幻想の中で、死ぬ夢でも見よう

 
 
 
 彼女は死ぬとき、恍惚とした表情を浮かべたあと、にんまりと笑って、「わたしはあなたに殺されることを知っていた」といった。僕は恐ろしくなって、彼女を近くにあった巨大扇風機のなかに入れて、ばらばらにしてきた。もうこれで彼女がよみがえることはない。
 もう何度、彼女の夢に苛まれた事だろう。僕の意識は常に彼女のどこかを感じていて、彼女はそのたびに地の底から湧きあがるような笑い声を発するのだ。彼女は常に僕を監視していた。僕はもう数日眠っていないし、殆ど動いていない。眠れば、夢に彼女が出てきて僕の体をばらばらにしようとするし、動くようなエネルギーを、僕はすっかりなくしていた。おそらく、もう僕は殆ど食事もしていない。そんなことにすら、全く気が向かなかったのだ。
 そうしてある日の夜中、僕は気を奮い立たせて彼女をこっそり粗大ゴミ捨て場に連れ出し、拳銃で彼女を撃った。
 スージィ、それが彼女の名前。
 
 

 僕はストリートガールの男版――ストリートボーイで、売春しながら生活していた。ときには誰か金持ちの孤独な女のヒモになったりしていたけど、それはよっぽど運のいいときで、結局僕はすぐに捨てられて、違う相手を探す。もちろん、男を相手に商売したことだってある。そんなのは、僕にとってなんでもないことだ。でも、如何せん、僕はあまりかわいくはなかったので、相手はぽつぽつと見つかる程度だった。僕は常に金に困っていたし、金がないから、小奇麗にすることもできなかった。悪循環だ。
 それでも、なぜかしょっちゅう僕を買いに来てくれる女がいた。僕は客の名前なんていちいち覚えなかった(だからもてなかったのかもしれない)けど、彼女だけは変わった名前だったから覚えていた。アスカという名前。どうやら異国の女だったらしいが、その名前の響きが妙に好きだった。艶やかな黒髪は、肩の上できっちり揃えられていて、僕より身長が10cm位高い、すらりとしたスタイルのいい女。
 どうやら僕は変な夢を見ていたらしい。最近変な夢ばかりを見る。寝ぼけ眼で、横にいるアスカに向かってあくびをした。
 「君は本当にスージィに似ている」
 アスカは笑いながらそう言った。よくその台詞を言う。僕は彼女の親友(どうやら祖国の人ではないらしい。スージィも変わった名前だ。あんまり好きな響きじゃない)に生き写しのようにそっくりで、毎晩いっしょにベッドの中に入る度にスージィの話をした。スージィは、僕に似た顔で、背丈も僕くらい、しかし髪の毛だけはふわふわのブロンドでアスカとは同じ学校だったらしい。アスカとスージィは似た趣味を持っていて、すぐに仲良くなって、いつもいっしょにいたという。
 「なに、アスカとその人はセックスもしたわけ」
 「君はすぐそういう話に持っていくでしょう」
 アスカはあきれたような顔で、こらといいながら僕の額にデコピンした。
 「まえから思っていたけどさ、普通親友に似た男と寝ないでしょ」
 「うーん、そこらへんはとっても複雑なんだよ少年。でも、わたしは多分彼女が好きだったんだね。セックスしたいとかは思わなかったけど、なんだか憧れてはいたと思う」
 「つまりは、僕は君の理想ってこと?」
 「ま、認めるのは嫌だけどそういうことになるんだろうね」
 「女ってわからん」
 アスカは無邪気に笑った。笑顔からは八重歯がこっそり覗いていて、なんだか少しセクシーだなと思った。
 「わたしたちね、変わった趣味で繋がっていたのよ」
 僕は煙草をふかしながら、アスカの鎖骨にキスをした。アスカの左胸には大きな縫合した痕がある。そこも舐める。
 「わたしたちね、死体を眺めるのが好きだったの」
 アスカはそう言って、ベッド脇にあるキャビネットから、アンプルと注射器を取った。
 「死体ね、ふーん」
 注射器にアンプルの中身を移しきって、彼女は乱暴に注射器を自分の左腕にさした。彼女の左腕には、たくさんあざが出来ている。僕の商売相手には、実に沢山の種類の人間がいて、ショタコンはしょっちゅういたし、変な性癖をもったやつもいた。死姦が趣味だという変態もいた。変人には、僕は慣れっこだった。
 「それよりもねえ、その健康薬、そろそろ止めないと壊れるよ」
 「死体ってね、わたしが取り付かれたのはね、本で見た惨殺死体だったのよ。首が切れているとか言うのはね、全然なの。やっぱりね、内臓とかが見えていないと駄目。あとはね、戦争のときのホロコーストとかね。すごいのよ、本当に……。そのあとに見たのは、冷蔵庫に入った人肉だった」
 アスカは、クスリが入るとすぐにラリって変なことを口走る癖がある。僕はこの彼女の台詞を半分冗談だろうと聞いていた。
 「食べるんですって、人肉をよ。でも、考えてみれば、わたしたちは牛や豚を食べているじゃない。だったら、食料のために人肉を食べちゃいけないのかしらって、わたし思ったのよ」
 アスカの目は、怖いほどにきらきら輝いている。まるで子供のように。
 「牛や豚だって、同じ種どうし食べあわないだろう」
 「でもね、人間だから……ッ――」
 アスカは言いかけてイってしまった。明らかにクスリのやりすぎだ。僕の寝ている間にも、ひとつやったのだろう。僕はやれやれと心の中でつぶやきながら、彼女をベッドにきちんと眠らせて、僕も寝ることにした。僕もクスリをやるつもりだったが、気分が滅入りすぎて、なんだかこれ以上動く気がしない。僕は目を閉じて、お祈りの言葉を唱えた。クスリや売春で穢れたやつが、宗教もへったくれもないだろうが、なんだか今日は祈りたい気分だったのだ。
 
