の成果である」とは書いていないと思います。日本
赤軍がいようがいまいがインティファーダは起こるべくして起こったと思いま
すし、パレスチナの人達の抵抗の意志というものははっきりしていましたか
ら。「火付け役」と言えばよかったかとも思います。けど少なくとも、リッダ
作戦前においては、国境地帯での闘争と、ハイジャクがあったけれど、イスラ
エル国内での国家機関の中枢とも言えるところでの闘いは、リッダ作戦が初め
てでした。そういう意味での政治的評価です。
 それから、リッダ作戦はもともとは「人質」をとって、アピールする予定
だったのが、諸般の事情で、ああいう形になったと聞いています。結論的に人
質は難しいということで、「カミカゼ的自爆」となったのだと記憶していま
す。それは私たちの想像を絶するせめぎ合いの中で選択されたものだと思います。けど、作戦を立てたのはパレスチナ側ですし、それに志願したのが日本赤
軍であるという構造は変わりません。当然ですが、イスラエル国内の最重要拠
点を攻撃したかったと思います。しかし、それこそ諸般の事情でやむなく選択
されたものだと思います。「ゲリラ」たるゆえんです。
 

前世より兄弟かも?  投稿者:田舎の赤爺  投稿日:2000/11/11(土)01時09分20秒
 馬おじさん(兄)とこれほどまでに共通の友人、物の考え方が似ていると
もう前世より兄弟としか云い様がありません。
唯、何処の世界でも弟と云うものは愚弟が殆どで、迷惑を掛ける事を当たり
前に思っている処があり私の言質でご迷惑をかけるやも知れませんが御容赦
願います。

まず、まっぺんさんが云われる3.26の4トロの考え方(人質を取らない)に
関してですが、確かにどんな闘争においても犠牲は最小限に、そして人民を
傷つけない様にする配慮は必要だと思います。
しかし、闘いの真っ只中で、その事に束縛されて、敗北する事は人民に対
して裏切りであると思います。まっぺんさんは如何にも組織的考え方の様に
仰いますが、それは自分自信が持ちあわせているヒューマニズムに依拠した
発言の様に感じられます。革命の側の戦士は、あえて一般人を殺戮しようと
考えないでしょうし、だからこそ帝国主義者のそれ(テロ)と区別されるの
だと思います。
現在、日本で帝国主義者と闘われている状態が、極めて安全を保障された闘
いであって、本当の意味での極限の状態で対権力闘争を行っている第3世界の
その闘いとは明らかに違っている故、その様な発言が出来るのだとも思う訳
でして。。。
確かにカッコイイ発言かも知れませんが、将来、行われる帝国主義者との
闘いをその様に想定していたならば大きな敗北を喫するだろうし、それは取
りも直さず人民への裏切り他ならないと思います。やはりそれなりの配慮の
必要性は感じますが、それが絶対条件の様に、そこに依拠し語る事には違和
感を感じてしまいます。

いえ、だから管制塔占拠は・・・  投稿者:H.H  投稿日:2000/11/11(土)11時13分17秒
田舎の赤爺さま

3・26は開港阻止=管制塔機能の破壊が第一義的目標です。
その際には、人質をとるということはなんの意味もなしません。
人質をたてに「開港しないことを約束しろ」とか「管制塔を爆弾で爆破しろ」とか
いう勝てそうもない戦術を立てるよりも、全国動員の部隊で警備などを拡散させ
その間に管制塔戦士たちが管制塔機能を破壊するという目的の遂行のために
きわめて現実的な戦術をとったのです。

そもそも人の命を引き換えにして何かを要求するという、きわめてリスクの大きい
作戦は、できるだけ避けるということでしょうし、また世論的にも共感を得られない
ということがあります。
やっぱり、できるだけ大義名分(自分勝手な、ではなく)のある闘いをもとめる
ということが必要ではないでしょうか?
ロシア十月革命では、ソビエトの方針にしたがって蜂起した、という大義名分に
こだわりました。

そうそう、ここからは聞き流してもらってかまわないのですが、
「やっぱりブント系って思考回路がにているなー」と昨日友人たちとの会話で
盛り上がりました。「四トロ」だっておなじですね。
でも私はやはり後者の思考回路であることを誇りに感じています。
残念ですが、日本赤軍のような戦略こそ、将来の階級闘争を敗北に導くのです。
あ、でも前衛党ではなく「義勇軍」というふうにみなさん規定されているようなので
そんなことは関係ないのか。

すいません、話しが飛びます。
70年以降は圧倒的敗走で、日本赤軍の快挙がそのような雰囲気を変えた、
というようなことですが、そうですか?
中国、韓国もそれなりに熱かったのではないですか?
またベトナムなんかはそれこそ当時の青年を熱くさせる闘いを展開していたのでは
ないですか?
80年くらいまでには、少なくともこの3国の大衆的闘いはおおきなピークを
迎えますよね。それは関係無かったのでしょうか?

違いが分かってきた!  投稿者:まっぺん  投稿日:2000/11/11(土)11時45分39秒
だいぶ議論が煮詰まってきたみたいですね。われわれの共通点と相違点とがだんだんわかってきたと思います。
「馬おじさん」「田舎の赤爺さん」ご兄弟(^^;;)のお考え、だいたいわかりました。
「ヒューマニズム的意図」がかならずしもそのような結果を得るとはかぎらないという主張は全くそのとおりだ
と思います。そして日本赤軍の一連の行動については「あんまりおすすめできない」とは書きましたが、私も戦
術レベルで正しい判断ができるとは自分でも思っていませんから、彼らの作戦行動についてこれ以上の批判はや
めておきましょう。それに何よりも日本赤軍への批判は、やり方をまちがえると敵に利用される事がありますか
ら。それにしても日本共産党による批判は許しがたい“反階級的批判だよなぁー!凸-"-)
http://www.jcp.or.jp/akahata/20011/1109/201109_sigenobu_taiho.html
または
http://www.jcp.or.jp/akahata/20011/1109/201109_sigenobu_taiho.html
葉寺覚明同志!非常に役だってます。感謝です(^^)

