浄土真宗親鸞会の


■はじめに

 浄土真宗親鸞会(以下親鸞会)とは、「親鸞の教えを忠実に継承する」と公言している宗教団体である。そのため浄土真宗の正当な一派を主張し、自らを伝統宗教と位置づけているが、ダミーサークルを使った勧誘やマインド・コントロールに類似したプログラムなど、破壊的カルトに通ずる一面もある。また本山も末寺も存在せず、一般的に浄土真宗のイメージとされている西本願寺派や大谷派をしつこく批判している点からも、同じ浄土真宗各派とは一線を画した存在であると言えよう。
 彼らの勧誘活動は金大でも活発なため、私は金大ぁゃιぃサークル一覧独り暮らしの罠で、ダミーサークルを紹介した。しかしこれに親鸞会からクレームが付き、後述の経緯でそれまで使用していたサーバーから追い出されてしまった。私は旧サーバーはもちろん、親鸞会を恨んではいない。しかし、これを期に親鸞会について考察を深めることとした。浄土真宗親鸞会は、破壊的カルトか、あるいは伝統宗教か。その判断は、読者一人ひとりに委ねたい。


■旧サーバー追放までの経緯

 まず、私が如何にして旧サーバーを追放されたかを説明します。なお、メールを直接貼り付けることは法律上できないのでご了承下さい。

1.ファーストコンタクト
 親鸞会から最初のコンタクトがあったのは6月7日(月)のこと。「浄土真宗親鸞会 弘宣部」という送信者のメールを開くと、1.親鸞会を誹謗中傷する記事が、金大ぁゃιぃサークル一覧独り暮らしの罠に書かれている 2.親鸞会を名誉を毀損しているサイトにリンクが貼られている 3.以上の理由で、親鸞会関係の文章の全文削除を望む とし、放置すると管理人には法的責任が発生する(特定電気通信役務提供者の損害賠償責任の制限及び発信者情報の開示に関する法律第3条)との内容が書かれてありました。これは同じ内容がサーバーにも送付されたようで、サイトは即座にアクセス禁止措置が取られました。
 私はサーバー管理会社に連絡し、「アク禁食らったんだけどどうすれば解除されるんですか?」と問い合わせました。すると管理会社のオペレーターの方に、「問題記事を一時削除してください。そうすればアクセスを解禁します。記事の復活については当該団体と協議してください」と言われ、親鸞会関係の記事を削除し、「協議中のため現在公開できません」との一文を貼り付けました。
 しかし問題が残ります。それは親鸞会がこちらの反論に応じず、一時削除の状態をなし崩し的に恒常化させようと協議しなかった場合どうすればよいかということでした。この点についてオペレーターの方に尋ねたところ、「その場合は議論喚起の意味も含めて、削除部分を復活してもいいです」との回答をいただきました。そのため私は一時削除の状態でアク禁を解いていただき、親鸞会には「どの部分が中傷にあたるのか具体的にご指摘ください」とのメールに、「数日中にご回答いただけない場合は問題の記事を復活させます」との文章を加えて送りました。
 尚、このとき独り暮らしの罠のファイル名を「hitorigurashinowana.htm」から「wana.htm」に変更しています。これはファイルをアップしたとき使ったftpツール(web上にファイルをアップする専用のツール)の調子が、その2ヶ月ほど前から悪くてうまく作動しなかったので、やむなくブラウザのファイルマネージャを使っていたのですが、ブラウザを使う場合は「ファイル名は20文字以内にしなければならない」という制限があり、ファイルをアップすることも変更することも消すこともできなかったので、仕方なく短くしたファイル名でアップし、旧ファイルはオペレーターの方に事情を説明して削除していただきました。尚、ファイル名を変更したことは親鸞会にも通達しています。しかし、このことが後に隙を生むことになったのです。