 

 次の日、結局アスカは目覚めても放心状態のままだった。たぶん、クスリを入れすぎたのだ。どうやら、僕の目の前でやったアンプルは最近のものらしく、裏の精製技術のめまぐるしい進歩によって、従来の量の半分でいけるようになっていた。アスカは知っていたのだろうか。僕は適当にルームサービスを頼んで、多めの朝食を済ませ、ぼんやりとアスカを見ていた。クスリをしょっちゅうやっているくせに、彼女の表面は全く変わらない。左胸の傷痕も含めて、彼女は美しい。
 「ねえ、スージィ、あの写真もってる?」
 アスカは何も見ていない目で、そう言った。僕をスージィと間違えているのだろうか、それとも幻覚をみているのだろうか。なんだか、微笑んでいるようにも見える。
 「アスカ、目覚ませよ」
 「ねえ、わたし、あの写真が一番すきよ」
 「アスカ」
 「あなた、今までで一番きれいよ」
 一瞬、アスカは僕を見て、そのあと信じられないようなゆれ方で痙攣を始めて、泡を吹きながら、そして糞尿を漏らしながら死んだ。僕は全く予想だにしない死に、動揺して、どうしようもなく哀しくなった。僕はなんで哀しくなったのかわからなくて、その日食べた、パンやローストビーフ……ミネストローネまで、胃にあるもの全てを吐いた。不思議と涙は出てこないで、口からは血の味がするほど何度も何度もげぇげぇ吐いた。
 吐しゃ物にまみれてしまったアスカを見ながら、僕はアスカのハンドバックからクスリを出していた。アンプルの全てを注射器に移し、あざのたくさんついた左腕に無造作に刺した。
 ああそうだ、僕は、初めて人の死体というのを見た。
 別段、アスカを心から愛していたというわけではない。僕はそもそも愛情などその手の類のものは殆ど皆無なのだ。ただ、なんだかすごく生きていることがどうでもよくなった。もともと世を捨てている節のあった僕のタガが外れただけだろう。せめて、イって死のう。幻想の中で、死ぬんだ。
 段々高揚してくる気分の中、僕はアスカの鞄から何かがはみ出ているのを見た。空色のシンプルな便箋だ。エアメールでもない。僕はその封を落ちていたナイフであけ、中のものを取り出した。白い紙に包まれた写真のようなものが数枚。白い紙には、スージィとかかれていた。その白い紙を取る。写真。死体。赤い血。ばらばらの、僕。イってしまいそうな気分の中、僕は死ぬ間際に、自分の死体を――ばらばらにされた僕の肉片を、間接的に見た。
 
 