しかぁし!
テルアビブでの空港乱射事件だけは絶対に納得できません。
田舎の赤爺さんは「革命の側の戦士は、あえて一般人を殺戮しようと考えないでしょう」と書いてますが、日本
赤軍はそれをやってしまったのではないでしょうか? 空港にいた人々の中で例えば軍人とか警察官とか特定の
人を狙ったわけでなく機関銃による“めった撃ち”ですよ。それは大衆的共感を得る戦いだったとは思えません。
戦術レベルの問題ですが「大衆的に納得できる」たたかいでなければ大衆的支持を得ることはできません。馬お
じさんは「ベトナムは政治的勝利」と結果論的に言いますが、そうではないと思います。「大衆的に納得できる
形の闘争」であったから、大衆的共感を得られた。だからアメリカを追いつめ「祖国解放」を勝ち取ることがで
きたんだと思います。ベトナム指導部のスターリニズム的傾向については、まあ保留しておきましょう。

まっぺんはもともと「非政治的人間」でした。私を開眼させたのは「ベトナム」です。だから人一倍ベトナムへ
の思い入れは強いかもしれません。でも「ベトナム」と「パレスチナ」を比較する時、その置かれた状況の相違
とともに「たたかう主体」のがわの違いも感じてしまいます。「ヒューマニズム」についてのお褒めの言葉(と
受け取っていいのかな?)ありがとうございます。しかし「ヒューマニズム」は「階級意識」に依拠しないと結
局「善意にもとずく悪事」をきたす事もあると理解しています。田舎の赤爺さんが後段で危惧されている事、つ
まり「ヒューマニズムだけでは現実の厳しい階級闘争の中では的確な判断ができない、したがって結果的に敗北
したら、それは階級的裏切りである」との指摘もまったく正しいと思います。私は、同じ観点から述べているつ
もりです。つまり「敗北しても正しい方法はどちらか」ではなく「勝つ方法はどちらか」という観点から戦術を
選択するべきであるという事です。そうした観点からも「テルアビブ乱射」はまちがった作戦だと思うのです。

「原則」は尊重するべきです。原則を踏み外したら人民の支持を得られません。人民の支持無しには勝利しませ
ん。たとえ勝利しても、あとで大きな問題をのこすでしょう。つまり「勝利のために原則をまもるべき」と言っ
ているのです。・・・これが四トロ系の基本的立場だと思います。

URLまちがい(^^)  投稿者:まっぺん  投稿日:2000/11/11(土)11時55分26秒
ひとつは葉寺覚明さん引用文(マルキョーBBS)です
http://marukyo.cosm.co.jp/forum/data/forum3/200011092322271923.html
間違えておなじURLをとってしまいました。

場をかえて  投稿者:(^0_0^)  投稿日:2000/11/11(土)13時42分26秒
 こんにちは、みなさん。
重信さんの文章を少しだけ裏共産同さんのとこに書いてみました。
よろしければ読んで見てください。若い頃心から感動した文章です。
日本赤軍の皆さんへの思い入れはこれにつきます。
 そんでもって3.26闘争は断固としてテロではなかったと考えま
す。もし始めからそういう風に戦略−戦術を立てられていたとしたら
私みたいな弱虫は参加しなかったでしょうから。関係ないか。(^_^;)

 投稿者:田舎の赤爺  投稿日:2000/11/11(土)15時14分26秒
  3.26をテロと規定している訳ではないんですよ!
それだったら、テルアビブ闘争(本当はリッダと呼ばなきゃいかないんでした
っけ。。。)をテロと規定しているのかそこのところをはっきりさせて下さい。
と云っている訳でして。。。
再度、書き込みますが。。。
イスラエルと云う国家はシオニスト国家であり、建国より帝国主義者の陰謀に
よってもたらされたものであり、良心的ユダヤ人はその国家に足を踏み入れま
せんし、パレスチナの左翼戦線からはそれに対する警告は何度も何度も発っせ
られております。その国家に出向く事自体が、主体的に選択した事であり、そ
れをテロとか無差別といった表現で批判する事はどう考えても納得できません。
それに、銃撃戦において彼等(=巡礼者)を特定し狙った訳でもありませんし、
そこの処を引き合いにだして誇張する姿勢自体が帝国主義者の「反テロ」宣伝
戦に荷担する結果になるんだと云う事を言いたい訳でして、その為だけに、3.
26を引き合いに出しているのです。そこの処を理解した上で再度、反論して戴
ければ非常に有難いのですが。。。

下記書き込み訂正です!  投稿者:田舎の赤爺  投稿日:2000/11/11(土)15時21分06秒
それだったら、テルアビブ闘争(本当はリッダと呼ばなきゃいかないんでし
たっけ。。。)をテロと規定しているのかそこのところをはっきりさせて下さい。
と云っている訳でして。。。

を

それだったら、テルアビブ闘争(本当はリッダと呼ばなきゃいかないんでし
たっけ。。。)をなぜテロと規定しているのかそこのところをはっきりさせて下さい。
と云っている訳でして。。。

に訂正です。(「なぜ」が抜けております。)

「テロ」かどうか  投稿者:まっぺん  投稿日:2000/11/11(土)16時28分47秒
テルアビブ乱射事件についての私の立場はすでにこれまでの記述によって鮮明です。
田舎の赤爺さんの質問は「テルアビブ(リッダ)をテロと呼ぶか呼ばないか」に固執していますね。
それは「テロ」の言葉を踏み絵にして「支持者か敵か」を分けようとする行為です。
まっぺんは、そしておそらく四トロ系の人々は「支持しないが防衛・支援する」立場だと思います。

「テロ」のことばは敵にとって都合がいいことばであり敵側からの宣伝材料となります。
あえて私にその言葉をいわせることによって敵の陣営に私を追い込むのですか?
それとも「テロではない」と言わせることによって、あの絶対にあやまっている作戦を承認させるのですか?
まっぺんはどちらも拒否します!!!!

