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管理人のノート
近況

登録日 96/02/07  更新日 18/12/17



ジグソーパズルのひとかけら


0.
小学生の頃、ラジオで気象通報を聴きながら天気図を描いていた。
全ての事象は繋がっている。一見バラバラな欠片に見えても。 与えられた目先の一欠片に大騒ぎするのでは無く、自ら探し集め、組み合わせ、 背景を含め注意深く整合性を分析し原因を検証する事で、 過去、現在、そしてその先の、数年のスパンのトリガーが見えて来る。 全ての事象は事実。誰が何を言ったか、誰が何を言わなかったか、 誰がどんな都合で動いているのか、誰が劇団員だったのか、 それをROM(サイレントマジョリティ)はどう見ているのか、も。

羽生結弦氏はプロフェッショナルだ。 喘息や怪我を言訳にせず、マネジメントし、常に前向きで、きっちり結果を出して来る。 自分に誇りを持ち、周囲への感謝も忘れない。 ああいう生き様って、憧れるな。

頑張れ、繋がれ、形骸化させるな、これからの若い教諭達! その思いは23年前の chips-ml の時代から全く変っていない。 全国彼方此方での幾つもの化学反応と其の行方が、とても嬉しい。


I.
師走。 高校生 ICT Conference の内閣府への最終報告会も無事終了し、残すはASEP2018。 諸事情で進んでいない幾つかのサーバ改良計画も、ケリを付けて焦らずに少しずつゆっくりと進めたい。
今年前半は、縁有って多くの方々にお世話になり、私的には、 李先生や賴先生にご挨拶したり、蔡先生と孤島へ行ったり、念願の焼酎を飲んだり、 その他色々なドラマも有ったり。
人生二度目の戊戌の夏は暑さが半端ないって、で、今年後半は心身共に瀕死状態。 現在は何とか小康状態。つくづく傍迷惑な身体で情け無い。 それでも全国の皆様からパワーを頂きながら何とか此処まで。本当に有難い。新たなサイクルの見通しは真暗だが、もう少し頑張らな。
♪「流星」by拓郎。街の雑踏の中で見かけた夢溢れる若者を眩しく見ているオッサンの歌。


流石、先駆者&エキスパート集団なWorld Youth Meetingは凄い。 20年目、2会場開催や相互中継など初めての事が多く色々な課題も見えたけれど成功裡に終了、 来年度以降も上手く進化して行くだろう。 単に衣装を着て写真を撮って歌を歌って楽しかったね、的な、 上膳据膳で学校目線な成果達成で終わるのでは無く、 生徒同士で、先生同士で、生徒と先生で、お互いに、限られた時間の中で、 課題を明確にし、議論し、時には衝突し、 形骸化した Best よりも more better へ合意形成の為の建設的妥協点を試行錯誤し、 より良いWin-Winな協働活動にしようと誰もが真剣だ。 其処から「もっと知りたい」「もっと議論したい」「もっと解り合いたい」という次への意識が生まれる。
高校生 ICT Conference も、全国各地でカスタマイズされて実施、11月のサミットも終わり、 12月の内閣府提言へ向け進行中。地元開催も無事終了。 商業、工業、農業、水産などの実業系や、 情報処理、新聞、弁論、生徒会、吹奏楽、などの特別活動などを含む、 様々な視点の地元県の高校生からの提言を全国に発信すると同時に、 参加した各校が提言を持ち帰り、或いはサミットに参加した代表がその提言を県に持ち帰り、 各校で更に議論する、それを毎年繰り返す事で、地元県全体の高校生のICTの意識が変化して行く、 そんな議論の場になったら良いな、という、密かな願いで動いている。 色々と有るけれど、これからの社会のICT活用の為に、 高校生を中心に、産、官、学、参加した全ての人達がwin-winな関係になれれば良いな、と切に願っている。
未だ未だ、地道に、日々勉強!。 アンテナは常に敏感に。


II.
教諭の仕事の一つの理想は、生徒全員の一人一人の個性や才能を見出し、 授業の中で input、thinking、output、reflection & modify、 のスパイラルによる教科の確かな学びの過程で上手に気付かせ、 失敗を含め、生徒自身の力で自分自身のoutcomeとして次へ繋げられる様にしてあげる事。 その課程の各々で如何にICTツールを活用し思考を整理させるか、が要で有り、単純に「◯◯を使ったから」「BYODだから」凄いだろ、では無い。 全く試行錯誤の無い上膳据膳他力本願な達成感や成功体験は、思考の方法論が無いから、 結局、指示待ち→躓くと直ぐ諦める→出来ない言い訳、責任転嫁、に陥り、大人になって傍迷惑なだけ。