2.こちらからの質問
 私の元に第二のメールが届いたのが、6月9日(水)。「回答」というファイル名だったため、誹謗中傷にあたる部分の具体的な指摘があるのかなと思いきや、その内容は「全文が中傷にあたります」云々。まったく説明責任を果たしていませんでした。
 このままでは埒が開かない、というかもしかしたら引き延ばし工作である可能性もあるため、こちらからいくつか質問をしてみることにしました。その内容は、

1.昨年金沢大学内で活動していたサークル「しゃべりば」は、貴会関係者がその中枢を担っているか。もしくは貴会に関連したサークルであるか。
2.貴会の信者であった金沢大の学生が、水難事故にあって亡くなったことがあるか否か。
3.貴会の勧誘方法として、「■私の体験談」に書かれているような方法(二人一組の勧誘、『生きる意味』や『人生の目的』という台詞など)を指導しているか。または信者の勧誘方法にそのような実態があるか。
4.貴会関係者が2003年の4月7日に、石川県立図書館(金沢市観光会館の向かい)の一室を借りているか否か。

の4点。これは「YES」ならば私の記事に間違いはないわけだし、「NO」であっても3以外は簡単に調べられることなので、嘘をついていることを立証できる。「わからない」なら事実の正否を判断する能力はなく、「答えたくない」なら真実だと言っているようなものです。
 親鸞会の勧誘は私自身が体験したものであり、また私や友人を勧誘した人間の携帯電話番号を、裁判所を通して照会すれば親鸞会会員であるか否かは簡単に掴めます。勧誘の舞台となった県立図書館にも部屋を利用した記録が残っているはずですし、その気になれば全国の元会員に証言を頼むこともできます。いずれにせよ裁判になったら確実に分があるので、この時点では何事もなく終わると思っていました。

3.楽勝モード
 6月14日(月)、いよいよ彼らから、「具体的な」中傷部分の指摘が返ってきました。内容は、1.「ぁゃιぃサークル」と称して親鸞会を名指ししている 2.「カルト」「洗脳」などの誹謗表現が含まれる 3.伝聞・推測に基づく記事ばかり とのことで、「全文を恒久的に削除せよ」とのことでした。1に対しては「『ぁゃιぃサークル』というのは親鸞会ではなく『しゃべりばサークル』のことで、宗教サークルなのにそれを隠している点を『ぁゃιぃ』と表現した」と回答し、2については譲歩し、ある程度表現を和らげました。3の伝聞・推定に関しては「情報源となったサイト『家族の絆(現浄土真宗親鸞会被害家族の会)』がソースとして信憑性が高く、そのサイトが訂正しない限り当方も訂正しない」と回答しました。ちなみに後で知ったんですが、弁護士さんによると、万一「家族の絆」の内容が嘘でも、信用しても仕方ない事情があるので名誉毀損には問われないんだそうな。
 さて私からの質問に対する親鸞会の返答は、「我々には答える義務はない」とのこと。つまり「正否には言及しないけど、嘘だったら我々に対する名誉毀損だから削除しなさい」といっているわけで、こんなものに応じられるわけがありません。「立証責任はあなた側にあるんです」と書いてありましたが、嘘であると主張することすらしない相手に立証責任はあるんでしょうか。いずれにせよ、公共の利益を生む事実に則した中傷は刑事でも民事でも違法にならないし、私は十分立証責任を果たせるわけですが。
 ここまでくれば大船に乗ったような気分でした。もはや明日裁判でも勝てる状態じゃないかと思うぐらいの気持ちで、このやりとりをどう読者に発表しようか考えていたくらいです。それでも地盤をさらに固めるため、完全には断言できない「親鸞会員の金大生が事故で亡くなっている」との一文などを削除しました。

4.記事復活
 6月14日の返信を最後に、親鸞会からの音信が途絶えました。6月7日以来、私が出したメールにはすべて、「返信される場合は数日内にお願いします」との一文をつけていました。しかし最後のメールから一週間経った6月21日(月)になっても、私の主張に対する反論のメールはやってきません。そこでもう諦めたのだろうと思い、記事を復活させることにしました。しかし念には念を。まずサーバー管理会社に事情を説明し、「メールが来なくなったので記事を復活させてもいいですか?」と問い合わせたところ、「お客様の手続きには不備がまったくないので、再アップしていただいてかまいません」との返事を頂きました。これで完璧、そう思った私は譲歩箇所の訂正をした上ですが、全文の再公開に踏み切ったのでした。