まっぺんさんすみません!  投稿者:田舎の赤爺  投稿日:2000/11/11(土)18時39分45秒
まっぺんさん!ごめんなさいね!
そう怒らないでください。私の表現の悪さのせいもあるのですが、わたしの
理解したい事は、3.26の4トロの闘い(勿論、支持します。そして警備員等
を人質に取らずに、開港を遅れさせた事はこの上ない事です。)が、しかし、
その事とリッダの闘いとまっぺんさんや4トロ系の方々が言われるような批
判とどれほどの差異があるのか?と云う事でして。。。
何故、そこまで支持できないと云った形で一刀両断出来うるのか、そこの処
をもっと知りたいし、違うんじゃないかと云う事を伝えたいだけであって、
踏絵にしようとか敵の陣営に追い込むとかその様な謀略を練っている訳では
ありません。おおよそ旧bundの人にはそのような小細工をするほど謀略に長
けた人間はおりませんし(あっ!!一部いますが。。。)、私もそんな事を
する意思はありません。そうとられておられるのであれば、この場を借りて
自己批判致します。
それを前提にしてもう一度、下記の書き込みに何らかのコメントが戴ければ
幸いです。

昔々その昔・・・  投稿者:  投稿日:2000/11/11(土)19時41分30秒
4トロ系の高校生が大教組の大会に乱入し、「おまえたちは敵だ!」と言い放ったことを思い出しました。
4トロの中でもこの行為に対し内部で激論が交わされたことがありました。
当時の私は、支配者として登場する教師に日々闘いを挑んでいましたので、
闘う高校生に、圧倒的な開放感とともに喝采を送りました。
しかし、今は私は間違いであったと思っています。
問われていたのは、教育労働者をいかに我々の側に獲得し共通の敵に立ち向かうかだったのであり、
教師を敵に回すことではなかったと思っています。(今でも許せない一部反動教師はいますが。)
あの高校生たちに、「ほかに選択肢があったのか?」と当時問いかけられても回答できるとは思いませんし、
「生徒にとって自らの存在そのものが犯罪である。」と突きつけられた教育労働者にも何らかの得る物があるかもしれません。
しかし、それでも間違いなのです。

パレスチナ人民と高校生を比較するのは無理があるかもしれませんが、
「心情はわかるわかりすぎるが、それでも間違っている。」としか言えません。

いえいえ〜\(^o^)  投稿者:まっぺん  投稿日:2000/11/11(土)19時42分46秒
(^0_0^)さんによる重信房子の宣言よみました。たしかに、とても胸があつくなる文章です。
重大なあやまりを犯した同志への悲哀をこめた批判の中に再度階級的立場にたたせようとする呼びかけがある。
それを読んでも、階級的立場に立とうとする重信さんの意志は伝わってきます。
「自らの体内に共産主義がなければならない」と重信さんは言っていますね。それはどのように解釈され実践さ
れるべきなのでしょうか?共産主義的人間とはどんな人間なんだろうか? 全然「共産主義的」でない私にはわ
かりません。だから彼女の言葉にたいして、論理的に明快に応えるだけの力量は自分にはないと思っています。
それを前提としてですが、まっぺんの考えを書いてみますね。

>イスラエルと云う国家はシオニスト国家であり、建国より帝国主義者の陰謀に
>よってもたらされたものであり、良心的ユダヤ人はその国家に足を踏み入れま
>せんし、パレスチナの左翼戦線からはそれに対する警告は何度も何度も発っせ
>られております。その国家に出向く事自体が、主体的に選択した事であり、そ
>れをテロとか無差別といった表現で批判する事はどう考えても納得できません。

つまり「そこにいるのは全て敵である」という主張ですね。「いやなら出て行け、さもなければ何がおこっても
知らないぞ」という事だと思います。しかし、そういう風に断定してしまっても良いものでしょうか?どんなに
受け入れられない理由によって建国された国家であっても、そこに存在し経済的理由や様々な関係によってその
国に縛り付けられている人はたくさんいると思います。現に日本にだって60万人もの在日コリアン達が、日本
の理不尽な扱いにも関わらず自らの国籍をそのままにして暮らしています。北朝鮮などは国籍そのものが認めら
れていないのです。日本はそんなひどい国なのに在日朝鮮人も日本から出ていきません。それはすでに生活圏が
日本に確立しているからではないでしょうか。
同じようにイスラエルという国家も、その成立過程は我々にはとても受け入れられませんが、現にそこに暮らし
ている人たちをただちに「敵」と断定し「どうなっても責任をもたない」というのは短絡的ではないでしょうか?
それにイスラエルはユダヤ人たちばかりでなく多くの貧しいパレスチナ人が暮らしていて、彼らがインティファ
ーダの主力であるわけです。

因みに、私のHNの由来である「MAPPEN」はイスラエル国内の反戦組織で、その中に第四インターのメンバー
がいたそうです。現在その組織はどうなっているかわかりません。また、パレスチナ人労働者のなかでもトロツ
キストは労働運動を組織し、日本赤軍やPFLPとは違った方法ではあるがアラブ解放のための活動をおこなっ
ています。「良心的ユダヤ人はイスラエルに足を踏み入れない」と言われますが、ユダヤ人トロツキストについ
ては「あえてイスラエル国内にとどまり、そこで反シオニズムの活動をおこなってきた良心的ユダヤ人」なのだ
とまっぺんは考えています。

トロツキストだけが「良心的ユダヤ人」ではありません。パレスチナ人と連帯しようとするユダヤ人は多くはな
いけど確かにいます。あるいは好戦的なシオニストに対して平和主義を求めるユダヤ人もいます。つまりユダヤ
社会とて一様ではないのだと思います。そうした混沌として雑多な政治的・民族的・階級的状況にあるイスラエ
ル国家に対して無差別な銃撃が大衆的支持を得るとは思えません。現地のトロツキストがこの空港乱射作戦につ
いてどのような評価をしているかは知りません。しかし、こういうやり方はユダヤ・アラブのトロツキストにも
受け入れられない戦術だったんじゃないかと思います。

遅れてしまった…  投稿者:馬おじさん  投稿日:2000/11/11(土)21時54分49秒
 書いていたら、ずいぶん話が進んでいたので、なんか引き戻すようでちゅう
ちょしながらアップします。

 私の発言と、それに対するまっぺんさんの反論を私なりに整理して考えてみます。

 まず、私がいっていることは、大きく分けて二つになると思います。一つ
は、リッダ作戦について、パレスチナ解放の一つの戦術として選択されたと
いうこと。その場合、実行主体は日本赤軍だが、過度に日本赤軍にこだわら
ず、パレスチナ解放闘争という視点からの評価が必要なのではないかというこ
とだったと思います。
 二つ目は、日本赤軍の路線の評価についてですが、これについては「テロリ
ズム」路線とすることには反対である、ということでした。

