もう音楽性うんぬんじゃない、そういう<思い>っていうか。。

L.T.S.の闘争本能を司る鉄腕MC:TAD'S A.C.。その才能が開花するまでの
道程は決して平坦ではなかった。ひとりの路頭に迷った青年が刃を内に向け
<ラップする理由>を手にするまでの内なる闘いを語ってもらった。      
 
 「貧乏でも裕福でもない家で育った、ごく普通の子供だった」という少年期。が、片
親という家庭環境にコンプレックスを感じている面も少なからずあったという。特に目
的意識を持てないまま十代で後半に差し掛かった時、<この先自分は何をやっていく
んだろう?>という危機感に襲われた。「捕まって施設に入れられたんですよ。一回目
に入った時はうまくやれて、そんな長く入んなくて済むような感じだったから、二回目
に行った時に『お前がくるとは思わなかった』って言われて。このままずっとやっていく
のは…、それに気がついた」。
 それから間もなく、16の頃から知り合いだったDENKAがDJを始めたのを契機に、ク
ラブに通い始める。「DENKAの家でテープをいっぱい作ってもらって、聴くようになった
んですよ。ちょうどウータン・クランやナスが出て来た頃、DENKAと一緒に渋谷にレコー
ドを買いに行くようになって。だから遅いと思うんですよね、今出てる人らより」。
 やがてDENKAと一緒にDJとしてパーティーに出演、そこで結成間もないL.T.S.を観る。
日本語ラップを意識し始めたのはこの頃で、同時期の他のヘッズと同じく、
MICROPHONE PAGERの作品に衝撃を受けたと言う。「で、GOCCIに『ラップやってみ
いんですよ』って言ったら、『じゃあ今日やれ』って言われて(笑)。それから2〜3回
4人編成でやって、独り抜けて3人になって。『じゃあ、お前もランチに入るか』って(笑)」
「GOCCIってケタ外れだったんですよ、その時点で。水戸の中でも、他でも、ああいうや
つはいなかったから。追い付かなくちゃグループとしてカッコ悪いなと思って、なんとか
追い付こうっていう感じでずーっとやってきて。最近かな、やっと自分なりにある程度満
足できるようになってきた」。
 グループ内での自分の役割も、彼は冷静に捉えている。「俺はGOCCIとDENKAの間
にいて、中和していると思う。極端過ぎるふたりだからこそその間が必要で、俺は両方
の要素を持ってるし。そのバランスが凄くいいから」。
 生まれ育った水戸。そこに根を下ろして活動するということに、疑問の余地はない。
「離れたことがなかったからね、今まで。他のところに行って何かやるっていうのは、
取りあえず頭に全然なくて。今続けるっていうか」。
 この音楽と出会ったことで道が開けた自分だからこそできる表現。未だ見ぬ誰かの
ためにラップする理由が、彼にはある。「もっと俺らみたいな人間がいて欲しいし、いる
はずだし。俺もそうだったし、やっぱり身近なきっかけがあることによって絶対変わると
思うんですよ。もう音楽性うんぬnじゃない、そういう<思い>っていうか。やっぱり、自分
が変わったっていうのがわかるし。<俺は違う>とかじゃなくて、<俺もそうだよ>っていう
のを…、そういう気はありますね」。