5.逆転
 記事を復活して3日後の6月24日(木)、親鸞会からメールが届きました。タイトルは最初のメールと同じく「削除要請」。騒ぐならもっと早くしろと思いながら、私はそのメールをクリックしました。が、その内容は私の想像外の物でした。以下要点をまとめると、

1.「協議が継続中であるのにも関わらず、なぜ記事が再掲載されているのか」
2.「このままでは法的手段をとらざるを得ず、それがどのような結果をもたらすかは大学生ならお分かりでしょう」
3.「会からのメールが届いていない可能性もあるので、以下に6月14日に送ったメールの写しを掲載します」として6月14日に私が受け取ったメールのコピペ

 問題はもちろん、第3の要点。初めはわけがわかりませんでしたが、つまりこれは私のメールが届いていないことを指摘しているわけです。私はこの前後、数名の方とメールのやり取りをしています。なぜ、今まできちんと届いていた親鸞会へのメールだけが、突然届かなくなってしまったのでしょうか? 半信半疑でしたが、私はとりあえず「そのメールは届いています。むしろこちらのメールが届いていなかったかもしれないので、以下写しを送付します」として、6月14日に私が送ったメールを即座に送り直しました。
 しかしその後web上の自分のサイトにアクセスすると、アクセスが禁止されていました。最初にクレームがついたときと同様に、これは一時的な処置だろうと思った私は、すぐさま前回同様当該箇所を削除したページをアップし、サーバー管理会社にアク禁を解除してもらおうための手続きをしました。しかし、オペレーターの反応は冷たいものでした。
 以下、そのときのチャットの再現です。再現といってもコピーしておいたものを基にしているので、重要な箇所は抑えてあります。

サイトの担当者が応答するまでしばらくお待ち下さい。
あなたは現在'オペレーター'と会話モードに入っています。
オペレーター: こんにちは。サービスサポートです。ご質問をどうぞ
いでぢ: 私貴社の無料サービスでサイトを運営している者ですが、当HPの記事に関して宗教団体から苦情が届いたようで、アクセス禁止になっています。
オペレーター: HPアドレスを教えて下さい。
いでぢ: (URL)です
オペレーター: はい、停止されております。
いでぢ: 以前も同じ団体から苦情をいただき、該当部分のみを削除して運営を再開しており、今回も同じ部分を削除して再アップいたしましたので、閲覧を再開していただけないでしょうか。
オペレーター: 申し訳ございませんが、このようなサイト内容は禁止されております。弊社のサーバーのご利用をご遠慮下さい。
いでぢ: 基本的にすべて事実で、中傷には値しないと考えておりますが、それでも禁止でしょうか。
オペレーター: 削除したに関わらずURLを変更してから再度記載されている事が分かっております。
オペレーター: どうしても記載したい場合は法的手段をとって下さい。
オペレーター: 弊社に警察からこの内容を記載しても良いという連絡があった場合は再開致します。
いでぢ: それは誤解です。まずURLを変更したのはページ名が20字を超えていて、内容変更ができなかったからです。
いでぢ: また再度掲載したのは会からのメールが来なくなり、予めオペレーターの方に「該当団体からメールが来なくなった場合はどうすればいいでしょうか?」とお尋ねしたところ、議論喚起のためにも再アップしてよいとのアドバイスをいただいたからです。
いでぢ: また、再アップする直前に貴社のオペレーターの方に了解をとっております。
オペレーター: 警察などからの連絡がない限り再開致しません。ご了承下さい。
オペレーター: それではクローズ致します。
サイトの担当者が会話を終了しました。

 最後の3行、「警察などからの連絡がない限り再開致しません。ご了承下さい。」と、「それではクローズ致します」の間は一秒もなく、ほぼ同時に会話を終了され、それ以上書き込むことができませんでした。民事不介入の警察がそんな連絡するわけがないので、事実上の永久追放ということになります。対応のタイミングから、親鸞会がサーバー管理会社に何らかのメールをしたことは簡単に推測できますが、それまで親切に対応してくれ、「問題は当事者間で解決してください」と言っていた管理会社にこのような対応をさせたのは何だったのでしょうか?