 先に二つ目についてから簡単に述べますと、私自身は評価を下していないは
ずです。ただ「安易にテロ」といわないでほしいと、言っていたと思います。
その評価については、連赤の総括とあわせて考えることが必要だとして、しば
しの時間の猶予をと言ったと思います。
 私自身は日本赤軍の路線と理論については、やはり無理があるとは思ってい
ます。けどその闘争形態をもって「テロ」と斬って捨てることには、反対で
す。いわば「たらいごと赤子を捨てる」ことになるのではないかと思ったから
です。
 ここまでは了解されるでしょうか。

 で、第一番目のことについてですが、まっぺんさんの評価の軸は「大衆的に
納得でき、かつ大衆の支持を得られる」という一点に集約されると思います。
まっぺんさんは、その意味でリッダ作戦は「無差別乱射」闘争であり、大衆の
支持を失う誤った作戦である、という評価だと思います。そして、それが仮に
日本赤軍でなく、パレスチナコマンドによって闘われたものであったとして
も、間違った戦術であるという評価だと思います。違うでしょうか。
 そして、その闘争方法(無差別乱射)については支持しないけれども、パレ
スチナ解放という政治目的については「防衛・支援」する立場を取るというこ
とだと思います。これでよろしいでしょうか。

 それで、まっぺんさんの評価の軸である「大衆が納得でき、大衆の支持を受
けることができる」ということですが、これについては私は異論はありません
し、そうした意味で私もリッダ作戦の評価をしていることが読み取れるのでは
ないかと思いますが、いかがでしょう。
 違いは、私がリッダ作戦については「パレスチナ大衆が納得し、かつ事実と
してパレスチナ大衆の圧倒的支持を受けた」と評価していることで、意見が分
かれているのだと思います。
 私はリッダ作戦における大衆の支持や評価という時に、「パレスチナ大衆」
ということで限定して書いてきました。パレスチナ以外の「大衆」という意味
では「世界が反応した」とか「世界に知らしめた」という書き方をしてきたと
思います。その意味で事実としてリッダ作戦はパレスチナ「大衆が納得し、大
衆が支持」した闘争だと書いてきたのです。まっぺんさんがリッダ作戦は「大
衆の納得しない、大衆の支持を失う」闘争だと規定されるのであれば、事実そ
う規定されておられるわけですから、その時の「大衆」とは誰のことを言って
おられるのでしょうか。

 前述したように、私もリッダ作戦の評価の軸として「大衆の納得する、大衆
の支持を獲得する」ということを前提に書いてきました。それは今までの私の
文章を虚心に読んでくだされば了解されると思うのですが。問題はやはり、
まっぺんさんの言われる「大衆」とは誰のことなのかということなのではない
でしょうか。私自身の感想になりますが、非常に無性格だと思います。

 簡単に言えば、リッダ作戦を納得し、支持したパレスチナの人達はまっぺん
さんの言う「大衆」には入らないのですか。そして、さらに言うなら「革命は
大衆の事業である」と言われます。そのことはまっぺんさんも納得されると思
います。で、パレスチナ解放、あるいは「革命」の主体は誰なのでしょう。パ
レスチナ「大衆」なことは当たり前ですよね。そのパレスチナ「大衆」が支持
している闘争を「大衆が納得しない、大衆の支持を失う」とは、一体どういう
ことなのでしょうか。それは、たとえパレスチナ大衆が支持しようとも、「世
界の大衆はそんなものを支持してはいない、だから誤った闘争である」という
ことになると思うのですが。なんか、非常におかしいと私は思います。

 おそらく、いずみさんも、田舎の赤爺さんも、そうしたおかしな論理展開
に?をつけておられるのだと私には思えてくるのですが。

 原則的な視点は必要だと思いますし、その面からの批判もまた大事だと思い
ます。けど、闘争のダイナミズムを無視して、原則を振り回すと「なんか変」
になってしまうのだと思うのです。もっともこうしたことが、まっぺんさんの
言う「ブント系と四トロの思考回路の違い」なのかもしれませんが。

 で、なんか煮詰まってきちゃったので、頭を冷やして、趣味者モードで
ちょっと息抜き。

 思考回路の違いということで、「ある日革命が起こったら」というパロディ
を思いだしました。うろおぼえですが、、

 「俺達がしたんじゃない革命は実存的でないから、人間を疎外から解放しな
い」と言ってかっこよく空を見上げる -革マル派

 「まだ機動隊を殲滅していないのに革命が起きるわけがない」と言って信じ
ようとしない -ブント
 
 「あらゆる革命はすぐ堕落する」と言って、反革命の準備を始める -プロ軍

 みんなを集めてテーチインの準備をする-フロント

 第四インターは忘れました。
 私は、プロ軍が一番好きです。でもうろ覚えなので、いずみさん、『野次馬
番外地』で調べて教えてください、お願いします\(^_^)。

またしても補足…  投稿者:馬おじさん  投稿日:2000/11/11(土)22時27分05秒
 「なんか変」、というのはかなり感覚的なものです。
 私はまっぺんさん、あるいは黎さんの言っている原則論に対しては、そうだ
と思いますし、そうした原則論を堅持しておられることには、正直感服しま
す。ただ、「そうはそうなんだけど」という感じなのです。ほとんど、私の理
性的というか、論理的判断ではそうなのですが、でも「なんか変」と思ってし
まう私がいます。
 その「なんか変」というところの感覚がやはり「ブント的」というよりも、
私の「アナ的」体質なのかも知れません。というよりへそ曲がりなだけかも知
れません。
 私も世界を整序してみたいとは思いますが、いかんせん、「過激」なものに
はすぐ目がいってしまうもので。
 うーむ、やはり「体質」の問題ではないかとしみじみ思わされました。