教科書やマスコミを鵜呑みに信用し安心してはならない。 自ら考え、疑問点を見つけ出し、確認し、内容に納得して行かなければならない。 行間にも、判っていない事、知られていない事は山程有るのだから。 其処から未来への進化が生まれる。 ...という至極当然の事が、最近は話題になっている様だ。 如何に今の教育現場が、学校やマスコミに都合の良い思考停止人間を量産しているかと言う事か知らん。


III.
「高校では、どんなプログラム言語を教えれば良いですか」という質問を受けるが、 それは、教諭が生徒に言語を通して何を教えたいのか、に依存する。 Scratchも、Dolittleも、Swiftも、CもJavaも、PHPも、PerlもRubyも、Pythonも、 他も皆夫々に面白い言語だよ。Monacaも便利だ。 但し「達成感」「成功体験」だけじゃない「科目としての学び」をきちんと提供出来るのならね。 Excelの関数名を山程丸暗記させ ilookupで検定合格でも、 その関数が返す値の意味を理解して居なければ役立たずなのと同じだよ。
個人的には、新学習指導要領で、小学校では、日常の行動や、 二次元キャラやミニロボットなどのゲーム的な制御や、 多角形の描画や、ダンスのステップや、等を通して、分析し、取捨選択し、 「繰り返し」「判断」などの最適な筋道を見つけ出し、プログラムに落とし込む為の思考の育成、 中学校では更に、既存のアルゴリズムも踏まえ、より教科の内容に対応したプログラミングや micro:bit的なセンサー制御になるのかな、と、漠然と考えている。 そうなると高校では、更にネットワークやデータベース、セキュリティ等の知識に絡めての・・・、 という予感を抱いてはいるが、現場では、どうなることやら。ねぇ。


例えば...。
プログラム言語が使えるだけではプログラムは作れない。 プログラミングには、目的(会計処理とか、成績処理とか、迷路脱出とか、描くとか、演奏とか) へ落とし込む問題解決の為の知識が必要になる。 文法エラーが有ると動かないが、論理エラーが有るプログラムは最悪だ。 全ての物事はプログラムの対象になる。 小学校のプログラミング的思考って、其の事の気付きなのではないかと思ったりする。 その点でScratchはオブジェクト指向だし文法エラーが無いから論理の試行錯誤がし易い。
図は、Rynが作ってみた「チューリップ」の前半の例。
最初から右側を教えるのではなく、自由に左側の様に作らせ、 その中から規則性を見付けさせ、少しずつ段階的に右側の方へ試行錯誤させていく。 楽譜を置き換えさせるという手も有る。 論理的なアルゴリズムになっていれば、答は一つでは無い。 小学校でScratchやロボットを使いこんな授業を受けて来た生徒が数年後高校生になるのですよ。


IV.
現在の勤務校は、「めざスペ」系で無く「ICTによる学び直し」な 一学年が100人未満の単位制の普通高校で、 窓際には校内外の文書や資料、連絡も手元に来ず、 それで若い先生方で学校が動いて、それで学校が良しとするなら、 それならそれで良いかと思いながら過ごしている、この数年間。 商研とは昨年秋の引退宣言以降は関知せず、 年一度の強制的御食事会も財政的な理由で退会しているが、別に商業が嫌いな訳では無い。 吉商本舗も、産調ガールズも、レガロ工房も、とばっこも、かわうそガールズも、 他も皆、真摯に頑張っていて尊敬している。 ただ、未だに残っている、科目の学びという対価が無い達成感搾取 (科目名を「達成感」に変えるべきだと思う)だったり、 生徒がやった事にして生徒に発表させる事で発表会を成立させたり、 検定の最中でさえ不正の指示(ilookupや処理条件無視や)をしたり、 採点基準が「知識の正しさ」では無く「自分が教えた通りか」で解答が滅茶苦茶でもマルだったり (教諭同士の「見逃して~」の応酬)、 授業中はバレなければ何をしていても良い」と生徒に明言→見て見ぬ振り、だったり、 抑も授業に居ない→成果は自分だったり、 授業が投げやりで説明を伴わず考査は競技カルタ的(曰く「判り易い授業」)、 最後は達成感で誤魔化し丼成績、だったり、 不正隠しの誹謗中傷、その他色々な旧い組織風土が、 地区大会の審査委員長の件も含め、 外部から同一視される事が堪らなく性に合わないだけ。 その要因は、教諭が、 正しい知識を知らないし知ろうともしない、間違いだらけ→ 「どうせ◯◯なんて意味が無い」と科目の学びを放棄、 「どうせ説明しても判らない」と生徒に責任転嫁し全てに手抜き、 生徒の学びで無く自分の保身のみが重要→ 管理職の茶坊主で管理職へ、という既得権益と事勿れの輪廻。 インチキでxor嫌気がさして、去って行った臨任講師を何人も知っている。 プログラミングも、科目の学びの理解としては普通高校どころか小学校にも追い越されつつある。 しかも、その危機感も無い。物凄く悲しい。 生徒は、教諭の都合で出鱈目を覚えさせられ、或いは無為な時間を過ごし、それが成績となり、 進路が決められる、様々な意味で被害者。 先ず其処から変えて行かないといけないんじゃないかなぁ。
実際に小学校の授業を観に行けば良い。 小学校の先生達は、そんな授業はしていない。 小学校の方が物凄く苦心して余程判り易い授業を展開している。 また、World Youth Meeting では、難しい専門用語を羅列するのでは無く、 誰にでも理解出来る単語を使い、聞き取り易い速度で、 非言語コミュニケーションも取り入れたプレゼンを、がテーマの1つになっている。 内容の難しさを判断するのは教諭では無い。生徒だ。

