自分が出したモノで一番驚きたいっていうのが最終的な目標なんだけど

<L.T.Sの頭脳>と形容されるMC:GOCCI。メッセージ性/抽象性を自在に調
合するマッド・サイエンティストは、グループにポップ・アート的視点を持ち
む一方で、極めてアグレッシヴなMCとしてパフォームする。          
 
 「ディティールにこだわる、モノへの執着心が異常に強い子供だった」というから、
GOCCIのマッドぶりにも年季が入っている。SONYのロゴ、特に“S”の曲線美に惚れ
込むあまり、<オモチャのバイクを『耳なし芳一』ばりに“S”で埋めた>という戦慄のエ
ピソードも、いかにもだ。『セサミ・ストリート』と父が集めたジャズのLPからアメリカを
夢想していた少年は、やがてSFのサントラにハマり、伝説のSF雑誌『スターログ』、
そこで知ったピーウィ・ハーマン…、といった具合に興味を拡大。そうした感覚を共有
できる相手に出会えず、学校でも疎外感を感じていたという。
 弟のJR.(APOGEE MOTORS)は「全てに置いてセンスが近い」という最も身近な理
者。HIP HOPに興味を持ち始めたふたりはサンプラーを購入、音作りを始めると
時に、クラブ・シーンにも興味を持った。「ここに俺と弟の持ってた感覚を流し込む
ことができそうだなと思ったんですよ。デ・ラ・ソウルとア・トライブ・コールド・クエスト
を聴いた時に、それを実感して。その頃通ってたショップの店員に『ラップやりたいん
だけど誰かDJいない?』って聞いたら、『DENKAっていう面白いヤツがいるよ』って
言われて」。
 そして訪れた日立の“JUNK”でDENKAの姿を見た瞬間、「こいつは俺のDJにな
る」と確信。それ以来接点を持てずにいたが、東京のショップ“STILL DIGGIN”で
「ローズ・オブ・ジ・アンダーグラウンドのポスターを広げている時」に偶然現れた
DENKAに声をかけられる。これを機にスタートしたグループは、紆余曲折の末、2
かかって現在の編成へと落ち着いた。「ずーっと、俺と同じ様な感覚を持った人間
に出会いたいなと思っていて。そう願い続けてきて出会ったのが、DENKAとTAD'S
A.C.なんです」。
 大きな天気となったのは97年。BUDDHA BRANDを水戸に招聘した際、DEV LARGE
にデモ・テープを手渡した。「次の日あの男が血相変えて戻ってきて、『凄くいいよ』
って言うんですよ。『俺がレーベルやるから絶対それまでどことも契約しないでくれ』
って凄い熱意で言われて。この男の言うことは本物だと思った」。
 そして始まったEL DORADOイヤーズ。「男クサさ、本当の意味で“HIP HOP”を感じ
る数少ないレーベル」というGOCCIの形容は、そのままL.T.S.の諸作にも当てはまる。
「初期の作品は青いからソニー以降で、初めて完成したL.T.S.が聴けるんじゃないか
と思う」。
 メジャー進出後も、GOCCIを衝き動かす<業>に本質的な変化はない。何度も“S”と
書かせたピュアな衝動、それが本当に全てだ。「自分のウンコにビックリする、みた
な(笑)。そういう衝撃を自分で待ってる。他人から落とされた衝撃でビックリするの
は悔しいから。自分が出したモノで一番驚きたいっていうのが、最終的な目標なんだ
けど」