 最初はね、カッター遊びだったのよ。ほら、もともとね、わたしたちは死体が好きだったでしょう。それもあって、切りあいっこをして遊んだことがあるのよ。自分じゃあまり思い切って切れないじゃない、痛いし怖いから。だから、切りあうの。幸いわたしの父はお医者様で、開業していたから、わたしはこっそり麻酔を、モルヒネね。モルヒネを持ち出して、肉を切っていたの。最初は、わたしがスージィの太ももにモルヒネを注射して5mm位の深さで切りつけただけだった。わたしたちはふたりで喜んだわよ。ほんものの肉の切れるところ、沢山の血。そんなものが目の前で生きているの。写真では見たことのある死体が、ますます本当に見たくなった。
 そうしてね、そのあとその遊びがばれてしまってわたしは停学処分になってしまった。幸いスージィは何のお咎めもなくて、わたしはほっとしていたんだけど、父や母に色々言われて、わたしはつらくなってしまったの。そのたびにこっそりとモルヒネを持ち出して、打ちまくっていた。わたしがクスリで死んだのは当然かもしれないわね。こんど、スージィを切れるのはいつだろうって、思いながらね。次はスージィのどこを切ろうかしら、おなか?それとも胸?わたしの想像はとまらなかったわ。モルヒネの量もどんどん増えていって、それも、父にばれたのよ。父は狂ってわたしを刺した。左胸を、一つきよ。死ぬんだなって思ったの。でも、こんな死に方は嫌だった。わたしはもっと悲惨な死に方をしたかったのよ!結局、母が救急車を呼んで、わたしは一命を取り留めた。胸に一生残る傷とともに。父は捕まって、わたしは仕方がないからスージィを連れ出して、国を出たの。
 
 

 
 夢だった。それは、アスカの夢。アスカの視点から、アスカの思想が流れ出て、僕は気が狂いそうになった。
 もしかして、僕が今まで見てきた変な夢――あの狂った夢は、アスカの夢?
 目覚めたとき、僕は汚らしい病院のベッドの上で、両手足縛られていた。僕はろれつの回らない舌を諦めて、大きな声で唸った。そして、手足の紐をちぎろうとした。
 「何やってるんですか」
 僕のうめきに気づいた看護師が、僕に鎮痛剤をうった。僕は狂いかけた精神が、少しだけひいていくのを感じた。
 「あ……ぅあ、こ……ここ、は?」
 僕は必死に言葉になるように舌をまわした。看護師も、僕の言ったことを数秒かけて咀嚼して理解して、
 「ここは病院です。あなたはヤク中で運び込まれたんです」
 そう言った。僕らの泊まっていたホテルのボーイが、いつまでもチェックアウトしない、そして内線も出ない僕らを不信に思って、よだれをたらしながらイっている僕を見つけたらしい。どうやら、僕が死ぬつもりで打ったクスリは昔のもので、アンプルひとつで一回分だったみたいだ。普段の僕なら、イったり出来ない量でイったのは、おそらく全てのショックに因るものだろう。彼女の死と、そして僕の死体。今見た夢。
 僕は、狂いそうになる自分を必死に押さえ込もうとしながら、呼吸を整えた。
 どうやら、今回のことで完全に僕の神経はどうかしてしまったみたいだ。手の震えがとまらないし、時たま口がしびれる。よだれを飲み込めなくて、苦労する。窓から見える濁った青空が、妙に物悲しくて、僕は気が立っている神経に鎮痛剤を打ってもらって、眠ることにした。もう、数週間寝ていない。僕は自分の狂気に恐れながらも、睡魔の波に身を任せた。もうこのまま、目覚めなくても、いい。そもそも、僕は生きていたんだろうか?
 
 
 
 まずね、わたしはスージィの太ももをみた。やっぱり、わたしが切った傷は未だ残っていた。もう、みみずばれみたいになっていたけれど。でも、わたしはそこにキスをした。
 スージィはよく眠っている。スージィったら、暴れるんですもの。やっぱり、怖いわよね、死ぬのは。でも、あなたは綺麗になって死ぬのよ。
 なんだかわたしは突然芸術家にでもなった気分になって、すごく気持ちがよくなって、スージィを脱がした。スージィはきれい。
 ねえ、スージィ、あなたやっときれいな死体になれるのよ。きれいになったら、わたし食べてあげるわ。人間が人間を食べるのは決して狂気ではないのよ。そして、空腹を満たすわけでもない。わたしはあなたを愛しているからよ。あなたがきれいだからよ。
 ねえ、スージィ、あなた、とっても幸せね。
 わたしはスージィにお別れの挨拶をした後、床に落ちていたナイフを拾って、彼女の……
 
 
 
 あ、
 う、
 なぜ、ぼくは、このこうけいをおぼえているのだろう
 なぜ、ぼくは、このときのアスカをしっているのだろう
 ぼくは、いきていたのだろうか
 僕は、生きていたのだろうか?
 僕は、いったい、誰なんだ?
 ああ、あ、あ……
 
 

