>>管理人より。(どうでもいい戯言)
管理人は某予備校麹町校にて、医学部へ入るべく浪人しております。(某って、知る人が見ればばればれですけど)
私にしてはめちゃくちゃ珍しく、ちょっとばかり勉強しています。
その某予備校麹町校は、私の入っているクラスは理系教科(数学・理科二教科)はクラス分けがあるのですが、何故か全て上のクラス。
化学は去年ちょっと勉強したから、当然の結果と言えるかもしれませんが、出来ない数学、やってない生物まで上とは。
色々な意味で、プレッシャーです。でも、とても、楽しい。
そりゃ、きついです。今年医学部入れなかったら、大学行けません。勿論、私大なんてお金が高すぎるので殆ど無理です。
でも、勉強って楽しいんだなぁって思います。
さて、ここで、受験勉強は勉強か?という議論があるでしょう。
ツメコミならば、それは楽しくない。ゆっくり咀嚼すれば、結構楽しい。そんな感じに捕らえることが出来ました。一ヶ月通って。
一つの道を提示されて、君はここを進まねばならないんだ、と鞭打ちされるのは、とても楽です。
何にも無い広場に、君はここで自由に暮らしてもいいよ、と放置されるのは、とても難しいことです。
人は夢を持とうとする。
それはそういう理由だからかもしれません。
私は夢を持ちません。
医者になりたい?
いいえ、私は医者になりたいのでなく、医学部に入りたいのです。医者にはなったら面白そうだな(興味があるという意味で)と思う感じ。
人は自由を欲しつつ、しかしどこかで縛られていたい生き物なのでしょう。現にあなたは絶対に何物かに縛られているはずです。
たとえば、金。
生きていくために働くことは、生きていくために金が必要だ、ということです。その時点であなたは金に縛られているのです。
たとえば、時間。
忙しさにゆとりを忘れて、人間本来の美しさを忘却する、見ない振りをする。私たちは時間に縛られた次元にすんでいるのですから、これは仕方の無いことです。
うかうかしていると、老いてしまうのですから。
逆に、縛ることで縛られているものもあります。
たとえば、親という生き物。
親は、親という生き物になった時点で、子供に全てを投影するのです。親の果たせなかった夢を、子供が継ぐのは、美談ですか?
様々に拘束された、拘束されたがる私たちに一体いつ自由が訪れるのでしょう。
しかし、その自由とは、果たして私の望んだものになり得るだろうか?
私にはわかりません。
夢を持つことで諦められてきた希望は、どこへ捨てられるのでしょう。
時間に追われることで亡くしていた心は、どこかで埋葬されているのでしょうか。
そうやって人は生きることを忘れていくのでしょう。
あなたは生きていますか。
わたしは生きているんだろうか。
真の自由が、幸福をもたらすだろうか。
だから、死んでいても、生きていてもいい。
僕にそういう思考は、一切不必要なのです。
君が今のまま生きるには、ただ息をしていればいいんです。
僕は今のまま生きるために、ただ息をしているのです。
生と死はかけ離れすぎている。君は死んでも、生きても無いのです。
君は、棺桶の中で、ぴくりともせず、目だけを見開いて、夢を見ているのです。
囁き始める死の音色の甘美なこと 遠のき始める生の名残惜しいこと
「すべてを忘れ 君は眠りにつけばいい
ぼくが子守唄を歌ってあげよう
君はただ 今を生きればいい」
全ての謎は あの大空に投げてしまおう