単行本の序文 - ディレクターズ・カット


  困ったことに、この本は、ふざけている。辞書の体裁をとっ
てはいるものの、実用に不向きであることは、表題が正直に示
している通りだ。英文索引がついているから、ひとつの訳語を
知るくらいの役にはたつかもしれないが、だからといってコン
ピュータ用語をまんべんなく網羅しているというわけでもなく、
きわめて断片的な、その場限りの思い付きをまとめた本なので、
およそどのような用途にも適していないと、ここで断言してお
いたほうがよさそうだ。

  そういう本を、それでは、どうして本屋が売っているのだろ
うか。本書が存在する理由は、いったい何か。それを説明する
には、まずこの本がどのようにして生まれたのか、その成り行
きを語る必要があるだろう。話は長くなるけれど...

  東京に日経MIXというBBSが存在した。いや、今でもあるの
だが、いわゆる「パソコン通信」のホストだ。そこ(以下mixと
略称する)には冗談が好きなプログラマなどが何人もいて、け
っこうハイレベルな冗談を日夜かわしていた。これが楽しいの
で筆者もmixに入り浸っていたのだが、あるときコンピュータ用
語辞典のパロディを書いてみようか、と考えた。締め切りに追
われているとき、ひとはよく関係のないことを思い付くもので
ある。さて、どこに書くか。mixには話題ごとに独立した「会議」
があって、そこで質問やら雑談やらをするのだけれど、その他
に「レジュメ」といって個人情報を入れておくファイルがあり、
mixの参加者は誰でもそれを覗いてみることができる。このレジ
ュメに、連載を始めたのが、本書の始まりであった。

  どうして辞書のパロディという形式になったのかというと、
筒井康隆氏の先駆的諸作品からの影響が大きいことは明らかだ
が、書き始めたきっかけは、「たほいや」というゲームだったよ
うに思う。これは深夜のTV放映などで密かにブームを呼んだ
言葉遊びゲームで、「辞書の中から誰も知らないような単語を選
び出し、参加者が考えた嘘の答えの中から正解を当てる」とい
う、英国の古典的ゲーム Dictionary の基本ルールを受け継いで
いる。フジテレビで番組が始まったのが 1993年4月であるが、
無目的コンピュータ用語辞典の連載が始まったのがその後であ
ったことは間違いない。なお筆者は「たほいや日本選手権」の
第1回、第3回、第4回の大会に出場し、それぞれ22位、11位、
9位の成績を残している。風邪のため第2回に欠場したのは今で
も心に残る痛手であるが、次回は5位を目標に頑張る所存である。

  連載が始まった当初は数人の冗談仲間にレジュメの更新を知
らせていたのだが、そのうち噂を呼んだのか「レジュメは、も
う更新しましたか」などという嬉しい質問を受けるようになり、
1993年11月3日から、ある会議でそれを告知することになった。
標題:【け】などという、一見不可解なメッセージを読んで怪
しむ参加者もあったかと思うが、それは【け】の項を入れたよ、
という秘密の合図だったのである。

  レジュメは、順調に膨れあがった。とくに忙しいときにかぎ
って、本辞書の執筆は捗るのであった。1993年12月14日には
ファイルの最大容量を越えてしまい、しかたがないので LHAで
圧縮し、ishでエンコードしたりした(【さ】【し】)。そうこうす
るうちにmixでもパーソナル会議という個室的あるいは密室的な
会議を開催できるようになったので、さっそくひとつ作っても
らい、1994年5月1日からは、そこで連載を続けた。

  その会議の参加者は、全員プログラマばかりというわけでも
なく、雑誌編集者、漫画家、デザイナー、音楽家、サラリーマ
ン、会社役員、会社経営者、銀行家、相談役、博士、大学教諭、
人間のくず、など多彩なメンバーの集合であったから、「無目的
コンピュータ用語辞典」の内容も、プログラマだけにしか判ら
ない冗談ばかりではなくなっていった。

  そのうちに、雑誌編集者のHさんが声を掛けてくださり、「ワ
ンランク上をめざす人のパソコン情報誌」である『ざべ』こと
『The BASIC』に連載することになった。1995年の5月号に、
その第一回が収録されている。イラストを描いてくださったの
は、あの「電脳騒乱節」の迫力画を描いた七戸優氏である。最
後の2回は、枚数のわりに原稿が足りなくて、見開きの大作カ
ットを鑑賞できるという大サービスであった(同年10月, 11月
号)。

  まあ、そういうようなわけで(どういうようなわけだか著者
にもよくわからないけれど)、連載が好評だったらしく、単行本
にしようという話が技術評論社で持ち上がった。嬉しい話であ
る。ただし、一冊の本にするにはボリュームが不足している。
書き足さなくてはならないし、もっと一般ユーザにもわかりや
すくしたほうがよい、との話も伺ったのであるが、判りやすく
書き直すと、あまり特色のない本になってしまいそうでもある。
そこで「ダミーズな一般コンピュータユーザにも、せめて半分
くらいは楽しめるように」というコンセプトで加筆することに
した。どうせ冗談の集成であるから、思い切ってコンピュータ
と関係ない話も紛れこませてしまった。

  そうしてできたのがこの本なのだが、本書が存在する理由は
ただひとつ、面白いからである。面白さを取ったら何も残らな
い本なのだから、どうか面白がっていただきたい。

                                          編者  吉川邦夫


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無目的コンピュータ用語辞典 / 吉川邦夫 / kneo@mix.or.jp