まとめ
 旧サーバーにおける私のサイトは、今完全にアクセスできない状態になっています。ヤフーの無料メールはその後も何事もなかったかのように機能していますが、親鸞会からの返信は未だに届いていません。一面では、法的に正当性を主張できないと判断した親鸞会が、圧力でサイトを潰しにかかったという見方もできますが、もちろん本当に私のメールが届かなかった可能性もあります。
 ただひとつ言えることは、私の記事が親鸞会にとって都合の悪いものであったこと、そしてそれを己への戒めと捉えるのではなく、叩き潰すべき対象として判断したということです。相手の質問に「答える義務はない」などと言って、相互が納得する解決の道を敢えて探らないというのが親鸞聖人の教えなのでしょうか? 果たして、このようなことが「絶対の幸福」につながるのでしょうか?

 私が6月14日に送ったメールの全文はこちら


■親鸞会の謎

 それでは親鸞会に関して、私が疑問に思っていることをまとめてみよう。

●信者獲得法の謎
 親鸞会は若者の会員が非常に多いという。これは恐らく全国の大学に信者を中心としたサークルを展開しているからだろう。金沢大学では1年前には「しゃべりば」というサークルがあった。またかつては「歎異抄研究会」「アルタ」などの名前で活動していたこともあるらしい(1999年に金大生が亡くなったのは「学芸サークル」という宗教サークルで、親鸞会系)。このようなダミーサークルは全国の大学に存在し、新入生を「生きる意味」など極めて類似した文句・方法で勧誘している。つまり、各大学のサークルを親鸞会が指揮していると考えれるのである。これはオウムや統一協会にも見られる組織展開手段である。
 ではその勧誘方法とはどういったものなのか。独り暮らしの罠も参照してほしいが、宗教色を払拭し、生き方についてディベートするサークルとしてアピールし、宗教サークルであることを新入生に明かすのはゴールデンウィークが明けてからだという。これは明らかにダミーサークル(隠れ蓑サークル)である。恐らくこのことを彼らに問い詰めると、次のように弁解するだろう。「これは方便だ。宗教には偏見があるから、もし宗教団体だと明かせば入る人は皆無だろう」と。しかし考えてみてほしい。これは嘘によって選択の自由を制限していると言えるのではないだろうか。自由はあらゆる情報を吟味してこそ意味のあるものである。家族でもない人間、それも大学生に対して、自らの信仰の自由を与えないというのは憲法にも反する行為ではないか。