遅れ馳せながら  投稿者:アラブ復興社会党  投稿日:2000/11/12(日)00時16分58秒
 怪しげなハンドルネームをひっさげて、まっぺんさんのお勧めもあり、やってきま
した。 パレスチナの闘争はインティファーダ以前と以後に分けて考えたほうが良い
と思います。 これが始まる以前は、その反イスラエル闘争の多大な努力・英雄的行為
にもかかわらず客観的には勝利しうる展望・可能性はなかったと思います。(だから
と言って「闘わない方が良かった。」とは全く考えませんが。)
 これが、始まるまでは難民の正当な祖国復帰運動ではあっても、中国やベトナムで
そうであったような、民族運動であるとともに階級的社会変革運動(労働者・農民等)
であることはできなかったのが致命的であったと思います。 パレスチナの在地の階級
的大衆闘争が組織できない以上最善ではないにしろ、いわゆる「テロリズム」によるし
か闘争が組めなかった面があるのではないでしょうか。 その点では、日本赤軍による
テルアビブ事件も批判的支持をせざるをえないものと考えています。
 インティファーダ以後は一見どんなに脆弱で地味に見えても(ソ連等の支援がない
のも一因でしょうか?)、在地の住民による闘争であり勝利の可能性が出てきたものと
評価され、テルアビブ事件のような闘争形態はより不適当になったと思います。
(私は南アフリカのソウェト蜂起の開始と同等に捕らえています。)

大衆とはなにか  投稿者:まっぺん  投稿日:2000/11/12(日)00時31分54秒
二つ目のほうから。「テロであるといって斬って捨てる」ような事をしないために、これまでいろいろ言ってきた
のではないですか。斬って捨てる反階級的言辞を弄する日本共産党とまっぺんが同じであるというのでしょ
うか?「赤子をたらいごとすてる」という批判はまったく当たっていないと思います。

つぎに「大衆とはなにか」ですが、馬おじさんは「現実のパレスチナ大衆」に依拠しますか?では日本だった
らどうですか?現実の大衆とは「自民党を支持する大衆」の事になってしまいます。1930年代後期のドイツ
大衆はヒットラーを支持していました。現在のイスラエル大衆の多数派はシオニストでしょう。現在のパレス
チナ大衆は弾圧されてきたがゆえにテルアビブ空港の闘争を支持しているかもしれませんね。しかしそれは
はたして「戦術」も含めてのことなのでしょうか?あの時の死傷者約100名についてはどう考えているのでし
ょうか?われわれが「大衆」という時、自分に都合のいい「大衆」をつくるべきではないと思います。重信さん
がまさに言っているような「共産主義的」なこころをもった人々が大衆的に将来登場することでしょう。「革命」
をめざす組織ならば自分が依拠できる「大衆」とはどのようなものか、よく考えるべきです。

えー、まっぺんは明日「某」千葉方面に「お散歩」に行ってきます。書きコはあさってになると思いますので
よろしくね。。

やっぱ体質なのかなぁ?  投稿者:田舎の赤爺  投稿日:2000/11/12(日)00時34分38秒
体質などという言葉で片付けたくないのですが。。。
ここまで平行線が続くと?となってしまいます。
私や馬おじさんの様なアナ的体質(それをbund主義と言う方もいますが。。。)
と党主体論的体質の違いなのかなぁと思わざるをえないのですが、先程、馬おじ
さんの書き込みで気付いたのですが、やはり、私もプロ軍の武装蜂起準備委員会
の黒ヘルに随分、憧れたことがあって、その辺を考えてもやはり、体質なのかな
ぁ。。。と思わざるを得ないのですが。。。
別にプロ軍の理論なりを知ってる訳でもないのですが、私が在籍した大学にも
おりまして、かの六角校舎で民青の尻の肉を切って鍋にして喰ったとか、おおよ
そ信じられ無い様な逸話も残っておりまして、是非は別にしてほーと思った事も
ありまして。。。
本日は取り留めのない馬鹿話で申し訳有りません。
ちょっと、やはり疲れて来ましたので箸休めに。。。

内緒ですが・・・  投稿者:  投稿日:2000/11/12(日)01時20分46秒
某世界党の日本支部の中央委員だった人物は昔、「トロツキストはアナツキストであるべきだ、自称アナツキストとの違いは、その社会が実現するまで我慢するかしないかだ。」といっていました。
まあ、失言の多い彼の言葉は別にしても(実際様々な物議を醸しだしたものです。)アナツキスト的気分は私も持っています。
以下に、1974年に開催された第4インターナショナル第10回世界大会での政治決議の一文を紹介します。

「レジスタンス運動の指導部はプチブル、ブルジョア民族主義運動から生まれたもので、パレスチナ闘争を指導
する一方で民族主義の政治的伝統に固執しつづけた。この結果、パレスチナ・レジスタンス運動は一般的に
いって反シオニズムというせまいわく内の展望しかもたず、かくてパレスチナ゛人民戦争゜それ自体がパレス
チナをシオニスト植民地主義から解放することができるととの幻想を広めた。したがってこの運動は闘争の民
族主義的性格の名の下にいかなる社会的=革命的綱領をうちたてることも手びかえ、パレスチナ・アラブ人大
衆の労働者・農民を真に動員する可能性を放置し、同様にパレスチナ闘争に好意的なすべての抑圧されたアラ
ブ大衆の動員の可能性、イスラエル自体における反シオニスト階級運動の可能性に目をつぶった。」

ここからは、私の文章ですが、アラブブルジョアジーは明らかに、パレスチナ解放運動が政治的触媒を果たし、
自国の階級闘争が高揚することを恐れていたのだと思います。73年の10月戦争は、
民族主義的に問題をすり替えようとするブルジョアジーの謀略でしかなかったと思っています。
現実に、パレスチナ難民を一番虐殺しているのは、レバノン政府軍とそれに操られた右翼民兵です。
そこではたした日本赤軍の役割は、ただアラブブルジョアジーに協力しただけという見方もできます。
極論すれば、インティファーダの時期さえも遅らせた可能性もあります。