 僕はどうやら、痙攣していたらしい。おそらく、あの時見たアスカのような痙攣だったのだと思う。アスカも、あの時恐ろしい夢を見ていたのだろうか?医者は僕をどうにか沈静させて、僕は目を覚ました。そこに、アスカがいた。生きていたときと同じように、綺麗な黒髪。アスカは僕を無表情に見下ろしている。
 「もう、そろそろ死んでもいいんじゃないかしら」
 「アスカ……」
 「そろそろ、また死体がみたいわ」
 「……」
 「そうね、もうばらばらは見飽きたから、今回は趣向をかえてみよう」
 そこに、見知らぬ人がきた。ああ、もう、僕は死ぬのに。何を、見ているのだろう。そういえば、あの時のアスカの死体は、どうなったのだろう……。
 「こんにちは」
 彼は律儀に挨拶した。そして、僕を殺すための鎌を持っている。顔は歪んで、僕には人間なのか、豚なのか、犬なのか、全く検討がつかない。
 「久しぶりだね、アスカ」
 彼は、僕のことをアスカと呼んだ。僕は微笑んだ。こいつは、何を言うんだろう。僕はスージィには似ているけど、アスカには似ていないよ。それに、君のような顔の知り合いはいないよ。
 あれ、でも、僕には知り合いなんかいた?
 僕っていったいなんだった?
 僕の名前がアスカじゃないなら、僕の本当の名前は?
 「君はヤク中になってしまったから、わからないかもしれないけど」
 そういえば、ここはどこだ?僕は、こんなに綺麗な病院にいたのだろうか?
 「君がスージィを殺したっていう証拠が出てきてね。やっと、わたしは君を逮捕できる。長い時間が要ったよ……」
 彼は訳のわからないことを言って、歪んだ顔をさらに歪ませた。笑っているのかもしれない。
 僕は訳がわからないまま、窓の外を見た。
 ああ、あれは……東京タワー?
 「君のような精神異常者は、野放しにしてはおけない」
 彼はそう言った後、持っている鎌を僕に向かって振り上げた。アスカは、にっこりと屈託なく笑う。
 アスカ、僕は今、何を見ているの?
 君の死体は、どこへいったの……ああ、もしかして、君は自分の死体すら、食べてしまったんだろう、きっと、そうだ……。
 
 
 
 わたしは、この世界唯一の芸術家です。わたし以外に、神にも芸術家にもなり得る人がいるとはおもえません。
 わたしは、なんでも出来るのです。全てを、わたしは手に入れることが出来ます。
 人は死にます。わたしの父も、母も、わたしを置いて死んでしまったでしょう。わたしは父も母も愛していたのに、わたしの不注意でふたりとも死んでしまったのです。
 わたしはスージィを愛していました。人が死ぬんだと解ったいま、わたしはスージィを永遠に生かせずにはおられなかったのです。
 わたしはいわば神でもあるのです。
 生命の抜けた死体に、いのちは戻ってきません。わたしは重々わかっていました。それでも死体を愛したのは、わたしがいのちに対して、ずるずると引きずらずにはおれない心残りがあったからです。いいえ、そんなのは理由ではありません。そもそも、この心理はあなたたちにはおそらく理解できないものです。
 芸術というのは、殺すことです。絵にしても、造形にしても、文章にしても、何かを殺しているのです。時間を切り取り、あったものを美のために削り取る。それは、おわかりですね。
 いのちは美しいと思いますか?
 生きていることが、なんになるのですか?
 あなたたち、この疑問に対して明確な答えをお持ちですか?
 人間のからだに、いのちはとても不釣合いなのです。人間は生きる構造ではありません。そもそも、人間は鑑賞する構造なのです。
 スージィのいのちは、わたしがその芸術作品を食べることによって死守されました。
 間違っても、スージィのたんぱく質、脂質、炭水化物、無機物がわたしの肉となったから、と解釈なさらないでください。
 それはとても下劣であり、人間のいのちを侮辱するものです。
 いのちは美しくなくとも、守る価値のあるものです。どのような手段を講じても、守る価値のあるものです。
 わたしが生きるのは、わたしが生きたいと望んだからです。それ以外に理由はありません。
 わたしはいつか、永遠の命を手に入れるのです。死ぬことによって、いのちはいのちであり、いのちとして美しくなる、そんなのは気違いのいうことです。
 わかりますか、刑事さん。わたしの言っていることが、理解できますか?
 真実など存在しないのです。信じるべきなのは、自身の二つの目でみた事実です。真実は、ここにしかありません。わたしはわたしなのです。わたしのなかに、わたし以外の誰がいようと、わたしには無関係です。彼も、彼女も、そしてスージィも、すべてはわたしなのです。

 夢を見ていたようですので、わたしはまた眠りにつこうと思います。