●マインド・コントロール疑惑
 カルトにはマインド・コントロールがつきものだが、親鸞会もマインド・コントロールに類似した勧誘を行っている。
 たとえば「約束カード」。これは新入生が信者と交わした約束を書きとめ、常に持ち歩かされるカードであるが、これは「一貫性のルール」という心理を刺激している。つまり人間には約束するとそれを守ろうとする法則があり、また書き留めて他人に見せることでさらに効果が上がってゆく。この場合、見せる相手が好意の対象ならば尚更である。
 「社会的比較の制限」も重要な効果がある。人間は親しい人や他人、マスメディアなどから情報を汲み上げ、それによってある物事に対する概念(ビリーフ)を形成・変化させていくが、親鸞会ではこれら外から情報を与える存在をカットされることがある。たとえば「よく話が理解できていないうちは他人に話さないほうがいいよ。変な宗教に引っ掛かったんじゃないかってみんな心配しちゃうから」とか、「ネットや仏教の本は嘘ばかりだから見ないほうがいい。特にネット上には根拠の無い中傷で会を陥れようとする人がいるからね」などと指導して外部の情報から遠ざけている。コンパは「つまらないので出席しないほうがいい」と説得してくるため、これを忠実に守ることは付き合いの悪い人間だと思われ、友達を減らす原因にもなる。さらに驚くべきことに、親鸞会では新入生同士が仲良くなることを防止するよう指導しているという。結果新入生にとってビリーフを形成するための情報源は親鸞会信者しかいなくなり、親鸞会の教義を受け入れやすくなるのだ。ゴールデンウィークには合宿があり、その効果はさらに跳ね上がる。
 他にも、高森会長の権威を高める操作、「教義を実行しなければ地獄に落ちる」と言って地獄絵図を見せることでイメージ的な恐怖による脱会の防止、好意と返報性の法則の応用など、親鸞会の新入生を取り込む方法はマインド・コントロールの技術を類似した部分が多く発見できる。このようなマニュアル化された方法は予めマインド・コントロールを意図しているのか、それとも単に偶然の一致なのかは断言を避けるが、少なくとも親鸞会を自ら選んだと思い込んでる人の多くは、統一協会など他の宗教団体に勧誘された場合でも同じ結果になるだろう。(ちなみに、親鸞会の新入生教育プログラムは統一協会のそれとよく似ている気がする)

●教義の謎
 親鸞会は新宗教・新新宗教と呼ばれるのを極めて嫌う。戦後誕生した宗教法人であるからそのような呼称の定義には入っているが、彼らの主張によると、親鸞会は浄土真宗の開祖である親鸞聖人の教えをそのまま現代に引き継いでいるために伝統宗教であって、決して新興宗教ではないのだという。ではその教義を見てみよう。
 非常に簡略化すれば、「人間が救われるには阿弥陀仏の本願に救ってもらう以外方法がない。阿弥陀仏の本願に救っていただくには、正しい仏法を伝えてくださる親鸞会会長の説法を聴聞するしかない」ということになるようだ。つまり「救われるためには会長の説法を聴け」ということである。そしてカルトには付き物であるが、会長の説法を聴くためにはお布施(会内部では財施と呼ぶ)が必要なのである。会長も人間であるからお布施を集めなければならないのは当然だが、「救われるためにはお金が必要」という公式が会内部に完成しているのは間違いがない。
 また、救われるためには他人に教えを広めることも勧められるという。それはつまり「周りの人を会員にすればするほど救われやすくなる」ということだろう。親鸞会系サークルが新入生勧誘に力を入れているのもそれが理由かもしれない。なんだかねずみ講のような話であるが。
 まとめると、親鸞会の信者は救われるまで会長にお布施を払い続け、また信者を増やす仕事を喜んでこなすということである。教義一つ一つに敢えて目を向けず、大きな視野で全体を見回すと、このようなシステムが構築されていることがわかる。オウム真理教は麻原の言葉を信じ実行することで救われると信者に刷り込んでいた反面、具体的な教義は仏教をベースにしたものだった。親鸞会とオウムの違いが、テロと集金の違いだけでないことを祈るばかりだ。