けっして、体質とか作風ではないと思うのですが・・・。どうでしょう。

某チャットから転載  投稿者:転載君  投稿日:2000/11/12(日)01時30分20秒
11/12 01:23 旧あかいしがいい感じですが、あれ、なんで革命的に移らないのだろう?(笑)
11/12 01:24 あれでほくそ笑んでるのは日向一派だとしか思えないのですが(笑)
11/12 01:24 まったく。もったいない(笑)<革命的に移らないのだろう?
11/12 01:25 あかいしではじまちゃって、ヤマネがでんごんばんにカキコんで場所がめちゃくち
ゃになってきました(笑)
11/12 01:25 あ、そうそう、革命的掲示板に引っ越し案に一票!>なんで革命的に移らないの
だろう?(笑)
11/12 01:25 そう思う>ほくそ笑んでるのは日向一派

とりあえず  投稿者:田舎の赤爺  投稿日:2000/11/12(日)08時15分53秒
 まず、転載君へ
私の意図としましてはここでこの論争を始めた頃、日向一派に今回の重信
同志の逮捕に何らかの見解を求めました。かって日向は同志と同じ釜の飯
を食っており、それなりの見解を有していると思いますもので。。。
西 学さんの処でも良いのですが、ここ以上に、彼等は革命的掲示板の方
には近づきたがらなくて、少しでも目に付くここで継続して論争した訳で
して。。。
まぁ今になっても書き込みがないので、他の板に迷惑がかかったりしてい
るようでしたら、皆様さへ良ければ、そして西 学さんが了解して頂ける
のであればそれはそれでいいのですが。。。
皆様いかがでしょうか?

次に黎氏へ

先だってより書き込み有難う御座います。面と向かっての書き込みは初めて
ですね!今後とも宜しく。
まず、黎さんは大きな勘違いを致しておりますのでそれから書き込んでおき
ます。
パレスチナの抵抗組織は確かに、PLOが全体組織ですが、その中にはPFLP
、あるいは総司令部派など世界革命を掲げる共産主義組織も加盟しており、
黎氏が云われる様に民族主義組織ばかりではありませんので、当初の命題か
らして、外れており、それをもって云われてる事は意味を持ちません。
色んな組織が、最低限共通課題で統一戦線を組んでいるだけなのです。
まぁ度合いはちがいますが、3.26で貴方達が共通の敵に対し、統一戦線を組
んで闘った事と同じ様なものだと、思って戴ければ宜しいかと。。。
又、体質云々はあくまで私の自嘲的意味合いで書いただけでして。。。

お誘いに応じて・・・  投稿者:赤色社長  投稿日:2000/11/12(日)10時31分52秒
マル共BBSにちょっとリタッチしたら、田舎の赤爺さんに誘われてしまったので、ちょっとご挨拶だけでもと思い失礼いたします。
もと共産同赤軍派です。
活動拠点が主として京都だったので、こちらでご活躍の馬おじさん氏と赤爺さんとは、おそらくかなり深い共通の分母を持った人間だとご理解ください。
サミーラの逮捕という時期が時期だけに具体的なお話ができないのが残念です。
ただ、森派が国内で中央軍を指導していた時期にはもう当派には独自の活動を
維持していくだけの部隊もなく、執拗な権力の張り込みと日常的な妨害で、公然・非公然のボーダーがなくなり、「人民の海に守られて深く静かに・・・」
ということもかなわなくなっていました。
もともと人数が巷間喧伝されているよりは圧倒的に少なかったのです。
そういう中で、軍事の質と目標を中東にて展開していこうというのは、当時の
状況の中で自然に出てきた戦士としての「欲求」だと評価しています。
「テロリズムの是非」という脈絡で語られている論議も散見されますが、それでは余りにも当時の背景を理解されていないのではないかと少し寂しい気持ちになりました。
それではごきげんよう。

メールアドレスが入ってるのですが…(笑)>転載君  投稿者:いずみ  投稿日:2000/11/12(日)13時06分01秒
ということで、昨日、マル共連チャットにここの管理人さんがお見えになり
その場にいた数名で討論をしました。
その結果、「このBBSは、本来の目的・使命を歴史的に終えたのではないか?」
という総括がまとまった感じで、
このBBSはまもなく廃止とする方向であることが管理人さんから示されました。

ただ、そうすると「マル共連からの日向ネタ退避」に適した場がなくなるため、
現在のところ、いずみがこのBBSをひきついだ形で再オープンする予定です。

ここで今行われている議論は、歴史的にも残しておきたい貴重なものですし、
また、ここの管理人さんがスクリプト修正を何度もしてまで
ここをボランタリに維持してきた目的とは離れた内容でもあるので、
やはり、西同志が許すのであれば革命的板で継続されるべきではないか、
と考えます。

補足:日向一派は今後ここに書く気は一切ないのでは  投稿者:いずみ  投稿日:2000/11/12(日)13時14分58秒
昨日のチャットで出てきた観点は、

(1)日向一派がここに白色テロを仕掛けてきたのは、ここが、「五月夢国」氏を
 擁護するための掲示板であるとの恐るべきカンチ・妄想に基づいたものだった。
(2)しかしそれが誤りだとわかり、一派としてはここを相手にするメリットが
 なくなった。
(3)(2)のすぐ後に、一派は「マル共連でまともな議論ができないものだろうか」
 と提起をしたことがある。つまり、一派は、自分で掲示板を開設するつもりは
 ないらしいが、議論をできる場は求めている。
(4)2次会に介入を図ったのは、「2次会なら議論が出来るのでは?」と思った
 からではないか?しかし例によってやり方がひどすぎたのでその機会を失って
 しまった。

ということです。

ただし連中はここを逐一監視していることも間違いないと思われますので
一派に対する何らかの提起なり揶揄なり(笑)をこの場で行なうことには
ひきつづき意義はあるものとは思われますが、
それはあくまでも議論を求めるとかかみ合わせるためのものではない、
連中がもし登場するのなら、そこではじめて
そのような努力が行われるべきじゃないか?とも言えると思うのです。

同意見です…  投稿者:馬おじさん  投稿日:2000/11/12(日)20時36分26秒
 以前ザーカイさんが提起し、田舎の赤爺さんも同様、そして、いずみさんも
ということで、遅れましたが、実は私もそう思っていましたので、賛成です。
 西さん、よろしくご配慮ください。
 それから、私事ですが、しばらく仕事がつまってきて、1週間ぐらいカキコが
できないかも知れません。読む時間はなんとかなると思いますが。ということ
で、しばらく静観させてもらいます。