「小学校の先生って大変だよね~」と溜息を付き乍ら同情する高校の教諭には、 ほぼ例外無く「可哀想な私」という、しない事の言訳と被害者ビジネスの心理が働いている。 私は、本当に物凄く大変な小学校の教諭を幾人も知っているし、その超多忙な日常を是とも思っていないが、 その内の未来志向な誰一人として、高校の教諭からそう思われたいとは思っていないだろう。 小学校の先生って物凄く頑張っているよね。だからこそ日常を改善しないといけないよね。 私はかつて高校の教諭から「○○は教諭の仕事じゃない!お前がやれ!」という言葉を散々聞かされたが、 その○○をリストにすると、高校の教諭の仕事は、授業を含めて何も無いらしいから。


「全て一人で(TTの)授業しとけ、年休とるな、一人で黄金連休全日終日無手当で40台修理しろ、 休日盆暮も一人で保守しろ、特勤手当は無い、自腹でシステム作れ予算は教諭のものだ、 誹謗中傷、その他色々、逆えば不適格で直ぐにクビ、代わりなんて幾らでも居る」等、 さながらブラックな違法河豚料理屋も真っ青な世界、遣り甲斐だけはウンザリする程に有る(皮肉)。 授業放棄、検定の不正、丼成績、依怙贔屓。 約30年のこのフィールドワークの経験は、 如何に教育現場のコンプライアンスが崩壊しているかという 私の研究の大きな成果の一つだろう。
私が知らない、聴こえていないと思っている卑劣な人達には、 別途適当に未来永劫祟って置いて、私は私で動き出す。 これまで私に関わっていただいた方達に少しでも恩返しが出来れば。


V.
TVの「諸説あります」が大嫌い。 諸説あるのなら、他には、どの様な説が有るのか。 何故、その中から、1つだけを選んだのか。その説を選んだ根拠は?...が、全く無い。 「諸説あります」が通用するのなら、嘘でも願望でも、何でも言えるさ。 そんな都合の良い説をひけらかされ、「ぼーっと生きてんじゃねぇ」なんて言われたくも無い。


全ての発言には意図が有る。 様々な人達が、様々な立ち位置で、様々な思惑で、様々な発言をする。 大切な事は、その発言の肯定か排除か、という単純な対立軸では無く、その発言の意図。 大局的に、時系列に沿って、過去の事実に対し、 例えば誰がどんなデマカセを言ったか、誰がどんな事実を言わなかった(隠した)か、それは何故か、 という事実の積み重ね。 真実は人の数だけ有るが、事実は一つだけ。


VI.
今年は、豪雪、複数の猛烈な台風、大地震、と天災が多く、 徘徊の旅で全国の先生方にお世話になっている私としてはとても悲しい。 しかし、この国の底力が凄いな、と感じるのは、天災被害に対する救助や復旧のノウハウと迅速さ。 そして何よりも、適材適所で連携し現状に即して完璧では無くとも 最善、次善を前向きに着実に支援し合う膨大なサイレントマジョリティ達。 辛い時はお互い様。頼もしい。有難い。