●webサイトの謎
 親鸞会関係の書籍は少ない。また創価学会や統一協会、エホバの証人と比べ遥かにマイナーな宗教である。そのため親御さんなどが「これはカルトではないか?」と疑問を持ったとき、手軽に調べられるのはインターネットである。しかし目ぼしいキーワードでgoogle検索にかけると、信者やシンパのサイトがたくさん出てくるのである。
 たとえば「浄土真宗親鸞会 カルト」というキーワード。このとき一番最初に出てくるのは「親鸞会の真実 なにが息子を変えたのか」というページ。タイトルも、目次も、「はじめに」の文章も、いかにも被害者家族の体験談のような雰囲気を出している。少なくとも私はこのページを知ったときはそう思った。しかし読み進めると「親鸞会は伝統宗教である」「妻が入信してもいいと思った」など、シンパであることが明かされる。これは単に私が先入観を持っていただけだと言うこともできるが、このサイトの作者は会の勧誘方法やシステムにまったく疑問を感じていない。また、「はじめに」で最終的に拒絶することになる住職には感謝を示しているのに、質問に答えてくれた親鸞会信者の方にはお礼を述べていないのはなぜだろうか。
 さて同じキーワードで2番目に出てくるのは「メディアの見た親鸞会」というサイト。ここでは最初にサイト作者が信者を友人に持つ人間とし(本人が信者であるかははっきりさせていない)、「親鸞会に反社会性はない」と断言した上で、書籍・新聞メディアによる親鸞会に関する報道を紹介している。もちろんそこには『「救い」の正体』のような親鸞会を批判した文章は紹介されていない。
 さてこの二つのサイトを見ると、面白いことがわかる。まず「メディアの見た親鸞会」というサイトの参考リンクを見ると、「親鸞会の真実」がそこに入っている。では「親鸞会の真実」を参考リンクを見てみると、今度はこちらからも「メディアの見た親鸞会」が紹介されている。一体どちらがどちらの内容を参考にしたというのだろうか?(現在は訂正されている) ちなみに、「メディアの見た親鸞会」に紹介されていなかった『「救い」の正体』は、「親鸞会の真実」のほうでは紹介されている。
 もう1つ傑作な例を挙げよう。「浄土真宗親鸞会 2ちゃんねる」と検索する。すると大量に出てくるのが「親鸞会ちゃんねる」。 驚くなかれ、これは親鸞会信者の、親鸞会信者による、親鸞会信者のためのBBSである。(現在はBBSではなくなっています、なぜか)
 一方で親鸞会は、ネット上の反対意見をひたすら封じ込めてくる。当サイトも中傷を理由に記事削除を訴えられたが、これは親鸞会について多少でも否定的な記述をしたサイトに同様に来るもので、多くのサイトが閉鎖されている。しかし一部のサイトはしっかりしたサーバー管理者の下で運営を続けている。相手がそのようなサイトの場合は会かシンパが類似した名のサイトを立ち上げ、検索者がそちらのサイトに流れるようにしているようだ。たとえば反親鸞会サイトの「家族の絆 御父兄に知って頂きたい『宗教法人浄土真宗親鸞会』」に対しては「家族の絆 親鸞会父母の会」、中立的に親鸞会を考えておられる「浄土真宗親鸞会について考えるページ『ジャンヌ』」に対しては「浄土真宗親鸞会について考える〜ジャンヌな部屋〜」など。これは批判意見の封じ込めともとれるのではないだろうか。ちなみに、家族の絆を運営してるのはNONSECTさんだが、NONSECRETという人物が「浄土真宗親鸞会の極秘情報を掲載」した「親鸞会マル秘情報局」という親鸞会擁護系サイトもある。
(グーグルの検索結果の順位はすべて平成16年7月のものです)

●排他性の謎
 親鸞会は浄土真宗各派に対して非常に敵対的である。たとえば本願寺派に対して、「いままで親鸞聖人の教えをネジまげて大衆をだまし、仏法を食いものにしてきた人たち」だと非難したビラを北陸一帯にばら撒いたことや、本願寺に座り込んだこともある。これは自分たちこそが親鸞聖人の教えを継承しており、メジャーな宗派は異端だと主張しているのだろう。しかしいくら対立していても、各家庭にビラを撒くのは明らかにやりすぎではないだろうか。他にも、創価学会を初め多くの宗教と対立している。戦争になると国民の愛国心が高まることが多い。親鸞会の起こすこのような対立は、会内部の一体感を構築する手助けになっているのではないだろうか。