 それで、ちょっと一言だけ、書き逃げみたいで失礼ですが、まっぺんさん。
革命は大衆の事業ですよ。しかもそれは、どこかにある理想化したり、美化さ
れた大衆のことではありません。「現実の日本の大衆」に依拠するのはあたり
まえでしょう。私からみればまっぺんさんの方が「都合のいい大衆」を想像し
ているように見えます。
 ラジカルにはねたり、日常に埋没したり、無為に、かとおもうとまた過激に
なったりするのが大衆でしょう。そんな人は実は具体的には「隣のおっちゃ
ん」であったり、「むかいのばあちゃん」であったりするんでしょう。そうい
う認識を離れて「大衆」を想定するのは、それこそ大衆不信ということなん
じゃないでしょうか。具体性を離れた「大衆」を想定するのは、やっぱり「前
衛党」的組織を求める、「先進的」人達のぬぐいがたい体質なのかもしれませ
んけど。
 それから私は「革命をめざす組織」の人ではありません。「革命」好きな一
個人、事実としての一大衆だと思ってます。それ以上になりたくもありません
し。
 ということで、となりのおっちゃん、おばちゃんたちと、どう関係を結んで
いくのかが、私の課題でもありますし、一番しんどいところでもあります。た
だ、どこか一点、信頼されるような人間になりたいとは思っています。

場所を移したほうがいいでしょうか?  投稿者:まっぺん  投稿日:2000/11/13(月)10時23分20秒
この間の議論によって「四トロ系」の考え方と「ブント系」の考え方の違いがかなりわかってきたと思います。
まっぺんとしては非常に有意義とかんじましたし、できればとっておきたいものだとも思った次第です。
もちろんこの間の過去ログは個人的にはとってありますが、
たとえば「二次会」の「過去ログのページ」のようにしておきたいものだと思ったわけです。
もう手遅れですが「二次会」で議論をしていればそれは可能でしたね。

続きを「二次会」もしくは「革命的掲示板」でやった方がいいんじゃないか、ということだと思いますが
わたしも全く賛成です。

「国際根拠地建設・世界革命戦争の夢の果てか」  投稿者:   投稿日:2000/11/20(月)16時00分21秒
●日本赤軍・重信房子さん逮捕
国際根拠地建設・世界革命戦争の夢の果てか
             /大島健造(86年10.14闘争被弾圧者)

 11月8日、日本赤軍の重信房子さんが、公安警察によって逮捕された。容疑は
日本赤軍が74年に行ったオランダ・ハーグのフランス大使館占拠事件への関与で
ある。両手の親指を突き立てて「がんばる」とポーズをとる重信さんの姿をテレ
ビで見た。その姿を見ながら彼女は自分たちの国際根拠地建設・世界革命戦争路
線を、今どのように総括しているのかなあと思わざるをえなかった。
 今回の「重信逮捕」は、赤軍運動、とりわけ荒唐無稽な「国際根拠地建設」路
線の完全な破産を明らかにしたと言えるからだ。重信さんの日本への帰還は、中
東・パレスチナの人々を「世界党→世界赤軍→世界革命戦争」に組織化するとい
う当初の目的を、結局何一つ果たせないなかでの「追いつめられた選択」でしか
なかったのではないか。
 そもそも30年前、日本赤軍の人々は、国内での前段階武装蜂起路線(ファシズ
ムが来る前に武装蜂起する)の挫折をなんら主体的に捉え返さないままに、今度
は「国際根拠地を作るのだ」と世界に飛び立っていった。だが日本で全く実現で
きなかった革命の組織化を他国に押し掛けて行って実現することなどできるはず
がない。事実、彼らは「国際根拠地」を建設できなかったばかりか、自分の居場
所すらなくなってしまった。
 そもそもわれわれ(当時は共産同・戦旗派)は、30年前の2次ブントにあって、
塩見孝也氏(赤軍派議長)によるあまりに強引な赤軍分派結成に反対した部分を
出自とする勢力である。いわばはじめから赤軍派型の武装蜂起路線の「マンガ
性」に対自的であることが、われわれの結集軸の一つであったといっていい。
 旧版『過度期世界の革命』には、赤軍派結成当時、東大闘争の被告として獄中
にいた著者・日向翔(荒岱介)が、獄中で書いた赤軍分派に懸命に反対する手紙
が載っている。荒さんをはじめ、後に戦旗派に結集した部分は、赤軍派のあまり
に空論的な前段階武装蜂起路線に必死になって反対し、原則的な大衆運動を組織
化しようとした。しかし結局、赤軍派は「武装蜂起」なるものへと暴走し、やが
て大菩薩峠で軍事訓練を行おうとして警察権力に一網打尽にされてしまう。武装
蜂起路線に行き詰まった赤軍残党は、国際根拠地建設・世界革命戦争を呼号し、
日本革命を放棄して海外へと渡航していく。
 日航機をハイジャックして北朝鮮にわたったのが「よど号グループ」。パレス
チナへと出国していったのが重信さんなどの日本赤軍だ。国内に残った部分は、
第二次ブントとは思想的にも全く異質の毛沢東派の京浜安保共闘と「鉄砲から国
家権力が生まれる」の一点で野合して連合赤軍を形成する。山岳ベース(といっ
ても近場の妙義山)を武装蜂起の拠点にしようとしたが、行き詰まって「同志虐
殺事件」を引き起こす。
 この赤軍派の破産は、路線的破産にとどまらない思想的破産を内包している。
「赤軍派結成宣言」は次のように宣言する。「ブルジョアジー諸君!」「君達に
ベトナムの仲間を好き勝手に殺す権利があるのなら、我々にも君達を好き勝手に
殺す権利がある」。
 善悪二元論というか、なんとも単純な「勧善懲悪のパラダイム」である。しか
しかりにいくら「ブルジョアジー」が悪かろうと、それを「好き勝手に殺す権
利」が自分たちにあると思うこと自体が余りにアナーキーだ。こうした赤軍派の
論理では、「ブルジョアジー」と自ら断定したものは誰でも殺してもいいことに
なる。
 事実、連合赤軍が何人もの仲間を「共産主義化」と称して虐殺していた頃、日
本赤軍もイスラエル・テルアビブ空港で機関銃を乱射し、無差別に24名を殺害す
る事件を起こしている。たとえ戦争であっても、民間人に対し無差別に機関銃を
乱射し人々を死に追いやるようなことは虐殺行為である。
 日本赤軍や連合赤軍が行ったこのようなデタラメな武装闘争は、マスコミをフ
ル動員した国家権力による「反過激派キャンペーン」にいいように利用され、70
年安保闘争を通じて高まっていた新左翼運動総体に対する民衆的シンパシーを壊
滅させてしまった。
 われわれは、こうした赤軍派の武装闘争路線の惨めな破産と自滅に対し、日本
国内に踏みとどまって日本人民の解放をめざすことが正しいと考えた。三里塚闘
争の勝利のためにはゲリラ・パルチザン戦闘も辞さなかった。
 しかし、そうした二次ブント崩壊から20年にわたる自分たちの革命運動の総括
として、ついに90年代にいたって「本当のマルクス主義」を追い求めることの空
論性を悟り、共産主義と決別することを決意したのである。  そうした点から
するならば、重信逮捕にみられる赤軍運動の最後的破綻は、善悪二元論・勧善懲
悪というパラダイムに規定された60年末以降の新左翼運動の「革命主義」の終焉
を意味しているだけだ。いま獄中闘争にいる重信さんには、ただ「がんばる」だ
けでなく、自分たちのたたかいの路線的思想的敗北をみすえる勇気をもってほし
い。エピソードにだけ甘んじるべきではない。そもそも言ってたこと、考えてた
ことの支離滅裂をこそ見すえるべきなのではないか。
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http://www.bund.org/senki/senkinew.htm#shigenobu