●会内階級の謎
 親鸞会は上下関係の存在を否定しているが、その実明らかに会員に上下の差があることは、全国のダミーサークルがマニュアル化された勧誘方法を取っていることからもわかる。会の学生組織には「講師」がおり、講師は下部会員に教義を講じたり、相談を受けたりすることで生活している。
 親鸞会の末端信者はことあるたびに講師に報告・連絡し、相談している。特に会員であるがゆえに起きる家族とのトラブルを解決するためのアドバイス(指令?)を受けているようだ。これが徹底されている信者の場合は、親が必死で脱会を説得し、本人がその気になったときも、どうしても講師に相談してしまい振り出しに戻ることになる。これは統一協会やものみの塔(エホバ証人)でもよくある事態だ。なお講師部のほかにも特専部、弘宣部などがあり、この中でもきちんと区分けがされている。これはオウムが幹部を「○○大臣」とランク付けていたことにも通じるのではないだろうか。
 さてそのような役職とは別に、教学の度合いをランク分けする「学階」というものがある。これは資格検定のように有料のテストを受け、その試験をパスしていくことによって如何に親鸞会の教えが頭に入っているかが証明される。テストの内容は親鸞会の教えのテキストを空で書き写すことである。句読点や改行も厳しくチェックされる。こうして会内部に宗教エリートが誕生する。と同時に、同じ文章を何度も何度も書くのであるから、刷り込みの効果もあるのではないだろうか。


■まとめ

 以上のように、親鸞会は新興宗教ではないと主張していながらも、様々な「カルト的なもの」を含んでいる。奇跡体験や超常現象とは無縁のようだが、しかし会長のみが救世主であるかのような教義と、その会長に自動的に大金が集まるシステム、そしてマインド・コントロールを彷彿させる教育体系が確立しているのである。親鸞聖人の教えは確かにありがたいもので、それを正確に伝えることには意義があるかもしれない。しかしノーベルが人類の発展のために発明したダイナマイトが戦争で大量の人間を死に陥れたように、素晴らしい教えが悪い使われ方をすることもありうるのだ。親鸞会に限らず、宗教を考えるときは是非考慮に入れてほしいことである。
 私は親鸞会はオウムのような狂気のテロ集団にはならないとは思う。しかし、統一協会のような巨大集金マシーン、創価学会のような狂信集団になる可能性は十分孕んでいると思うし、現在そうでないとも言い切れない。親鸞会がこれからどのように発展していくのか、心配は尽きない。


参考URL・文献

 家族の絆
  http://homepage2.nifty.com/nonsect/

 ジャンヌ
  http://homepage1.nifty.com/you/

 別冊宝島 「救い」の正体
   宝島社

 マインド・コントロールの恐怖
   スティーヴン・ハッサン著 浅見定雄訳 恒友出版

 マインド・コントロールとは何か
   西田公昭著 紀伊国屋書店

 統一協会マインド・コントロールのすべて――人はどのようにして文鮮明の奴隷になるのか
   郷路征記著 教育史料出版会

 浄土の本
   学習研究社



■追加報告

(平成16年10月17日)
 本コンテンツを製作した平成16年7月以降、親鸞会とそれを取り巻く状況は徐々に変わりつつあります。カルト問題に詳しい紀藤正樹弁護士が自身のWebサイトに親鸞会公式HPと家族の絆にリンクを張ったり、批判的なキーワードでgoogle検索すると批判的なサイトやカルト研究会も上位にランクされるなど、会に対する風当たりは厳しくなってきていると思われます。その一方、親鸞会側でも家族の絆の反論サイトを開設するなど、対策を講じているようです。(家族の絆反論サイトはアクセス解析がなされているので、読みたい方はgoogleで探して自己責任で閲覧してください)

(平成17年4月5日)
 16年の11月ぐらいに、家族の絆の批判サイトが現在私が使ってるサーバーに移転してきました。サーバーが同一なのでgoogleで検索した際同一サイトとして認識されることがあり、最近になってこのサイトが表示されない場合も出てきました。うぜー。


(平成18年1月31日)
 参照してほしいリンクとして、「なぜ私は親鸞会をやめたのか」をご紹介します。親鸞会シンパサイトでは決して語られることのない親鸞会と会員の内実を赤裸々に暴露しており、さらに内部文書を公開することでいかなる教育プログラム=マインド・コントロールが行われているか知りうることが可能です。




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