大島さんねえ  投稿者:なおちゃん  投稿日:2000/11/23(木)09時47分21秒
 荒唐無稽なのは あなたの論の立て方です(笑)
 あのね、赤軍による帝国への軍事的抵抗って いまなお必要なわけですよ。
 たとえば パレスチナをはじめとする地域紛争の拡大(勃発とはいわない、笑)
 には 国際社会内での覇権や 個別産業の利害・某国ロビーの意向etcが 
 どーしたって影を落とすわけで そこにぬぐいがたい階級性があるのですよね。
 そこをば叩かずしてどうする、とおもうわけですが
「ブント」を名乗る人たちの論は コレを一生懸命ネグレクトしてるんですよ。
(いや、べつに無視してもいいんですが 躍起になって否定してるんですよね(^^;)
 
 下の文章、「国際根拠地論」について 真摯に向き合うのじゃなく
「日本でできなかったことを他国でも放り出した」と 揶揄してますね。
 だいたい日本赤軍を批判する人は「根拠地論」をぼろくそにいいますが
 擁護する人は「あの戦いを見よ」という。
 だいたい あの文章がとんちんかんで アクロバットのよーなのは
 主張=自己正当化がへたくそであるということをしめしてますが、
 赤軍本体は もっとプラグマティックに 合目的的に行動しているでしょう。
 でなければ 活動内容が過激な分 とっくにつぶれています(笑)
 続けばよいというものじゃないが。

 60年代の影を引きずってるのは むしろ「大衆」とか「民衆」の語を
 簡単に口にして さもじぶんたちがその代表であるかのように振る舞う傾向です。
 「大衆の現実」なんてことを 抽象的に語ることで 新旧ふくめた
 左翼の批判になるわけがない。
 現実の矛盾に対するまったき肯定にすべりおちるのは 目に見えてます。
 
 そして この傾向に関しては 過激な軍事路線を選択したことによる破綻より
 目に見える崩壊度が小さく、また内ゲバをめぐってやかましくいわれたほどの
 モラルハザードではないので ほとんど議論されてないのが実状です。
 そして30数年、新左翼の主張は 決め所になると「大衆理念の観念的浮上」で
 みずからの立脚点をあいまいにするパターンを繰り返し続けてきたわけです。
 実に残念なことです。
 
 あと、大島さんは「根拠地と言いつつうろうろして」とおっしゃってますが
 時代が推移すれば ブルジョワジーの商社だって本社移転するものです(笑)
 地縛霊みたいに おんなじ土地で新築・移転する方がへんです。
 ましてや闘争への緊急介入をその本旨とする赤軍なら 必要性のあるところに
 転々流変することは なんの不思議もありません。
 かれらのしてきたことが(毀誉褒貶はあるが)どんな役割を果たしてきたか
 みていないと 今回の弾圧の性質を見誤ることになりかねないと
 おもいますよ。
 
 あと「マルクス主義も左翼も反体制もやめた」というのなら
「86年10.14闘争被弾圧者」という肩書き(って、手当がでるのか)
 をつけるのは ひかえたほうがよろしいかと存じます。
「韓国人を名乗って反共と再軍備のすすめをとく右翼作家」みたいですから。

 
 

うまい!!ざぶとん5枚あげたい。  投稿者:赤色社長  投稿日:2000/11/23(木)11時09分18秒
なおちゃんさん、こんにちは。
凄く感激しています。
とりわけ、「地縛霊」という言葉のセンスにしびれています。
あなたは天才かもしれない。
おっしゃるとおり、かつてゲバラが何の縁もゆかりもなかったボリビア
で死んだように階級的矛盾と革命への動機のあるところ、どこへでも
ゆくというのが「戦士としての自然な欲求」だと思います。
革命家の魂こそあらゆる地縁・血縁・地域性・民族性から解放されて
いなければいけません。
それにしても自派以外でも最左翼的な戦いを権力に挑んだ部分には、
たとえ小異があっても理解し擁護し、共に戦うというのがスジだった
と思うのですが、何時の世にもこの手のグループがあるもんですね。

旧あかいし21オープン  投稿者:旧あかいし21管理人  投稿日:2000/11/24(金)03時08分55秒
ということで、先日マル共連チャットにて行われた討議により
近日中に閉鎖されるらしい、この掲示板に代わり
掲示板を別途建設しました。

まだ過去ログもなく、さびしい限りですが、
徐々に完成させていきたいと考えております。

以降、日向一派ネタはこちらではなく、
我が「旧あかいし」21をご利用いただければ、とm(__)m

http://www.miri.ne.jp/~senki/